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異世界で普通に生きるために危ない仕事をする 〜なぜか体だけが強すぎる元会社員、目立たず働きたいだけなのに〜  作者: Yuki
第二章 竜哭の遺跡

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第88話 竜哭の遺跡⑩ 先に降りた者たち

こんばんは。

前回は、大型のオルグとの一戦と、「出ろ。斬ったら、戻ってこい」。今回は、その首にあった首輪の謎と、三層で見つかる昔の痕跡の話です。

 答えの代わりに、カルヴァンは重ね目の鋲(びょう)を一本ずつ指先でたどり、輪のまわりをぐるりと確かめていった。首の後ろへ回り、皮のひだを押し広げて、輪の内側までのぞきこむ。

「留めているのは、鋲(びょう)だけだ。蝶番(ちょうつがい)も、外す留め金もない」

「つまり」

 カイゼルが促(うなが)した。

「一度はめたら、外すつもりがない。そういう作りだ」

 カルヴァンは手を離し、開いたままのオルグの目を見下ろした。

「群れの頭に、首輪だ。ふつうは、ほかを従えて動く奴なんだがな」

 ルーシーは、この首に輪をはめた誰かの姿を思い浮かべようとした。何も浮かばなかった。

「持って帰る」

 カイゼルが腰の短剣を抜き、刃先を下に、柄頭(つかがしら)を上にして持ち直した。

「鋲(びょう)の頭を落とす。ルーシー、石を持て。叩(たた)くのはお前だ」

 右の手のひらは布を巻いただけなので、部屋の隅の拳(こぶし)ほどの石は、左手で拾った。指先の震えを、一度握りこんで押さえる。

 カイゼルが短剣の刃先を、鋲(びょう)の頭の根もとに斜めに当てた。

「卵を割らないくらいで叩(たた)けよ」

 横からのぞきこんで、ケスディアが言った。

「卵は、前に二つ割らせて、鉄貨四枚払いました」

「……何の話だよ」

 (エルデンの、最初のころの話です)

 卵の殻(から)の上に、石を置くつもりで。持ち上げるのは、拳一つ分。振り下ろすのではなく、石の重さに、手首を一つだけ足す。

 こつ、と小さな音がした。

 鋲(びょう)の頭だけが、ころりと床に落ちた。短剣の刃先は、鋲(びょう)の根もとに当たったまま、少しも跳ねていない。

 カイゼルは刃先を確かめもしないで、次の鋲(びょう)へ短剣を移した。

 二本目も、三本目も、同じ音がした。

 (今日は、卵は無事です)

 二つに分かれた鉄の帯は、カルヴァンがアイテムボックスにしまった。

「ケスディア。指を握って、開け」

 カイゼルに言われて、ケスディアは右手を握って開いてみせた。

「動く」

 指の動きは、朝より遅い。

 セリナが、今度はルーシーの右手を取って、自分で巻いただけの布をずらした。皮だけなので治さなくていいです、と先に言うと、セリナは布を戻して、手を離した。

「今夜は、ゆるく巻いておくだけにしなさい。汗で張りついたまま乾くと、はがすとき、またむけるわよ」

 カイゼルが立ち上がり、オルグの出てきた通路の口を見た。三本指の大きな足跡が、灰狼団(はいろうだん)の足跡を踏んだまま、奥の暗がりへ続いている。

「来た方を見る。見るだけだ。並びは今までどおり」




    ◇




 足跡をたどって二百歩ほど行くと、腐った臭(にお)いが一歩ごとに濃くなった。後ろで、セリナが袖で鼻を覆(おお)う気配がした。

 通路の先が、開けた。天井の一部が崩れ落ちて、床の真ん中に人の背丈(せたけ)ほどの瓦礫(がれき)の山ができている。カルヴァンが松明(たいまつ)を掲げると、光の届くかぎり、床が白い丸いものに覆われていた。

 卵だった。大人の拳ほどで、半ば透きとおった殻を、ぬめる粘液(ねんえき)が覆っている。床に何十個もの塊になって並び、壁にも、ぶどうの房(ふさ)のように貼(は)りついていた。どの殻にも、中で何かが丸まっている影が透けている。

