第71話 討伐の夜
ギルドの扉を押し開けると、昼より静かな空気が流れてきた。人はいる。けれど、急ぐ足音はない。紙をめくる音と、カウンター越しの低い声だけが残っている。
カイゼルが先に進み、袋をカウンターの端に置いた。厚手の布で二重に縛られた口が、ほどけないように固く結ばれている。中身の形が、布越しでも嫌に分かる。
マレーナはそれを見て、視線だけで状況を決めた。
「フィリス、これ奥で確認してきて」
「今? ……。今日、忙しい日だな」
返事は軽いのに、足は止まらない。フィリスが出てきて袋の持ち手をつかむ。持ち上げた瞬間、腕がほんの少し沈んだ。
「……重。首って聞いてたんだけど。これ、でかくない?」
「首だ」
カイゼルが短く返す。
「はいはい。首にも色々ある。……あと、血、抜いてある?」
「袋は二重。外は汚れてない」
「わかった、確認してくる」
フィリスはため息をひとつ吐き、袋を抱え直して奥へ向かった。通路の扉が閉まると、表のざわめきが一段遠くなる。
マレーナはカウンターの内側にある台帳を引き寄せ、必要な項目だけを淡々と確認する。
「誰か怪我したり、動けなくなった人はいる?」
「いない」
カイゼルが即答する。
「治療も済んでる。今夜は寝れば動ける」
セリナが言う。言い方に余計な感情はない。マレーナは頷き、紙の上に線を引く。
「それなら、問題ないわね」
「討伐は成立。証は確認中。通常報酬は仮払いできるわよ」
その言葉を聞いて、エリーが小さく息をのんだ。帳簿を胸に抱えたまま、視線を落としているが、指先がそわそわと動いている。
「素材は?」
「現地に残した。まだ回収してない」
「分かった。回収班は明日、朝に回す。素材分の精算は、回収後」
「回収は誰が?」
マレーナが答える前に、エリーが小さく声を出した。
「回収班を、出します。……森の外で合流できるように、伝達票も用意します」
言い終えた後、顔が赤くなったのが分かる。すぐに目を伏せて、帳簿を抱え直す。
「わかった」
カイゼルが短く言うと、エリーは小さく頷いた。
奥から、フィリスの声が漏れた。
『……でか。これ、ほんとに首かよ』
しばらくして、扉が開く。
フィリスは手袋を外しながら戻ってきた。指先には水気が残っている。
「とりあえず確認終了。間違いない。……サイズがでかいのと臭いのは、まあ、しょうがない」
「そんな話聞きたくないって前にも言ったでしょう」
マレーナが顔を上げずに返す。
「言われなくても分かってるよ。せめて、嫌な気持だけでも伝えたくて」
フィリスは紙束を一枚差し出す。確認印の位置は正確で、手順に無駄がない。
「で、袋の縛り方が丁寧すぎて腹立つ。ほどくのに時間かかった」
「褒めてるの?」
「褒めてない。仕事が増えるから文句いってみた」
「増えてない。いつもの仕事」
「いつもの仕事が多いんだよな」
軽口を叩き合いながらも、フィリスの手は速い。控えを一枚抜き、エリーに渡す。
「これ。仮払いの伝票、仮払い分用意して」
「は、はい」
エリーが奥へ小走りに消える。走ると言っても、慌てて音を立てない。床のきしみだけが追いかけてくる。
少しして、布袋が二つ、カウンターに置かれた。重さの違う音がした。片方は硬貨、もう片方は封のように薄いものだ。
マレーナが説明を切る。
「これが通常分の仮払い。受領の署名だけしてね」
カイゼルが羊皮紙に短く署名する。フィリスが受け取り、端に印を押す。木槌の音が小さく鳴った。
「素材分は明日、回収班の報告が上がってから。回収に時間がかかれば、精算はさらに翌日になる。回収できない場合は、その分は出ない。問題ない?」
「問題ない」
カイゼルが袋を受け取り、中身を手早く確かめる。数を数え上げるようなことはしない。重さと音で十分だ。
セリナが小さく息を吐く。
「……やっと終わったわね」
「お疲れ様。次もまたお願いね」
マレーナはペンを置き、最後に一言だけ残した。
「明日の朝、報告書だけ出してね」
「了解」
受領袋をしまい、カイゼルが一歩引くと、そこでようやく場がほどけた。
「じゃ、次」
