第3話 危険な女
その晩、ユウカはまったく眠れなかった。だけど、翌朝、アズハはいつものように教室にいた。まったくいつも通りに。
(林さんは、あんなところで何をしてたの?)
彼女が赤線地帯の近くに住んでいるという話は聞かない。住んでいるはずがない。それに、なんでわざわざ途中で着替えたりしたのだろう。
ユウカは目は一日中彼女の姿を追いかけていた。
放課後、ユウカはアズハが帰宅するのにあわせるように玄関にむかった。
靴を下駄箱から取り出した時、ふいに近くから彼女の香りがただよった。
「藤原さん、ちょっといい?」
ふりかえると、彼女の冷たい目と視線があった。ユウカは思わず顔に血がのぼっていくのを、なんとかとめようとした。
「話をしたいんだけど、いっしょに帰らない?」
「う、うん。いいよ」
ユウカの心臓は内側から胸を高く打ち鳴らしていた。後ろめたさとうれしさが共存していて、混乱していた。
アズハはほとんど無言で、少し先を歩いていき、やがて、路地を曲がった。
「ここ、むこうの商店街へ行くぬけ道なんだけど」
「へぇ」
両側とも壁がつづいているだけの何もないうす暗い路地がところどころ曲がりながら続いている。
しばらく歩いていった後、通りの方からは見えない場所で、アズハはたちどまった。
「ここには監視カメラがないの」
とつぜん、アズハはユウカの体を壁におしつけた。
片手はユウカの耳の横、息がふきかかるほどにアズハの顔が近くにあった。
「だれの指示で私をつけている?」
学校での時とはまったく違う口調だった。
ユウカの首筋には小さいが鋭利な刃物が当てられていた。
だが、それが刃物らしいということにユウカはすぐにはきがつかなかった。なぜかあまり恐怖は感じなかった。
ユウカは自分の鼓動の音を聞きながら、アズハの冷たい瞳を見ていた。
「ごめんなさい。わたしは、ただ……」
アズハはユウカの耳元で、低い声でささやいた。
「返答しだいでは、お前は下水に流れる肉片になる」
その時、若い男の声が聞こえた。
「あー、その子は、違うとおもうよ?」
いつの間にかすぐ傍に人が立っていた。同じ学校の制服、顔にも見覚えがあった。
隣のクラスの男子、東条歩。かっこいいと有名だから、ユウカは同じクラスになったことはないのに名前を知っている。
「君にいわれてチェックしたけどさ。ただの好奇心の強い困ったちゃんだと思うよ。今も他につけてるやつはいないし、発信器や盗聴器もなさそう」
東条はそういいながら、小さな機械をユウカの全身にむけていた。
不機嫌な表情のアズハに、東条は肩をすくめて言った。
「あーあ。先走って墓穴ほっちゃったね」
アズハは舌打ちをして、ユウカから身をはなした。
「あとはまかせる」
そう東条に言い残し、アズハは一人で歩き去っていった。
困ったようなあいまいな笑顔をうかべ、東条はユウカに言った。
「送っていくよ。今日のことは忘れて。って言っても忘れられないだろうけど。忘れてくれないと、困っちゃうんだ」
「わかった。忘れる」
ユウカは即答した。
「そう言ってくれるとありがたいけど」
ユウカの背に手を置き、明るい通りの方に向かっていっしょに歩きながら、東条は小声で言った。
「もうわかってるだろうけど、あれはほれちゃだめな女だよ」
狭い路地から人通りの多い通りに出ながら、ユウカは自分の顔がほてっているのを感じた。東条には気づかれていた。
「家、どこ? 家まで送っていくよ」
「自分で帰れます。スマホの地図みれば」
「この辺、ナンパが多いんだよ」
人の多い繁華街で、たしかに東条が言うとおり、チャラチャラした見た目の20歳前後の男が道行く女性に声をかけたりしていた。
「ことわるから、だいじょうぶ」
むしろ、東条といっしょに歩いているのを誰かに見られた方が、学校で困る。東条は顔が良くて勉強もできるから、同じ学年の女子のほとんどがひそかに狙っている。
「君は、あの人以外、眼中にないもんね」
ちゃかすように言う東条をユウカがむっとした表情でにらむと、東条は「ごめん、ごめん」とあやまり、さらに軽い調子で言った。
「ね、俺とつきあわない?」
「はぁ?」
「偽装で。彼女がいないと怪しまれるんだけど、女子にガチ恋されるのも困るんだよ。赤線地帯までついていっちゃうほどあれにくびったけの君なら、俺にはほれないでしょ。だからさ」
「おことわりします。東条君とつきあったら、注目されちゃうから。みんなから嫉妬とか逆恨みとかされたくない」
「女子社会ってむずかしいね。にしても、振られたのはじめてだなぁ。かなしいよ」
「ふられるってわかってて聞いたくせに」
東条は笑っていた。大通りのはずれに来た。
「ここからは帰れる?」
「はい。あの……」
あなたたちは何者?
ユウカが、そう聞きたい気持ちを押しとどめていると、東条は軽い口調で警告した。
「見ざる、聞かざる。それが一番。足をふみいれたら、君はもうこの世界で平穏に生きていられなくなる。みんなさ、知らんぷりして生きてるんだよ。真実にも、自分の心にも。ルールには従え、偉い人の言うことには従え。地獄に送られたくないなら。世の中ってそういうもんだろ? じゃあね」
手をふって、東条は去って行った。