 塊と塊のあいだの細い隙間を、オルグの足跡が何度も行き来して、砂を固く踏み締めていた。

「何の卵だ」

「分からん」

 カルヴァンが首を横に振った。

「だが、この数だ。一層でいくら倒しても減らなかった。その出どころの一つが、ここだろう」

 カイゼルは広間の入口に立ったまま、卵の列を端から端まで目でたどった。

「焼けるか」

「測る。少し待て」

 崩れた天井の縁(ふち)から、黒い亀裂(きれつ)が奥へ走っている。カルヴァンはその下で小枝を燃やしては吹き消し、煙が三度とも亀裂へ吸いこまれるのを見届けた。

「抜ける。だが、一度に焼けばあふれるし、熱した天井の石は割れて落ちる。三度に分けて、小さく焼く」

 油を染ませた古布を、長い枝の先で手前の塊に載(の)せ、指先の火を移す。

 卵が、鳴いた。ルーシーには、そう聞こえた。ぷつ、ぷつと殻の中の水が煮え、白い湯気が黄色い煙に変わって、亀裂へ吸いこまれていく。割れた殻の中で、丸まっていた影が黒く縮んだ。

「……夢に出そう」

 セリナが、袖の中で言った。

 二度目は、広間の奥の、瓦礫(がれき)の山の手前の塊だった。煙が抜けたあと、焼けた塊の下から、拳より少し大きな石が輪の形に並んでいるのがのぞいた。輪の内側の石は、煤(すす)で黒い。

「何を見てるの」

 隣に来たセリナが聞いた。

「石の並びです。……焚(た)き火の跡です。ずっと昔の」

 カルヴァンが三枚目の布に油を染ませ、右の隅の、壁から床へ流れるように貼りついた塊の根もとに載せた。それから足もとの枯れ枝を一本拾い、先に指先の火を移して、ルーシーを見た。

「お前がやれ」

 燃えている枝を渡され、布を指さされる。

「置け。投げるな」

 布の手前に、しゃがんだ。

 指ほどの太さの枝を、右の親指と人差し指でつまむ。枝の練習の持ち方だ。炎の先がまっすぐ上を向いたままでいられる速さで、布へ運ぶ。

 あと手のひら一枚というところで、塊のほうから、ぷつ、と音がした。

 耳がそちらを向き、息が乱れる。乱れた分が、指先へ押し寄せる。指が、締まりかける。

 締めない。耳が向いても、指は置いたまま。

 跳ねかけた手が、その場で止まった。炎の先が一度だけ揺れて、また上を向く。

 炎の先を、布の端にそっと触れさせた。押さずに、置いて、枝を引くだけ。油を吸った布が火を受けとめ、布の広さの分だけ燃え広がって、そこで止まった。すぐ上の塊にも、隣の塊にも、火は届かない。

 ルーシーは燃えさしを床石(ゆかいし)に押しつけ、靴の裏で踏んで消した。

 カルヴァンは、三度目の煙がすっかり亀裂へ抜けるまで見届けた。

「……一回、跳ねかけました」

「止めたろ。なら、跳ねたうちに入らん」




    ◇




 焼け跡が冷めるのを待って、カイゼルが古い焚(た)き火の跡へ近づき、剣の先で灰をかき分けた。

 一つ目は、剣だった。根もとから先まで赤茶けた錆(さび)に食われ、ところどころ穴が開いている。柄の木は、触れると崩れた。

 二つ目は、手のひらほどの金属の板。カイゼルが籠手(こて)の甲で灰をぬぐうと、くすんだ金色が現れた。ギルドの名と持ち主の名が刻まれた面を、斜めに一本、ひびが走っている。ひびはちょうど名前の上を通っていて、ルーシーのいる場所からは読めなかった。

「……金だ。Bだな」

 ケスディアが、自分の胸もとに手をやった。

 三つ目は、硬くなった革の小さな包みだった。カルヴァンがこわばった革を、破らないように少しずつ開く。帳面(ちょうめん)から破りとった紙が、一枚。茶色く変わり、端は縮れているが、字は読める。

