第87話 竜哭の遺跡⑨ 戻す強さ
こんばんは。
前回は、三層の罠と毒の待ち伏せ、そしてルーシーの背中をかばったケスディア。今回は、通路の奥から近づいていた重い足音と向き合います。
「下がる。さっきの分かれ道まで」
この幅では、盾の横を抜けられない。矢も、カイゼルの背中で止まる。五人は前を向いたまま、後ろ向きに下がった。足音は、下がった分だけついてきた。
二つ目の分かれ道は、三本の通路が出会う四角い部屋だった。荷車が一台、向きを変えられるほどの広さで、天井は一段高く丸い。古い大きな床石に、砂がうっすらと積もっている。
カイゼルは部屋の奥寄りで止まり、来た通路の口へ盾を向けた。
「散れ。口が三つとも見える所だ。ルーシー、俺の左後ろ」
「はい」
セリナが右の奥の壁へ、ケスディアが右の壁ぎわへ、カルヴァンが左の口のそばへ動いた。
足音が、止まった。
最初に見えたのは、通路の口の縁をつかむ太い指だった。それから、首をすくめた頭。濁った黄色の小さな目が、松明の火を映す。
それは背を丸めて口をくぐり、部屋の中で、ゆっくりと体を起こした。カイゼルの頭より、さらに腕一本分高い。灰褐色の分厚い皮が、胸も腹も覆っている。右手には、大きな獣の脚の骨をそのまま使った棍棒。太いほうの端が、床をこすっていた。
「……天井に、頭がつかえそう」
セリナが、息だけで言った。
「オルグだ。三層から下の、群れの頭だ」
左の口のそばで、カルヴァンが言った。
その後ろから、ゴブリンが四体すり抜けてきた。四体とも、オルグの半歩後ろで、柄を低く握っている。
「毒が四。大きいのの後ろ、全部です」
「見えた」
カイゼルの盾が、わずかに開いた。正面のオルグと一緒に、後ろの四体も盾の縁の内に入れる角度だ。
「あの皮じゃ、矢は深く入らねえ。俺は小さいほうをやる」
ケスディアが、番えた矢の先を後ろの四体へ向けた。
「聞いた」
オルグが、動いた。
二歩で間合いを詰め、棍棒を天井近くまで振り上げる。振り下ろす。
カイゼルは、真正面から受けた。
重い物どうしがぶつかる、鈍い音。盾ごと、カイゼルの体が後ろへ押された。靴底が砂ごと床石を滑り、二本の筋を引いて一歩分。後ろの足が床石の継ぎ目に掛かって、やっと止まる。
「カイゼル!」
「まだだ」
二撃目を、カイゼルは受けなかった。盾を斜めにして、棍棒を横へ流す。それた棍棒が床を打ち、古い床石の真ん中から、蜘蛛の巣のようなひびが走った。中心が指の関節一つ分沈み、まわりとの境目に段ができる。
盾を持つ左腕の布に、赤がにじんでいた。昨日、セリナがつないだばかりの腕だ。
オルグの後ろで、毒刃持ちが左右に分かれた。二体が右の口へ、二体が左の口へ。
「ケスディア、右の二。カルヴァン、左を見ろ」
カイゼルは盾を構え直し、振り向かずに言った。
「ルーシー、出ろ。斬ったら、戻ってこい」
「はい」
ルーシーは、剣の柄を握り直した。
◇
胸の奥の扉を、一段開ける。
狙うのは、左の膝の裏。太い腱が、剣の届く高さにある。左脇まで、開けた脚で三歩半。
棍棒が、振り下ろされた。
その下へ入る。カイゼルの盾へ落ちていく棍棒とすれ違うように、オルグの左脇へ。
三歩半。足は、思ったところに下りた。昨日の半歩は、今日は越えない。膝の裏が、目の前にある。
振った。速い。剣先が、思ったより早く届く。
けれど、刃の向きがついてこない。
(寝てる――)
見えていた。見えてから手首に届くまでに、刃はもう皮に着いていた。
刃が、滑った。
分厚い皮に白い線を一本引いただけで、腱には届かない。返ってきた力が手首の骨を打ち、手の中で柄が、がちっと鳴った。
