第51話 基礎修行③ 剣を振りながら
「……俺も、見てていいですか」
木立から出てきたのは、レインハルトだった。借り物の大きすぎる盾を背負っていて、歩くたびに、ガリ、と草の根を擦る。
「昨日、通りかかって。あ、違います。医療棟に行ったら、もう外に出たって言われて。外ってどこですかって聞いたら、門の外だって。門の外のどこですかって聞いたら、番兵の人が『呼吸の人なら、あっちだ』って」
「呼吸の人」
「はい。番兵の人の間では、そう」
門の、寝不足の番兵の大あくびが浮かんだ。
「医療棟の連中も番兵も、口が軽い」
カルヴァンは、ため息を一つついた。
「見るのは勝手だ。口は出すな」
「出しません!」
レインハルトは木の根元に腰を下ろした。盾が地面につかえて、背中が反った。反った拍子に、幹が目に入ったらしい。目の高さに、短い横の傷が二本、並んでいる。
「それ、何の数ですか」
「口は出すなと言った」
「出してないです。聞いただけです」
カルヴァンは答えずに、小石を一つ拾い、ルーシーに放った。
「次は、剣を使う。抜いて、刃を寝かせろ。腹を上だ。石はその上に乗せる。振るな。構えろ」
刃の平らな面を上にして水平に構え、親指の先ほどの小石を真ん中に乗せた。呼吸を回す。肩が固まりそうになるたび、吐いて落とす。小石は動かない。
草地の脇の道を、話し声が近づいてきた。
若い二人連れだった。短い槍を肩に担ぎ、胸元で銅色の札が揺れている。ギルドの窓口で、すぐ後ろに並んでいた二人だ。浅層の割当へ向かう格好のまま、剣を水平に構えて突っ立っているルーシーを見つけると、歩く速さを落とした。
「お、呼吸の人だ」
「突っ立って銀貨になるなら、俺も吸うわ。すううう、はあああ」
片方が胸を大きくふくらませてみせ、もう片方が、札を指でいじりながら笑った。
根元のレインハルトが、盾ごと腰を浮かせた。
「あの、今の――」
「口は出すな」
カルヴァンは、道のほうを見もしなかった。
「向こうにもだ」
レインハルトが、浮かせた腰をゆっくり下ろした。
言い返す言葉なら、日本語でいくつか浮かんだ。浮かんだ分だけ、吐いた。
剣の腹の上で、小石は、乗せたときの向きのまま動かなかった。
笑い声が、道の先へ遠ざかっていった。
「これ、何の練習なんですか」
「何の練習だと思う」
「え。石を、落とさない練習?」
「追わない練習だ」
「何を追わないんですか」
「それが分かるようになる練習だ」
レインハルトは首を右へ傾け、左へ傾けてから、言った。
「はい」
「次は振る。だが、遅く。石を落としたら、追ったと思え」
吐きながら、ゆっくり振る。肩から先を、水の中で動かすつもりで。小石は乗ったまま、半円を描いて戻ってきた。
根元のほうで、ぷっ、と空気の漏れる音がした。
「あ、すみません。いや、なんか、すごく、ゆっくりで。ダンジョンじゃ、あんなに速かったのに。猫が伸びしてるみたいで。遅く振るだけなら、俺でもできますよ。村で、毎朝鍬を振ってたんで」
カルヴァンが、足元から小石をもう一つ拾った。
「できるか。なら、やれ。盾を置け」
「了解です!」
声が裏返った。
レインハルトは剣を抜き、刃を寝かせて小石を乗せた。乗せた瞬間に、転がり落ちた。
「……あれ」
三度目で、ようやく落ち着いた。剣先が細かく震えている。
「遅く、ですよね。見ててください」
一振り目。ゆっくりと、半円を描く。
「ほら」
二振り目。さっきより速い。
「ほら、ほら」
三振り目で、腕が気持ちよさに負けて、振り抜いた。
小石はきれいな放物線を描いて、草むらの向こうへ消えた。草むらの奥で、鳥が一羽、驚いて飛び立った。
「三振り目で追ったな」
「追ってないです。俺、何も追ってないです」
「石は、どこだ」
レインハルトは、空になった剣の腹を見下ろした。
「遅く振るのって、遅く振れないんですね」
ルーシーは、笑わないように唇を結んだ。結んだ拍子に肩が固まりかけて、慌てて吐いた。石は落ちなかった。
(笑うのにも、肩を使うんだ)
「あいつは見て分かる。お前は見えないから厄介だ」
カルヴァンが、ルーシーにだけ聞こえる声で言った。
「俺、見て分かるんですか」
聞こえていたらしい。
「石が飛ぶ。声が裏返る。さっき笑ったのも、聞こえてる」
レインハルトは両手で口を押さえ、目だけでルーシーに謝った。
新しい小石を拾って、二人で並んで振った。
遅く振ると、余計に重い。十五回目で、レインハルトの剣先がゆっくり下がっていった。
「十五回で、腕が上がらないです」
自分の腕を見下ろした。張りも、重さも、来ていない。
(まだ全然疲れてない。……これ、言っちゃ駄目なやつだ)
「ルーシーは、どうですか」
「少し、重いです」
嘘ではなかった。剣は重い。ただ、腕がそれを重いと言わないだけだ。
「お前は疲れないのが問題なんだよ」
カルヴァンが、ルーシーの腕に目をやった。
「疲れれば、力は勝手に抜ける。お前は抜けない。なら、誰が抜く」
「私、ですか」
「ほかに誰がいる」
「いいなあ、疲れないの」
レインハルトが、腕をぶらぶらさせながら言った。
「いいことじゃない」
低い声だった。レインハルトは、ぶらぶらさせていた腕を、そっと体の脇に下ろした。
六、七、八と振る。石は乗っている。乗っているから、大丈夫だと思った。
九振り目で、刃が、髪一本ぶん速くなった。
振り終わりで、刃は止まった。小石は止まらなかった。
「いっ……!」
腕を休めていたレインハルトの額に当たって、小石はぽとりと草に落ちた。
「す、すみません!」
「今の失敗は、悪くない。失敗が見えた」
カルヴァンが、草の小石を小枝の先でつついた。
「見せてください」
「平気です。……盾、置かなきゃよかった」
額の真ん中が、小石の形に赤くなっていた。さっきレインハルトが草むらへ飛ばした石より、ずっと短く、ずっと速く飛んだ石だった。
ルーシーは、止まったままの自分の剣を見下ろした。刃の上には、もう何も乗っていなかった。
(剣は止まっても、乗っている物は、止まらない)
草から小石を拾い、剣の腹に乗せ直す。乗っている、と思うたびに、吐いた。
レインハルトが、額を押さえたままカルヴァンへ向き直った。
「明日も、来ていいですか」
「石を避ける練習もしておけ」
◇
昼前、ギルドで依頼札を受け取ろうとすると、ハンナが、珍しくペンを置いた。
「ルーシーさん。指名です」
差し出された紙に、見覚えのある名前があった。
「グレイン商会の倉庫、オーウェンさんから。荷運びです。明日の朝から。人が足りないそうで」
「私を、ですか」
「名指しです」
ペン先が示した所に、ルーシーの名前が、癖のある太い字で書かれていた。
ルーシーは、その太い字を、指で一つずつなぞった。
けれど、明日の朝だ。一日でも来なかったら、そこで終わりだ。
(夜明け前に、倉庫。昼までに、草地)
「倉庫は、何刻から開いていますか」
「オーウェンさんなら、夜明け前には起きていると思います」
ペンが、一瞬だけ止まった。
「両方、やるつもりですね」
「はい」
「では、そう書いておきます」