 カルヴァンは、紙の上の端の日付をしばらく見ていた。

「二十年と少し前だ」

 何行かを目で追い、最後の行を、声に出して読んだ。

「五層を越える。六層の扉の前で」

 字は、そこで終わっていた。「前で」の下で、紙が斜めに破れている。

 卵の焼けた臭いだけが、広間に残っていた。

「プレートは、ギルドへ返す。名前は、記録係なら刻みの残りで読める」

 カイゼルが差し出すより先に、ケスディアが手を伸ばしていた。袖で表面の灰をていねいにぬぐい、ひびを親指でなぞる。

「……俺が持つ」

 カイゼルはケスディアの顔を見て、うなずいた。

「なくすなよ」

 紙は革に包み直して、カルヴァンがしまった。錆(さ)びた剣は、持ち帰るには重い。カイゼルはそれを、石の輪の脇にまっすぐ立てかけた。

「六層の扉の前で書いたものが、どうして三層にあるんでしょうか」

「分からん。ここで野営をした連中がいた。それだけは確かだ。考えるのは、地上に戻ってからだ」

 カイゼルは広間に背を向けた。

 (六層の、扉の前で)




    ◇




 地図では、三層から四層へ下りる階段は二本ある。五層へ続く道が描かれているのは、三層のいちばん奥、西の端の階段だけ。もう一本は、この広間の近くの、東の端の細い階段だった。

「東を見ておく。下りはしない。帰り道に使えるかもしれん」

 東の階段は、人ひとりがやっと通れる幅で、暗い下へ続いていた。

 口まで来たとき、カイゼルが手を上げて止まった。下から、何かを引きずる音と、乾いた咳(せき)。

 ケスディアが矢を番(つが)え、段の下へ向けた。かすれた声が、上がってきた。

「……上に、誰か、いるのか」

 ケスディアが、矢を下ろした。

 段の上に顔を出したのは、灰狼団(はいろうだん)の斥候(せっこう)のピップだった。弓を持っていない。背中の矢筒(やづつ)は空で、片方の肩紐(かたひも)がちぎれている。ピップは段に膝をつき、脇の下に腕を回した男を引き上げようとしていた。ダリルだった。

 ピップは段の上の顔を見回して、まっすぐルーシーに言った。

「……そっち、頼む」

 ルーシーは段を三つ下り、ダリルの反対側の脇に手を入れた。持ち上げて、段の上の床にそっと下ろす。ピップはその横に尻をついて、肩で息をした。

 ダリルの顔は、土のような色をしていた。右の袖が肘の上で裂け、前腕(ぜんわん)の傷の縁が緑がかった黒に変わっている。腫(は)れは指先まで届き、指は紫色だった。

 最後に、ノーラが手と膝で段を這(は)い上がってきた。唇が白く、目の焦点が合っていない。立たせようとすると、膝から力が抜けて、またしゃがみこんだ。

 セリナがダリルの横に膝をつき、傷を見て、一度だけカイゼルを見た。

 カイゼルは、止めない。

「止めるだけよ」

 ダリルの顔は見ずに、セリナは両手を傷の上下に当てた。

「毒が肩のほうへ回るのを、止めるだけ。治しはしない。上に出たら、すぐ治療所に行きなさい」

 手のひらの下で、腫れがそれ以上広がらなくなる。紫だった指先に、赤みが戻った。手を離したとき、セリナの額(ひたい)に汗が浮いていた。

「何があった」

 カイゼルが聞いた。ピップが、とぎれとぎれに答える。

「今朝、東から、四層に下りた。狭いとこに、白い糸が、何本も。ダリルが剣で切って……切れないんだ。刃に絡んで。そこへ、後ろから、黒い刃のゴブリン。糸に足取られて、囲まれて、ダリルが腕を……。俺は、弓ごと糸に取られて、弓、捨てて」

 ケスディアが、ピップの空の矢筒を見た。

「矢は」

「あんたにもらったのは、三本撃った。三本とも、当たった」

「まっすぐなんだから、当たり前だ」

 ケスディアは、きちんと留まっている自分の矢筒の覆いを、わざわざ外して、また留めた。

 ノーラがしゃがみこんだまま顔を上げ、ルーシーを見た。

「火……大きくは、しませんでした。狭くて、煙が下りてくるって、言われたから。小さく、しようとして、糸を焼こうとして……でも、消えるか、大きくなるかで。何回も、やり直して」

