第72話 中級ダンジョン
ルーシーは少し考えた。考えて、いちばん正直な答えを選んだ。
「……囲まれて、面倒だったので」
セリナが、杯を置きそこねた。卓に、酒が一滴はねた。
「理由が雑」
「雑なのに、結果が出てるのが腹立つ」
ケスディアが、鼻の頭に皺を寄せた。
「腹立てるな。次に生かせ」
カイゼルは杯を置いた。
「俺も詳しくは知らないが。多分ヴァルキアだ。Aの連中が使う技だ。制御できなきゃ、隣が死ぬ」
エリーの肩が、ぴくっと動いた。すぐに視線を落としたが、耳だけはこちらを向いている。
「その隣、さっき私だったんだけど」
セリナが、髪紐の結び目のこぶを、指でつついた。
カイゼルは、椅子の背に立てかけた盾へ目をやった。縁に、指の幅ほどの欠けがある。
「その前の一振りは、俺の盾を削ったがな」
「弁償します」
「縁だけだ。直せる」
カイゼルは、声を落とした。
「それで、次の話だ。カルディナへ行く。明後日から動く。護衛を一本取って、その流れで中級へ入る。中で何日か泊まる。野営だ」
杯の縁を、親指でなぞる。
「北が閉じて、荷がみんな東へ寄ってる。寄った所には、鳥笛を吹く連中が湧く。荷主は腕のある護衛を欲しがってる。だから、先に荷を通す」
斜面の笛の音が、耳の奥で一度鳴った。
「ルーシーも一緒に行くわよね」
「呼ばれた仕事なら、行きます」
「野営かあ。体が洗えないのが嫌なのよね」
「水なら、運べます。樽で」
「樽で?」
セリナが、厨房の脇に据えてある水樽を顎で指した。腰の高さほどもある、黒い箍の樽だ。
「あれ?」
「はい」
ルーシーは椅子を引いて、立ちかけた。
厨房の戸が開いた。大鍋を運んできた店員が、何も言わずに水樽の前へ出て、両腕を広げた。
「うちのは、運ばないでください」
ケスディアが、声を出して笑った。笑ってから、自分の声に驚いた顔をした。
ルーシーは、椅子を元に戻した。
「すみません。見せようとしただけです」
「見せなくていいです」
店員は、しばらく樽の前から動かなかった。
ケスディアは、椅子の脇の矢筒の蓋を、指で二度弾いた。セリナの目から逃げるように、空の大鍋を顎で指す。
「水は樽で運べても、こいつの飯までは運べねえだろ。放っといたら鍋ごと消える」
「鍋は返します」
ルーシーは真面目な顔で、大鍋の縁に手を添えた。
「つまり、運ぶ奴が――」
ケスディアが言い切る前に、カイゼルが続けた。
「アイテムボックス持ちで、撃てて、撃たない判断ができる魔法使いだ」
(アイテム、ボックス。……こっちの言葉でも、そう聞こえる。トーロクと同じで、たまたま、だよね)
「今の、誰のこと?」
セリナが、ケスディアの横顔を見た。
「さあな。今朝までの誰かだろ」
カイゼルが言った。ケスディアは杯の中を見たまま、呟いた。
「蒸し返すな」
カイゼルの目が、マレーナへ移った。マレーナが、杯の縁から指を離す。
「探すなら、ギルドで当たるのが早いわ。心当たりが一人いるの。明日、声をかけてみる」
そう言って、ちらりとルーシーを見た。
隣の卓で、椅子のきしむ音がした。さっきから声の大きい客が、杯を持ったまま、こちらへ体をひねる。
「なあ、盾の兄さん。聞こえたぞ。スクラヴァルのボスだってな。さすがだ。一杯おごらせてくれよ。ボスを仕留めたのは兄さんだろ? そっちの姉ちゃんたちは、後ろで――」
「見てない奴が言うな」
ケスディアだった。治りかけの右腕を卓に置いたまま、客のほうを見もしない。
「俺は、見てた」
客の首に、色の褪せた襟巻きが見えた。首輪付き、と笑った男だった。
男の目が、カイゼルの椅子の背の盾へ流れた。
欠けた縁が、灯りを白く跳ね返していた。爪や石でつぶれた傷とは違う。縁の金具が、指の幅ぶんだけ、刃の形にすぱりと削ぎ取られている。
男の目は、盾から卓をひと回りして、ルーシーの顔で止まった。
差し出しかけていた杯が、カイゼルの前ではなく、ルーシーの前に置かれた。男は何も言わずに、自分の卓へ向き直った。椅子が、さっきと同じ音できしんだ。
ルーシーは杯を両手で持ったまま、カイゼルを見た。
「これ、三杯目になりますけど」
「おごりは数に入れん。以上だ」
カイゼルは自分の杯をあおった。杯は、もう空だった。
セリナが、卓の下で足をぱたぱたさせた。
「褒められ慣れてないのよ、この人。おごりも逃したし」
卓に笑いが落ちた。ルーシーだけが遅れて、口の端を上げた。それから、もう一度カイゼルに頭を下げた。
「盾、本当にすみません」
「そこで謝るの、あんただけよ」
ケスディアが、小さく息を吐いた。
「俺が前に出なければ、もっと楽だっただろ」
「今さら言うな。今日は飲め。反省会は明日、一人でやってちょうだい」
セリナに言い返されて、ケスディアは杯を持った。飲み方は、ぎこちなかった。
「あの」
エリーだった。全員に見られて、言葉が詰まる。マレーナがすぐに拾った。
「いいのよ。言って」
「報告書に、何て書けばいいですか。『囲まれて、面倒だったので』……?」
ルーシーは少し考えてから答えた。
「『怖いまま、引いた』で、お願いします」
エリーは指先で、卓の上に書くまねをした。唇が「こわいまま、ひいた」と動く。
カイゼルが杯を置いた。
「次の仕事で、同じことをやるな」
「はい。次は止めてください」
「俺が、止められればな」
「で、その中級って、どこ。例の、五層までしか分かってない所?」
セリナが、空になった杯を置いた。
「分かってるのは、そこまでだ。名前は、竜哭の遺跡。カルディナの連中はそう呼ぶ」
「趣味悪い名前」
「三層から、毒を使う相手が出る」
「嫌だわ」
「六層から先は、帰ってきた奴がいない」
卓が、静かになった。ケスディアが杯を置き、その言葉をなぞる。
「……帰ってきた奴が、いない」
誰も、すぐには続けなかった。厨房で、鍋の蓋がことりと鳴った。
あまり更新が出来なくて申し訳ございません。
最新仕事が忙しくてなかなか時間が取れませんでした。
次回でいったんエルデンのまちとはお別れです。
次の話をもって第一章完結とします。
皆様のおかげでルーシーもやっと普通の仕事がこなせる剣士?になることができました。
第二章からは、護衛任務で街を移動した後、しばらく、ダンジョンに潜ることになります。今回のPTメンバ―に誰が加わるか楽しみにしていてください。