扉を閉めた。
オルグの体が回る。盾にそれた棍棒を、そのまま横へ振り戻してきた。頭の高さを、骨が薙いでくる。
床へ、身を投げた。肩から落ちて転がる。棍棒の風が、後ろで結んだ髪の先を揺らした。三回目で、膝をついて止まる。右の肩が床を打ったとき、昨日の打ち身がずきりと鳴った。
「ルーシー!」
「平気です!」
カイゼルが盾の縁でオルグの膝を打ち、注意を引き戻した。オルグが、また正面のカイゼルへ向き直る。
右の口で、ケスディアの弦が鳴った。回りこもうとしていた一体が肩に矢を受け、通路の奥へ転がりこむ。もう一体が、その場で足を止めた。
「左、二。まだ口の中」
松明の光の中で、左の二体はそれ以上出てこない。光に出れば、矢が来る。オルグが盾を崩すのを、待っている。
◇
ルーシーは片膝のまま、息を一つ吸った。立ち上がり、構える。構えたまま、手首を固めた。刃は、もう寝ていない。
「滑ったか」
盾の陰から、カイゼルが聞いた。
「滑りました。次は、立てます」
「次で決めろ。俺の腕は、あと三つだ」
盾がまた鳴った。上から、横から。カイゼルは一つずつ斜めにそらし、そのたびに足が砂の上を半足ずつ下がる。下がるたびに、後ろの足を継ぎ目に掛け直した。籠手の布の赤が、広がっていく。
「……二つ」
カイゼルが、自分で数えた。
「数えてないで、下がって!」
「下がったら、口が空く」
セリナの声に、カイゼルは振り向きもしなかった。
ルーシーの目は、割れた床石を見ていた。オルグの足もと。沈んだ真ん中と、まわりとの段。割れたばかりの段の縁には、砂が積もっていない。
(あそこなら、滑らない)
後ろを、ちらりと見た。オルグの左後ろへ回れば、背中は左の通路の口を向く。右の壁ぎわで、ケスディアの矢の先は、ちょうどその口に向いていた。
ケスディアはこちらを見なかった。ルーシーも、声はかけない。背中のことは、もう考えなくていい。
オルグの右肩の筋が、ぐっと盛り上がった。振り上げる前の合図だ。そのあいだ、黄色い目はカイゼルの盾しか見ていない。
走った。
二歩は、いつもの脚。三歩目のつま先を、割れた段の縁に掛ける。
その一歩から、扉を開けた。
段の縁は動かない。押した力が全部、体を前へ運んだ。
膝の裏の前。思ったとおりの場所。皮の下で、太い腱が縄のように張っている。刃の角度は、構えたときのまま。今度は、手首を動かさない。
刃が、皮に立った。
皮が裂け、刃が腱に届き、止まらずに断ち切って抜けた。
オルグの左膝が、がくりと折れた。棍棒を床について支えようとして、支えきれずに膝から落ちる。床石が鳴った。
扉を閉めた。数えれば、二つ。
膝をついたオルグの喉が、ちょうど目の前の高さに下りてくる。一振りで、届く。
(戻ってこい)
ルーシーは、追わなかった。剣を引き、二歩下がって、カイゼルの左後ろへ戻る。
オルグが、見えない相手を払うように、棍棒を闇雲に横へ振り回した。
カルヴァンが松明を左手に持ち替え、右の人差し指をオルグの顔へ向けた。指先に、豆粒ほどの丸い火。それが指を離れてまっすぐ飛び、オルグの右目のすぐ横で、ぱっと弾けた。
オルグが吠え、棍棒を放して両手で顔を覆う。カルヴァンは指を下ろした。二つ目は、撃たなかった。
「ケスディア、大きいほう。撃て!」
カイゼルが前へ出て、顔を覆ったオルグのこめかみに、盾の縁を叩きつけた。頭が横へ揺れる。
ケスディアはもう、右の壁ぎわからオルグのすぐ横まで踏みこんでいた。
弦を、頬の手前まで引く。指には、まだしびれが残っているはずだった。この近さなら、それで足りる。
