第81話 竜哭の遺跡③ 減らない数
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お礼に、今日はお昼と夜にも1話ずつ投稿します。
前回は、遺跡の入口と一層の最初の戦い。倒しても倒しても、数が減りませんでした。今回は、その群れとどう付き合うかの回です。
減ってない、という言葉のあと、誰もすぐには口を開かなかった。
苔を踏む小さな音が、さっきより近い。右からも、左からも、正面からも。一つずつは小さいのに、重なると、湿った回廊全体が低くざわめいて聞こえた。
盾を構えたまま、カイゼルが言った。
「方針を変える。全部は倒さない」
松明の光が届くぎりぎりの、通路が十字に交わる場所を、顎で示す。
「交差点で受けて、抜ける。抜けたら、次の交差点まで進む。数えるのは、倒した数じゃない。進んだ距離だ」
「交差点は三つある」
最後尾から、カルヴァンが言った。
「三つ目を抜けた先に、扉の残っている小部屋が描いてあった。昼は、そこで休める」
「ルーシー。お前は真ん中だ。俺とセリナの間が空いたら、そこから入られる」
「はい」
「ケスディア。交差点では、奥まで見通せる筋がある。そこだけ撃て。撃った矢は、抜けるときに拾え」
「拾いながら撃てって?」
「そうだ」
ケスディアは舌打ちをして、矢を一本番えた。
「……わかった」
◇
最初の交差点では、正面から五体、右の通路から三体来た。カイゼルの盾が正面を受け、ルーシーは右の通路の口の真ん中に出て、剣先を胸の高さに置いた。
三体は、口の手前で足を鈍らせた。剣先が開けているのは、通路の左半分だけだ。三体はそちらへ寄り、正面の群れへ流れていく。そこには、カイゼルの盾がある。
「撃て」
矢が盾の上を越え、正面の奥へ一直線に飛んだ。後ろから押していた一体が倒れ、それにつまずいた何体かで、前の押しが一瞬ゆるむ。
「抜ける」
五人は左へ抜けた。ルーシーはカイゼルとセリナの間に体を入れ、ケスディアは通りすがりに、苔の上の矢を一本拾い上げた。
二つ目の交差点では、角に着く前に、カイゼルが言った。
「ルーシー、右」
言われた口に立つ。剣先を置く。群れが曲がる。矢が飛ぶ。抜ける。
後ろで、セリナが小声で言った。
「声は名前と指示だけなのに、ちゃんと回ってるわね」
「回さないと、死ぬ」
ケスディアが言った。
「そういう言い方しかできないの?」
◇
三つ目の交差点は、小さな部屋ほどに広かった。天井も少し高く、太い石の梁が十字に渡してある。梁と天井のあいだには、腕一本分ほどの暗い隙間があった。
正面の群れが、カイゼルの盾に三体まとめて重なった。一体が正面を叩き、一体が縁に肩を入れ、一体が二体の背中を押す。カイゼルの靴底が、濡れた苔の上をじりじりと後ろへずれていく。
ルーシーは右の通路を見ていた。右からは何も来ない。その目の端に、動くものが入った。
梁の上。一体のゴブリンが、梁と天井の隙間を四つ足で這っていた。盾の上を越えて、頭上へ回りこんでいる。カイゼルは盾の前を、カルヴァンは正面の奥を見ている。ケスディアは「撃て」を待っている。誰も、気づいていない。
ゴブリンが、梁の上で止まった。真下に、セリナ。
その体が、縮んだ。
外の人間の前では、やるな。――ここにいるのは、五人だけだ。
胸の奥の扉を、一段開けた。
一つ。
縮んだ背中の筋が、一本ずつ見えた。セリナまで、二歩。一歩目の先に、苔のはがれた継ぎ目がある。
つま先を掛けて、蹴る。二歩目は、セリナの脇の、苔の薄い所へ。体を、セリナと落ちてくる筋のあいだに入れた。
ゴブリンが梁を離れた。その体が目の高さを過ぎる前に、剣を振る。刃の通り道は、セリナから離れる向きに引いてあった。
手ごたえは、一つ。落ちてくる体が二つに分かれ、ルーシーの肩をかすめて左右に落ちた。