マレーナが短く言って、台帳を閉じる。エリーは胸の帳簿を抱え直し、奥へ戻りかけた。
セリナが振り向きざまに言う。
「さあ飲みに行くわよ」
「そうだな」
カイゼルが淡々と返す。
ケスディアは黙っているが、ついてくる様子だ。
ギルドの扉へ向かう途中、ルーシーは一度だけ立ち止まった。背中の奥に残っていた張りが、少しずつ落ちていくのが分かる。
振り返って、マレーナを見る。エリーも横にいる。
「……よかったら、一緒にどうですか」
言ってから、言葉が足りなかったと気づく。でも付け足さない。黙って待つ。
マレーナは一拍も置かずに頷いた。
「いいわね。行こうかしら」
それから、エリーの方へ顎を向ける。
「エリーも行くわよね」
エリーは目を丸くして、すぐに視線を落とす。頷くまでに少し時間がかかったが、最後は小さく肯定した。
「……はい」
「決まりね」
セリナが言って、もう話は終わりになった。
マレーナは奥の通路に目を向け、声を張る。
「フィリス」
返事が先に飛んでくる。
「聞こえてる。今度は何」
「締め処理頼める?明日の回収班手配も」
「はいはい。俺、今日も働きづめなんだけど」
「いつもと一緒でしょ」
「言うな」
フィリスの足音が近づいて、カウンターの陰から顔だけ出す。嫌そうな顔を作っているのに、手にはもう書類が数枚まとまっていた。
「伝達票は明日エリーが作る。回収班は俺が回す。精算の段取りは明日朝。これでいいか」
「それでいいわよ」
マレーナは言い切り、もう振り返らない。
「……いつもこんな扱いの俺かわいそう」
「信頼してるってことよ」
セリナが横から刺す。
フィリスは鼻で笑って手を振った。
「はいはい。行ってらっしゃいマレーナ様。あとはフィリスにお任せを」
ルーシーは一度だけ頭を下げる。
「お願いします」
「お、今日は礼儀正しいな」
「いつもです」
「ルーシーにいわれると事実だから言い返せないのが、腹立つ」
軽口のまま、フィリスは奥へ戻っていった。
外へ出ると、空気が少し冷たかった。石畳の湿り気が靴裏に残る。街の声はあるのに、ギルドの中より軽い。
カイゼルが先に歩き出す。
「店はいつもの所でいいな」
「いいわよ」
セリナが即答する。
ケスディアは一拍遅れて頷き、ルーシーは最後に小さく言った。
「……ついていきます」
店の前まで来ると、セリナが足を止めた。
「ついたわ」
灯りは落ち着いていて、呼び込みの声も強くない。扉を開けた瞬間、焼いた油と香草の匂いがふわっと流れてきた。奥で皿が擦れる音がして、鍋の蓋が小さく鳴る。
「空いてるな」
カイゼルが周りを見て、奥の席に手を上げた。店員が頷き、木の椅子を引く。背もたれが軽く鳴って、ようやく全員が腰を下ろした。
セリナが一番先に息を吐く。
「……あ~久しぶりに座った。やっと座れた」
「立ってる方が疲れるのか」
「当たり前でしょ。回復役なんだから。あなたみたいな、体力馬鹿と一緒にしないで」
ケスディアは黙って水差しを取ろうとして、右腕を止めた。動きが一瞬遅れたのを、本人だけが気にしている。
「まだ、無理しない方がいいわよ」
セリナが言うと、ケスディアは口を尖らせた。
「……分かってる」
そう言うと水差しを手前へ寄せ、コップに水を注いだ。
店員が来て、カイゼルが迷いなく言った。
「酒。いつもの。全員分。……飲めない者は水でいい」
ルーシーが少し迷って、手を上げかける。
「私、とりあえず2杯……」
「いくらでも飲め。もう仕事じゃない」
カイゼルが即座に切った。
セリナが笑う。
「いきなり2杯って初めて聞いた。無理に飲ませるのは好きじゃないから楽しいわね」
マレーナは膝の上で手を組んだまま、店の中を一度見回した。余計なことは言わない。ただ、肩の力が抜けているのが分かる。
エリーは席に着いたのに落ち着かず、視線が皿棚と厨房の間を行き来している。音を立てないように背筋を伸ばしているのが、かえって目についた。
「飲むわよ」
セリナが短く言った。
「待て」
カイゼルが同じくらい短く返す。
店員が口を開きかけたが、セリナが首を振った。
「いい。来た瞬間に飲まなきゃぬるくなる」
