第9話 ターゲット
「もう、むり、むりです……」
四つん這いになったままうめきながら声をあげる少女に、残忍な笑みをうかべながら、男は標準語で言った。
「まだ一本しか入っていないよ。ほら、むこうにある、人型の棺桶みたいなものが見えるかい。内側に長い釘がたくさんついているだろ。鉄の処女。君にぴったりだ。こんなにゆるくなってもまだ処女なんだからね。いらない子は、あれにいれて全身を穴だらけにしてしまうよ。大丈夫。あれは、すぐには死なないようにしてあるから、最期までじっくり苦痛を味わえる」
男の笑い声が響く中、少女は声をふりしぼった。
「いや、いや……」
「じゃあ、がんばって。......あぁ、よくできたね。両方、入った。次は......」
苦痛にあえぐ声が響く中、男は心底愉快そうに笑っていた。
その笑い声がとまった。
男は入口の方をふりかえった。
フルヘッドの仮面をつけた人間が、男に銃口を向けていた。
「ルームサービスは頼んでいないがね」
仮面の中で怒りに震える声が響いた。
「マスター・ジン。数か月ごとに女を殺しているお前は、覚えていないだろうな。2年近く前になぶり殺した犠牲者のことなんて」
マスター・ジンと名乗る男は、余裕のあるようすで、笑みをうかべて言った。
「時間をくれたら、調べられるがね。オモチャの記録はすべて撮って大事に保管してあるんだ。いや、しかし、私怨かい? 政敵の刺客かと思ったら。三級のクズのために命をかけるものがいるとは」
アズハは引き金をひいた。
だが、いつのまにか、ターゲットとの間に別の人影がたちふさがっていた。
銃弾はその男の巨大な肉体にはじかれていた。
(ボディガードか……)
マスター・ジンは笑い声をあげた。
「ハハハハッ。君は素人だね。今のはSPがいなくても、はずれていた」
たしかにアズハは拳銃のうでには自信がなかった。武術は一通り習ったが、射撃は訓練する機会が十分になかったためだ。
だが、近射すれば問題ない。
それよりも、SPの大男は、見た目は人間のようだが、おそらく生身の人間ではなかった。
(サイボーグ? 政府系機関くらいにしかいないはずでは?)
最近では、戦場ではサイボーグ兵が多用されているが、日本自治区の一般人の生活空間ではめったに見ることはない。
大男はアズハに向かって突進してきた。
アズハは身を引いた。
入り口から大男の体が大砲の弾のように飛び出し、その体重をかけたひじ打ちが、廊下の壁にぶつかった。壁には穴が開いていた。
アズハは跳びのいた先、階段の上部からその様子を観察していた。
歩との会話が脳裏にうかぶ。
「赤線地帯にサイボーグなんていないだろうけど、もしでたら、迷わず逃げて。対サイボーグ用の装備を用意しなきゃ、サイボーグ相手じゃなにもできないよ」
警察からうばった拳銃は、基本的に機械化兵相手にはきかない。
戦場の前線での使用を念頭に作られたサイボーグの装甲は、通常の銃弾は十分防げるようにつくられている。
装甲の薄い、人間そっくりの人型素体であっても、生身の人間にとっての急所、頭部や胸部への拳銃での攻撃はほとんどきかないはずだ。
関節などの装甲の弱い部分なら銃弾は貫くかもしれないが、致命傷を負わせることはできず、反撃にあうだろう。
それに、動きが制限される屋内の狭い場所は、スピードが強みのアズハにとって不利だ。
撤退一択。歩ならそういうだろう。
だが、今ここから退避すれば、ターゲットに逃げられてしまう。
ここでマスター・ジンを逃がせば、次はない。
サイボーグは銃を構えた。
だが、銃弾が到達する前に、アズハは大男にむかって跳躍していた。天井すれすれ、サイボーグの頭上を越え、アズハは、さかさまの視界の中で、太い首の後ろに銃口をつきつけ、引き金を引いた。
一回転してアズハが着地した時、サイボーグの重たい体は階段にゆっくりと倒れていった。
神経系統が集まっていて、かつ装甲が薄い首を破壊すれば動けなくなる……かもしれない、という賭けだった。
賭けに、勝ったようだ。サイボーグは動かない。
サイボーグは顔の表情だけを動かしつぶやいた。
「その身のこなし、お前もサイボーグ……いや、強化人間……」
皆まで聞かず、アズハは拷問部屋へと再び突入した。
不快な拷問愛好者の姿は、すでに室内にはなかった。
室内にあったのは短い生を終えた少女の死体一つだけだ。
死を悼む暇はない。
(どこへ行った?)
アズハは、うす暗い室内をライトで照らしだした。
立てかけられた棺桶のような拷問具の向こうにドアが見えた。ドアの上部には光の灯らない非常口の表示が見える。
(あのドアの向こうで罠をはり、待ち構えている……?)
一瞬、アズハは考えたが、即断した。迷っている暇はない。追わなければ、逃げられてしまう。
アズハがドアに向かって動きだした時、ヘルメットの中で歩の声が聞こえた。
「YからZへ連絡。建物の周囲に敵が集まっている。正面出入口はさけ、至急、上部から脱出せよ」
アズハは指示を無視して代わりに告げた。
「地下非常口らしき場所からターゲットを追いかける」
「いや、それ絶対、危険……」
歩が思わずそう口にした瞬間には、アズハは拳銃を構え、ドアを開けていた。
・・・・・・・
赤線地帯のすぐ外、赤線地帯への送迎用のタクシー等が並ぶ通りに、一台の古い車が駐車していた。
どこにでもありそうな車で、実はナンバープレートが付け替えられているが、見た目からはわからない。窓はスモークガラスだが、この辺りにならんでいる車は客のプライバシーを守るためにフルスモークにしていることが多い。
見た者は、この車も赤線地帯の客の送迎車だと思うだろう。
「はぁー。もう、これだから。勝手に猛進しちゃって」
変装をした歩が、アズハの言葉を聞いて車内で頭を抱えた時、窓をたたく音が聞こえた。
歩がふりかえると、窓の向こうに、帽子とマスクで顔を隠した小柄な人影がいた。外にいる人物はマスクをさげ、顔を見せた。
窓の外にいたのは、ユウカだった。
一気に危機感が歩の全身を走ったが、迷っているひまはない。
歩は車のカギを開けて、早く中に入るようにユウカに指示した。
ドアが閉まるとすぐに歩は小声でたずねた。
「なんで、君がここに? ……って、そうだった。君はエイティーだった」
「え?」
「自覚ないの? 俺がいる場所なんて君にはいつもバレバレだろ? その異能で」
「そんなに、はっきりわかるわけじゃない。今日は、たまたまわかっただけ。手伝わせて」
「君をまきこんだら、俺があの怖い女に殺されちゃうよ」
そうは言いながらも、この状況、どうしようもないと歩は悟っていた。
「彼女が無事に戻ってこられたら、でしょ? 彼女は今、戦っているんでしょ?」
歩は肩をすくめた。
「まぁね。俺も今日が人生最後の日かも。少なくとも彼女はその覚悟でいるみたいだ」
「だったら、私もいっしょに死なせて」
覚悟の決まっている声だった。
どうせいずれ、みんな死ぬんだ。どうとでもなれ。
歩はうなずいた。