刃は、床の苔の、指二本分上で止まった。
二つ。
扉を閉めた。肩は、下げたままで。
セリナがゆっくり振り返った。結んだ髪の、こめかみのあたりに、赤い線がひとすじついている。
そのとき、手の中で音がした。剣を下ろそうとした拍子に、柄の内側で、金と木がこすれるような、短く乾いた音。耳ではなく、握った手のひらで聞いた。
(……今の、何)
握り直してみる。今度は、鳴らない。
正面では、カイゼルが残りの三体を、ケスディアの矢と短い剣で片づけていた。最後の一体が倒れると、盾を構えたまま、梁を見上げる。
ケスディアは自分の矢を二本拾い、羽の折れた一本を別の場所に差して、並んだ羽を指でなぞった。
「残り、三十五」
カイゼルが、ルーシーを見た。
「梁の上。いつ気づいた」
「縮んだときです。跳ぶ前に。踏み出したのは、二歩です」
カイゼルの指が、盾の縁を一度叩いた。
「俺は、盾の前しか見ていなかった」
それだけ言って、次の通路へ盾を向けた。
セリナが、こめかみの赤い線を指でなぞりながら、ルーシーの首の後ろを見ていた。
「……また湯気、出てるわよ」
「やかんじゃ、ないです」
「言ってない」
ケスディアの肩が、小刻みに揺れていた。
◇
昼の休みは、扉の残っている小部屋でとった。
入口の分厚い木の扉は、蝶番一つでかろうじてぶら下がっていた。
「はめておけ」
カイゼルに言われて、扉の下の端に両手を入れた。残った蝶番は、枠の木ごと腐って黒い。そのまま持ち上げれば、重さが全部そこにかかる。
(重い側は、自分で持つ。……倉庫と同じだ)
扉の重さをいったん全部手のひらに受けてから、蝶番を遊ばせたまま、枠の高さまでそっと上げた。錆びた釘は、一度も鳴らなかった。持ち上げた扉の脇を、セリナが何も言わずにくぐって中へ入っていく。
カイゼルが反対の端に手を添え、二人で入口にはめこんで、内側から石を二つ噛ませた。完全には閉まらないが、何かが来ればすぐにわかる。
カルヴァンが腰のポーチの口を開けると、床に豆のスープの鍋と、水樽と、黒パンの包みが出てきた。短い蝋燭に火を移して、松明は苔に押しつけて消す。
蝋燭の光の中で、カルヴァンの額に汗が浮いていた。湿って冷えた部屋で、汗をかくようなことは何もしていない。手の甲で額をぬぐい、壁に背中を預けて、目を閉じる。
「カルヴァン。林の坂で、染料の箱を出したときも、汗をかいていました」
カルヴァンが目を開けた。
「……見てたか」
「見ていました」
少し間を置いてから、指がポーチの口を叩いた。
「出し入れで食う。重い物ほどな。しまっておくだけなら、食わん」
「じゃあ、宿で全部入れたときも」
セリナが言った。
「重かった」
あっさり返ってきた。セリナが鍋の取っ手に手を伸ばすより先に、カルヴァンが鍋の腹へ手のひらを当てた。炎は出さない。しばらくすると、鍋から湯気が立ちはじめた。
「それは、食わないの?」
「これくらいは、食わん」
食事の途中で、扉の外の回廊を何かが通っていった。苔を踏む足音がいくつも重なり、噛ませた石のすぐ外を、右から左へ過ぎていく。十か、それより多い。五人は匙を置いたまま、足音が奥へ消えるのを待った。
セリナが、ケスディアの右の肩に手を当てた。
「何本」
「七本。続けては、三本」
「なら、いいわ」
黒パンを持ったまま、ケスディアが壁の一点を見ていた。
「さっきの交差点。三つとも、いちばん多いのは北東の通路からだ」
「右から来たり、正面から来たりしてたぞ」
カイゼルが言った。
「こっちが曲がって、向きが変わってただけだ。地図の上なら、全部北東。……今、外を通ってったのも、北東から来て、南西へ抜けた」
ケスディアの黒パンが、左、右と小さく向きを変えた。