そう言うと、セリナは止める間もなく一気に飲んだ。
「あ~生きてるって感じよね」
そう言っている間に、カイゼルも飲み始めた。
最初に来た料理は、厚い皿にのった野菜の酢漬けだった。薄く切った根菜がきしっと音を立て、酸味が鼻に抜ける。続いて丸いパンが籠で来る。割ると湯気が立ち、表面の粉が指に残った。
山羊乳のチーズは白くて、少しだけ青い匂いがする。パンにのせると、熱で角がゆっくり溶ける。
ルーシーが先に一口食べて、息を吐いた
「……これ、おいしい」
それだけで十分だった。マレーナが小さく頷き、エリーが目を丸くして同じようにパンを割る。
次の皿が来る。白身魚の蒸し煮で、乳の薄い汁が器の縁で揺れている。茸の匂いが先に立ち、スプーンを入れると身がほどける。熱が舌に当たり、すぐに甘みが追いかけてくる。
セリナがスプーンを止めずに言う。
「……今日は、当たりだわ」
「いつものって言ってたが」
「いつもでも当たりは当たり」
それから、麦と根菜のとろみスープが来た。香草の青い匂いがして、底の方が少し濃い。木製スプーンで混ぜると、湯気が顔の前にまとわりつく。
ルーシーは器を受け取ると、間を置かずにもう一言だけ言った。
「これ、もう一つ頼めますか」
店員が一瞬止まり、すぐ頷く。
セリナが横目でルーシーを見る。
「もう一杯頼んだの?」
「はい」
「……そんなに食べて大丈夫かしら」
ケスディアが鼻で笑いかけて、やめた。笑うと痛いのか、顔だけが中途半端に固まる。
主菜が運ばれてきた。香草を詰めた鳥肉の蒸し焼きで、切り分けると中から湯気が立つ。肉汁が薄い皿に広がり、根菜のペーストがその熱で少しだけ柔らかくなる。焦げ目はないのに、香りは強い。
ルーシーが黙って食べ始める。噛むたびに、音がほとんどしない。けれど減り方だけが早い。
セリナが口を開く。
「……ねえ、待って。もう半分ないんだけど」
「はい」
「はい、じゃない」
カイゼルは何も言わず、杯を一口飲んだ。視線は皿に落ちている。
ケスディアがようやく言う。
「……大きいの、頼んだのか?」
「普通のです」
「普通って何だよ」
セリナが即座に突っ込む。
追加のスープが届く。湯気が新しく上がり、香草の匂いがもう一段濃くなる。ルーシーはそれを受け取って、また同じ速度で飲む。
マレーナが少しだけ笑った。
「前より落ち着いて食べられてるわね」
ルーシーは一瞬だけ目を上げる。
「はい。……マレーナさんがいるから」
エリーがその言葉に反応して、何か言いかけて飲み込んだ。指先がコップの縁をなぞって、止まる。
麦と茸の粥状の料理が来た。粒が立っていて、噛むとぷちっと弾ける。上にのった茸が油を含んでいて、口の中に香りが残る。
セリナが皿を置いて言う。
「わたし、もうお腹いっぱいなんだけど」
「まだ来るのか」
カイゼルが店員の動きを見て言った。
「……えっまだ来るの?」
セリナが言った瞬間、パンの補充が置かれた。
ケスディアが引いた顔をする。
「おい……」
ルーシーはパンを割って、黙って皿へ運ぶ。手つきは丁寧だ。雑に食べているわけじゃない。そこが余計におかしい。
セリナが笑いながら言った。
「男二人より食べる女性、初めて見た」
「ケスディアは参考にならん」
カイゼルが言う。
「ルーシーに比べたら、あんたも大したことないわよ」
ルーシーは首を傾げる。
「……すみません」
「謝ることじゃないわ」
セリナが言い切って、杯を傾けた。
「ただ、見てるだけでこっちがお腹いっぱい」
その言葉に、場が少し緩む。エリーが小さく笑って、すぐ口を押さえた。笑ったことに驚いたみたいに、目を丸くする。
「遠慮しなくて、いいわよ」
マレーナが短く言うと、エリーは赤くなったまま頷いた。
皿の上の湯気が落ち着くころ、店員が最後に温かい湯を置く。刻んだ香草の匂いが細く立ち、乾いた果実が添えられている。
セリナがそれを見て言った。
「さっぱりしてそうで助かる」
カイゼルは杯を置き、ようやくこちらを見た。
「……で、聞きたいことがある」
セリナが頷く。
「そう。さっき後で話そうって言ってたこと」




