第45話 ダンジョン②
「思ったより、暗いな」
入口を越えたところで、前を行くレインハルトが低く呟いた。声が壁に跳ね返り、すぐに消える。
カルヴァンが、入口の壁の金具から松明を一本抜いて掲げた。
「明かりは十分だ」
レインハルトは三歩ほど歩き、肩越しに振り返った。
「あの。その剣、重くないですか」
「重いです」
「振れるんですか」
「振らないようにしてます」
「振らないように」
レインハルトは少し考える顔をして、それから、ぱっと表情を明るくした。
「あ、分かります。最初は怖いですよね、抜くの。俺も最初の一体のときは、手が震えて鞘から抜けなくて」
「……」
「大丈夫です、前は俺が出ますんで! ルーシーは後ろで見ててください」
レインハルトは胸を張り、盾を持ち直した。ガリ、と床が鳴った。慌てて、胸の高さまで抱え上げる。
(新人に、新人扱いされた。しかも、励まされた)
後ろで、カルヴァンが顎髭をつまんだ。つまんだ指が、なかなか離れなかった。
通路はすぐに折れ、天井が低くなった。
カサ、と軽い擦過音がして、左の枝道から灰色の影が走った。
「っ」
レインハルトが、前に出かける。
「待て」
カルヴァンの声は低く、強くない。それでも、レインハルトの足は床に縫いつけられた。
灰色の影は通路を横切り、暗がりへ消えた。
「今のは」
「スカーヴァーだ。数が出る。弱いが、足元を荒らす」
「追いませんか」
「管理だ」
「盾、もう少し下で。足元から来ます」
ルーシーが言うと、レインハルトは情けない顔で振り返った。
「でも、下げると擦るんです、これ。ひと月が」
「擦ってください」
「……ひと月が」
「生きてるほうが、安いです」
レインハルトは盾を見下ろし、目をつぶって、言われた高さまで下ろした。
ガリ、ガリ、と通路に音が響きはじめる。鳴るたびに、レインハルトの肩が小さく跳ねた。
通路が広がった所で、今度は逃げなかった。灰色のやつが二体、低く身構え、歯を剥いている。
「ここは、俺が!」
一体目が、跳ねるように足元へ来た。
低く下げた盾が、間に合った。灰色の体が盾にぶつかる。だが受けた拍子に、レインハルトの足が濡れた石の上で滑った。
二体目が、その脇腹へ向かった。
ルーシーは半歩、横へ出た。剣は抜かない。肩を入れて、進路を塞ぐ。押さない。置くだけだ。
灰色の体は肩に当たって勢いをなくし、ぽとりと足もとへ落ちた。
レインハルトが体勢を立て直し、足元の一体に剣を入れた。踏み込みは浅いが、当たる。甲高い悲鳴が一つ上がって、それきり動かなくなった。
ルーシーの足もとの一体は、ひっくり返った体を起こすと、来た枝道の暗がりへ這って逃げていった。
レインハルトは盾を構えたまま、灰色の消えた暗がりと、ルーシーの肩を見比べた。
「……今の、押しました?」
「押してません。置きました」
肩に残った重さは、子猫ほどだった。
(……置けた)
「置く……」
レインハルトは、自分の盾の縁と、足元の濡れた石を見比べた。
「盾、下げると、ほんとに足元に来るんですね。下げてなかったら、今の、膝でした」
それから、盾を言われたとおりの高さに下げ直した。もう、ガリという音に肩を跳ねさせなかった。
さらに進むと、床の湿りが増した。足元を、灰色の背中が一つ、二つ、三つと走る。
「多いな」
「振るな。床を叩く。足元を見ろ」
カルヴァンの声が、後ろから飛んだ。
レインハルトは剣を下げ、盾を低く構えて、歩幅を落とした。噛みつこうとする灰色が、低い盾に阻まれて深くは来ない。
ルーシーは、ひたすら歩いた。滑る石を避け、体を前に出しすぎない。灰色の群れは、ルーシーの足元にだけは寄ってこなかった。
レインハルトが、盾の陰から横目で見た。
「なんで、ルーシーの足元だけ来ないんですか」
「さあ」
ほどなく、群れは後ろへ抜けた。
「今のところ、仕事になってる」
背中でカルヴァンが言うと、レインハルトの肩から力が抜けた。
通路がさらに折れ、湿りが強くなった所で、カルヴァンが足を止めた。
「ここまでだ」
「もう少し――」
「もう少し行って、何が増える」
「えっと、経験、とか」
「相手だ」
レインハルトの盾が、また少しだけ下がった。ガリ、と鳴った。
カルヴァンは、そばの壁を拳で軽く叩いた。
コン、と鳴った。少し遅れて、もう一度、くぐもった音が返ってくる。
「音が二回返ってくるな」
「え?」
レインハルトが壁に耳を寄せる。カルヴァンはもう背を向けていた。
「戻る」
入口の外光が見えたとき、レインハルトが小さく息を吐いた。
「戻れましたね」
「戻れました」
レインハルトは嬉しそうに頷いた。盾の縁を指でなぞり、傷がないのを確かめて、もう一度頷いた。
入口の手前で、カルヴァンが足を止めた。
「明日は、もう少し奥を見る」
そう言って、そこの壁を、さっきと同じように拳で叩く。
コン。
今度は、一回しか返ってこなかった。
「一回なら、いいことなんですよね?」
レインハルトが、外の光を背にして笑いかけた。
カルヴァンは答えずに、暗い通路の奥を見ていた。




