第4話 解放戦線
翌日もアズハはいつも通りだった。だれがどうみても模範的で頭の良い優等生。
あの優等生が、ユウカの首筋に刃物をつきつけて殺害をほのめかしたとは、とても信じられない。
そして、そんなことをされたのに、ユウカは、彼女を見ると、心の中に温かさがみちていくのを感じた。
そんなことをぼーっと考えていると、友達のモエがユウカに話しかけてきた。
「ユウカ、今週の土曜、いっしょに映画見に行かない? レインマンのハン君がでてるの。なっちゃんもアキも部活があって、いっしょにきてくれなくて」
「あ、うん。いいよ」
うれしそうにアイドルの情報をしゃべっているモエの声を聞きながら、ユウカは小学校からの友達との間にさえ、目には見えない距離が生まれてしまったことに気づいていた。このあたたかい正常な場所は本当は自分が属する世界ではないのだとなんとなく感じてしまう。
ユウカは知っていた。
もしもわたしが女子を好きだって知ったら、きっとみんな、その瞬間からわたしなんてこの世にいなかったようにふるまいはじめる。
過去にもあった。
成績が基準に満たなかった同級生が、三級市民候補生に落とされたことが。
まだ同じ学校にいるのに、もうみんなあの子が見えないように、あの子なんて存在しなかったかのようにふるまいだした。
ユウカだって、そうだった。あの時は、かわいそうだと思いながらも、ユウカは何も言わなかったし、それに他人事だった。運動能力も勉強も体格も、どこにも彼女には欠格事項はなかったから。まじめに先生の言うことを聞き、大人に従ってさえいれば、二級市民になれる、そう信じていた。
だけど今は薄氷の上にいる。心の中の秘密が知られればそれだけで、彼女の人生は終わってしまう。
東条がいうように、心の中を知らんぷりしていれば、誰にも何も言わなければ、ユウカはまだこの世界で生きていけるはずだ。
それでいて、すでに、自分は本当はこの日の当たる場所にいてはいけない、うすらぐらく危険で絶望の声がする、あちら側の人間なんだと感じ始めている。
そして、それでいてどこかで、それでもいいと感じている。
もしも、彼女がユウカの手を取ってくれさえすれば。どんな地獄にでも……。
そんな未来はありえない、と、思い知ったけれど。
どこかのスパイだと疑われるほどに、ユウカは、アズハにとって好意とほど遠い存在だった。
「どうしたの? ユウカ」
モエがしゃべるのをやめ、こちらをのぞきこんでいた。
「え?」
「なんか、まるで失恋したみたいな顔してる」
心臓を一突きにされたように感じた。顔色が変わらないようにと願いながら、ユウカは必死にごまかす言葉をさがした。
「そんなことない……けど、あの、実は、推しが結婚しちゃったの」
「あー。それ、かなしいよねぇ。わたしもそんなことになったら死んじゃう~。いつか、その日が来るってわかってはいるけどー」
モエは力強く共感してくれた。
言っておいてなんだが、正直、ユウカにはわからない気持ちだった。この社会では全員25歳までには結婚する。どんなアイドルも絶対に結婚するから、モエ自身が言っているように、絶対にその日が来るとわかっている。
モエはユウカを力づけるように言った。
「じゃ、土曜は遊んで、遊んで、ぜんぶ、忘れようね!」
「うん。そうだね」
ユウカはうまくごまかせたことにほっとしながら、うなずいた。こんな生活をいつまで続けるのだろう、と心のどこかで思いながら。
土曜日。学校から一番近い中心街「ネオ昭和」は人で溢れていた。
昭和回帰がさかんに叫ばれたのは、偉大党が政権をとった頃、まだ戦前だった。昭和前半の時代が理想としてさかんに語られたその時代に、この街の大通りは「ネオ昭和通り」に改名され、戦後もそのままの名前で呼ばれている。
駅のホームには「日本自治区をふたたび偉大に!」と書かれた偉大党のポスターと「大アジア共和国に命を捧げます!」と書かれた兵士のポスターが交互に延々と貼られていた。
駅前には、忠誠心が称えられて一時期日本中につくられた有名な犬の銅像があって、そこが定番の待ち合わせ場所になっている。その場所に着いた時、モエとの待ち合わせまでには、まだ20分以上時間があった。
その場で待っていると、若い男が話しかけてきた。
「ねぇ、おねえさん。ひま?」
「いえ、ひまじゃありません。いそいでいます」