矢は、顎の下のやわらかいところから斜め上へ、羽の根もとまで入った。
オルグの体から、力が抜けた。ゆっくり前へ傾き、カイゼルが一歩引いた床の上に、うつぶせに倒れる。床石が、もう一度鳴った。
左の口の二体と右の口の一体が、倒れた頭を見た。互いの顔を見るように頭を動かし、それから、いっせいに奥の暗がりへ消えた。肩に矢を受けた一体の這う音が、遅れて続く。
ルーシーは、オルグが出てきた通路の口を見た。口の手前の砂に、オルグの太い足跡。その下に、小さな足跡が三つあった。灰狼団の足跡を、オルグの足跡が上から踏んで、こちらへ出てきている。
三人の行った先から、オルグは来たのだ。
カイゼルも、その足跡を見ていた。
◇
剣を下ろしてから、右手の指先が細かく震えているのに気づいた。寒いのでも、怖かったのでもない。たぶん。
手のひらを開くと、親指の付け根の皮が一枚めくれて、赤い肉がのぞいていた。一度目に刃が滑ったとき、柄が手の中で暴れたのだ。痛みは、見てから来た。
柄に巻いた紐が、指一本分上へずれている。刃の根もとを親指で押すと、刃が、目で見てわかるほど柄の中で動いた。
(……見なかったことに、したい)
セリナが来て、めくれた皮から、ルーシーの顔へ目を上げた。
「戻ってきたじゃない」
「はい。戻ってこい、と言われたので」
「言われたとおりに戻ってくる人、少ないのよ」
セリナはもう、カイゼルの籠手の布を見ていた。
「表だけだ」
カイゼルは盾を持つ左腕を回してみせた。
「今日はもう、正面で受けないで」
「数えてあった。あと二つは受けられた」
「受けないで」
セリナは膏薬を塗って、布をきつく巻き直した。
ケスディアは右の指を握って開いてから、床に落ちた自分の矢を拾いに行った。肩に矢を受けて逃げた一体の分は、通路の奥へ持っていかれている。戻ってくるついでに、松明を持ったカルヴァンの横で足を止めた。
「さっきの火。一つかよ」
「一つで足りた」
「出し惜しみだろ」
「火はな、足りたら終いだ。二つ目は、ただの無駄だ」
それから、カルヴァンはルーシーのほうを見た。
「上げたか」
「上げてません。二度とも、一段のままです」
「なら、いい」
◇
カルヴァンは、倒れたオルグの首のそばにしゃがんでいた。
「これを見ろ」
布を巻いた手で剣を鞘に戻し、ルーシーはカルヴァンの横へ行った。カイゼルも来る。
太い首に、鉄の輪がはまっていた。幅は手のひらほど、厚みは指一本分。皮のひだに半分埋もれて、さっきまで誰の目にも見えていなかった。表面には、槌で叩いた跡がでこぼこのまま残っている。どこかの鍛冶場で、人の手が叩いて伸ばし、曲げたものだ。
半円の帯が二本、首の左右で重ねられ、鋲で留めてあった。右の重ね目に四本、左にも四本。どの鋲も同じ大きさで、頭の丸みが同じで、鋲と鋲の間がどれも指二本分。ずれているところが、一つもない。
「……うちの家の鍛冶場でも、ここまではそろえねえ」
のぞきこんだケスディアが、低く言った。
カルヴァンが、輪のまわりの皮を指で押し広げた。輪の当たる所だけ、皮がたこのように厚い。
「昨日今日はめた物じゃない。長いこと、この首にあった」
「首輪……飼われてたってこと?」
セリナの声が、小さくなった。
カイゼルが鋲の一つに指先で触れ、つぶやいた。
「誰がこれを付けた」
いつも読んでいただき、ありがとうございます!
「面白かった」「続きが気になる」と思っていただけたら、ブックマークや、ページの一番下にある【☆☆☆☆☆】から評価をいただけると、執筆の励みになります。
応援よろしくお願いします!