カルヴァンが背嚢から一枚の紙を出した。ネイサンの帳面から写させてもらった、一層の地図だ。木炭の棒で、三つの交差点から北東へ一本ずつ線を引く。
三本の線が、一点で重なった。そこには何も描かれていない。古い通路が一本、行き止まりになっているだけだ。
「出どころがあるな」
カイゼルが言った。誰も反対しなかった。
セリナは、乾きかけたこめかみの血を、濡らした布でぬぐっていた。
「助かったわ。ありがとう。……でも、ここ、髪は洗えないのよ」
「すみません」
「謝るところじゃないわよ。頭を割られるより、ずっといいもの」
昼のあと、カイゼルが荷を割り振った。
「鍋はセリナ。使いかけの水樽はルーシー。出し入れのたびにカルヴァンの魔力を食うより、そのほうがいい。以上」
「水なら、運べます。樽で」
「知ってる」
カイゼルは、もう盾を持ち上げていた。
(知ってる、と言われた)
樽の紐を肩に掛けると、水が背中で一度だけ揺れて、すぐに落ち着いた。
◇
「確かめるだけだ。出どころがわかれば、二層への道を、そこから遠い側で選べる」
カイゼルはそう言って、北東へ盾を向けた。
北東へ向かう通路は細く、天井も低かった。壁から染み出した水が、床に浅い筋になって流れている。筋は、北東から手前へ流れていた。奥が、わずかに高い。
途中で二度、北東から来た小さな群れを通路の脇へ流した。奥へ進むにつれて、壁の石が手前へせり出し、継ぎ目に指が入るほどの隙間が開いてくる。
通路を曲がった先で、カイゼルが手を上げた。
右の壁の一部が崩れ、四角い石がいくつも床に転がっていた。崩れたところに、人がかがめば通れるくらいの、縦に長い裂け目が口を開けている。
石は、どれも通路の側に転がっていた。向こうへ落ちた石は、一つもない。割れ口は白く乾いていて、苔がまだ一枚もついていなかった。
「内側から、押されてる」
ケスディアが言った。
裂け目の奥から、湿った冷たい風が来ていた。松明の炎が、手前へ傾く。風に混じって、土の匂いがした。奥のほうで、石と石のあいだを何かがこすれて通っていく音が、かすかに聞こえる。小さな気配が、いくつも。
「風があるなら、奥は広い。どこかへ抜けている」
カルヴァンが言った。
「潰しに行かない。記録だけだ」
カイゼルは、盾を裂け目に向けたまま動かなかった。ケスディアの目が、裂け目からカイゼルへ移る。
「出どころがここなら、ふさげば減るんじゃないのか」
「ふさぐ石を、誰が積む」
カルヴァンが答えた。
「かがんで入れば、盾は構えられない。松明一本で、風の吹いてくる穴に入る理由はない」
「目標は五層だ。ここは、帰って記録係に渡す。あの帳面に足りないのは、それだと言われただろう」
カイゼルの言葉に、ケスディアは弦から指を離した。
カルヴァンが地図を膝に広げ、ただの壁だった所に、小さなばつ印を書きこんだ。横に、短く書き添える。新しい。内から。風あり。
ルーシーは裂け目の縁へ、一歩だけ近づいた。カイゼルがちらりとこちらを見たが、止めはしない。崩れ残った床の石を踏み、足の裏に意識を集めた。街道のくぼみの縁で感じた、あの浅さを探す。
「カイゼル。ここの床は、ふつうです。街道のくぼみの感じは、ありません」
カルヴァンが、ばつ印の横にもう一言書き足した。床、ふつう。
(違うのに、どっちも、内側から何かが来ている)
カイゼルが、盾を裂け目に向けたまま、一歩ずつ後ろへ下がりはじめた。
「下がる。背中は見せるな」
五人は裂け目から目を離さずに、来た通路を後ろ向きに戻った。ルーシーはカイゼルの盾の右後ろで、裂け目と自分のあいだに剣先を置いたまま、一歩ずつ下がった。
裂け目の奥からは、湿った風と一緒に、数えきれない小さな気配が、ゆっくりとこちらへ流れてきていた。
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