ユウカはナンパから逃げるために急いでその場所をはなれて、大通りの方にむかった。
しばらくあたりを歩いて時間をつぶすことにした。
ネオ昭和通りの歩行者天国に立ち並ぶビルの1階はほとんどが昭和レトロなデザインの店になっている。ところどころに着物を着たロボット店員も立っていて、お祭りの音頭のような音楽が流れている。
この辺りには自治区外からの観光客が多く、きらびやかな店舗はもっぱら観光客用のお店だ。日本人の多くはあんな高級品を買うお金はない。
おじいちゃんおばあちゃんの若い頃には、日本人が豊かで海外に旅行や留学にいったという話を聞いたことがある。とても信じられなかった。
ユウカが知る限りでは、ひたすら働き、外からの客をもてなすのが、日本人の役割だ。大陸に出稼ぎに行く人もいるけれど。
ユウカがネオ昭和通りを歩いていると、街の喧騒の中に、突然、吠えるような叫び声がひびきわたった。
「日本国万歳! 我々はこの国を解放しなければならない! 再び独立を! 立ち上がれ日本人よ!」
声がしたほうから、さーっと潮がひくように人が去って行く。ユウカはおどろいて、川の流れの中に突き出た棒のように立ち尽くしていた。やがて視界がひらけ、叫んでいる男の姿が見えた。
「テロリストだ」
「解放戦線だ」
距離をとって眺めている野次馬はささやきあい、男は全力で周囲にビラを投げていた。
風にのって流れてきて地面に落ちたビラの文字がユウカの目に入った。
「日本国を解放せよ! 打倒! 売国偉大党!」
そんな見出しの下に、大戦時に政権党であった偉大党は、政権維持を全面降伏の条件として敵国と取引をした。つまり偉大党は売国奴だと非難する言葉がつらなっていた。
そんなことは、もちろん学校ではならわない。でも、ユウカに驚きはない。みんな、なんとなく察していることだ。ただ、絶対に口にしてはいけないだけ。
そして、それ以上のタブーが、日本を国と呼ぶこと。
大アジア共和国の統治に異議をのべたり、日本の独立を主張すること、それはそくざに重罪となる。
警察が走ってくるのが見えた。
叫んでいた男は水筒をとりだし頭から何か液体をかぶり、そして、ライターの火を自分に近づけた。
男の全身が炎につつまれた。
近くの店舗から流れてくる、たのしそうな祭りばやしの音頭の中、男は苦痛にうめき声をあげながらも、叫び続けていた。
「立ち上がれ! 日本人よ! 日本を解放せよ!」
とつぜん、凍り付いたように釘付けになっていたユウカの耳元でため息が聞こえた。
「古臭い人だねぇ。抗議の焼身自殺なんて。やだやだ大人は」
ふりかえると、ユウカのすぐ後ろに東条がいた。
東条はユウカの肩をだいて、反対方向へ振り返らせると、いっしょに歩き出した。
背後で銃声がした。警察が自身を燃やし抗議をしていた男を射殺した音だった。
歩きながら、東条はユウカの耳にささやいた。
「解放戦線といっても色々なグループがあってさ」
「どうして、そんなことを言うの?」
「だって、察しているでしょ」
東条はユウカの目をのぞきこんだ。
(やっぱり、そうなんだ)
心の中で、ユウカはつぶやいた。
日本の解放を主張するテロリスト、あるいは、彼らの側の言葉でいえばレジスタンス。
あの日のアズハの言動から推測できたのは、彼女が反社会勢力か、スパイか、レジスタンスか、なにかそういう組織の一員だということだった。
駅の傍まで戻ったところで、モエの声が聞こえた。
「ユウカ! ど、どどどどうして東条君といっしょに? そ、そそその距離感は……!?」
萌絵は誤解をしていそうだったが、東条がそくざにさわやかなスマイルをうかべて言った。
「向こうでテロリストが焼身自殺したんだ。目撃してしまった彼女がショックを受けていたから、ここまで送ってきたんだけど。後は君に任せていいかな?」
「そ、そそうだったんですね。あ、ありがとうございました。たいへんだったね。ユウカ。だいじょうぶ?」
「うん……」
燃え盛る男の姿は脳裏に焼き付いている。だけど、この身が焼けるように感じるのは、あの光景を見たショックのせいだけではない。
アズハはレジスタンスの一員。
いつか、彼女があの男のように身を焼かれ、銃声に命を絶たれるとしたら。
わずかにでもその想像をした瞬間、ユウカはまるで全身を猛火で焼かれるような苦痛を感じた。