 そのうちに、魔力が尽きたのだ。ルーシーはノーラの前にしゃがんだ。

「言われたこと、守ったんですね」

 ノーラは泣きそうな顔で、うなずいた。

 床に座りこんだダリルが、カイゼルを見上げた。

「……あんたの言ったとおりだった。決めるのは俺だって。俺が決めて、こうなった」

 カイゼルの目が、ダリルの指先に落ちた。

「来た道を戻れ。三層から上は、俺たちが一度通っている。止まらずに歩けば、今日のうちに地上へ出られる」

 カイゼルは地図の上で、来た道を一つずつ指で示した。ピップが、一つ聞くごとに声に出して繰り返す。

「二つ目の角の手前の糸は、またぐ。膝を高く」

「一層の奥の裂け目には、近づくな」

「裂け目には、近づかない」

 ダリルは今度は、あごを上げなかった。

「ああ。戻る」

 カイゼルが目を向けると、カルヴァンはアイテムボックスから、黒パンと干し肉を三人の一日分だけ出した。ピップがそれを空の矢筒に詰めようとすると、ダリルが左手で自分の腰の袋の底をさぐり、残っていた干し肉を一切れ、先に矢筒の底へ落とした。何も言わなかった。

 ルーシーは腰の袋から、固焼きの麦菓子を二枚出して、ノーラの手に握らせた。ノーラは首を振りかけて、それから、小さな声で言った。

「よく食べて、よく寝る、ですよね」

「はい」

 ノーラは麦菓子を胸に抱えて、ピップの肩を借りて立ち上がった。三人の灯(あか)りは、通路の角で一度揺れて、消えた。

「今渡した分を引くと、食料は実質六日分だ」

 カルヴァンが地図を畳(たた)んだ。カイゼルはうなずいた。

「明日は、四層の入口まで行く。入るかどうかは、入口で決める」

「東から?」

 セリナが聞いた。

「東の下は糸の巣だと、あいつらが言った。地図の道で行く。西の階段だ」




    ◇




 その夜は、東の階段から少し離れた、壁の崩れた小部屋で野営をした。天井に、指の幅ほどの隙間がある。

 カルヴァンが小枝を一本燃やして、煙が隙間へ吸われていくのを見た。それから、鼻で一度、ゆっくり息を吸った。

「なんで毎晩それやるんだよ」

 荷を下ろしながら、ケスディアが聞いた。

「卵の腐った匂いはな、下に燃える気がたまってる匂いだ。そういう所で火を使えば、穴ごと爆(は)ぜる。爆ぜなくても、火が空気を食って、先に人が倒れる」

「さっき、卵を焼いたじゃねえか」

「あれは、腐った肉の匂いだ」

「……火の魔法使いのくせに、火を使うなって話ばっかりだな」

「使う話は、短くて済む」

 カルヴァンは小枝を消して、ルーシーにあごで焚(た)きつけを示した。ルーシーの打った火は、すぐに薪(まき)へ移り、煙は隙間へ細く吸いこまれていった。カルヴァンは、もう火のほうを見ていなかった。

 見張りの前半は、ルーシーとケスディアだった。入口の両側に分かれて座り、ルーシーは西の暗がりを、ケスディアは東の階段のほうを見る。小さな焚(た)き火の明かりが、ケスディアの矢筒の覆いを照らしていた。窪地(くぼち)の朝の焦(こ)げが、まだ残っている。

 ケスディアの手の中で、何かが光った。金のプレートだった。右手の指に挟んで、ゆっくりと回している。表、裏、また表。ときどき手を止めて、指を握っては開く。しびれが、まだ残っているのだろう。それでも、回す手は止めない。

 薪が一本、小さく崩れた。

「五層でやめる奴らだったら」

 東の暗がりを見たまま、ケスディアが言った。

「帰ってたのかな」

 すぐには、答えられなかった。あの紙を書いた人たちは、五層を越えると決めたのだ。

「……わかりません」

 プレートが、また一回転した。

 竜哭(りゅうこく)に入る前の日、ルーシーもカルディナのギルドで死亡同意の紙に名前を書いた。二枚目だった。このプレートの持ち主にも、きっと同じ紙が一枚あった。

 しばらくして、ずっと言いそびれていたことを口にした。

「昼前の、吹き矢のこと」

 ケスディアの手が止まった。

「ありがとうございました。あのとき、背中は、まったく見えていませんでした」

 ケスディアは、こちらを見なかった。プレートを握りこんだ手を膝の上に置き、東の暗がりに目を向けたまま、ぶっきらぼうに言った。

「腕を固めたら、背中が空くんだろ」

 少し、間があった。

「……背中は、俺が見る」

いつも読んでいただき、ありがとうございます!

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