第44話 ダンジョン①
今回からしばらくダンジョンのお話になります。
屋台の八本は、宿の階段を上がるあいだに消えた。朝になると、ルーシーはまっすぐギルドへ向かった。
カルディナのギルドは、受付だけで四つあった。掲示板には紙が隙間なく重ねて貼られ、端のほうに赤い紙が三枚あった。ルーシーに読めたのは、三枚ともにある『北』の一字だけだった。
ルーシーは、いちばん短い列に並んだ。前の男が窓口で革袋を受け取り、中の銀貨を数えている。その前の女も、数えていた。
(……ここ、受け取る列だ)
窓口の上の札を、一字ずつ目でなぞって読み直した。二つ隣の、いちばん長い列の上に、「斡旋・記録」の札が下がっていた。
その列の最後に並び直すと、すぐ後ろに若い二人連れが並んだ。胸元の札を指でいじりながら、小声でしゃべっている。
「前の、エルデンのDだってよ」
「へえ。田舎の札でも、ここの窓口に並べるんだな」
聞こえる大きさの小声だった。片方が、ルーシーの背中の剣を見て笑った。
「剣のほうが、持ち主より強そうだな。担いでるだけで、肩が凝りそうだ」
(肩は、凝ってない。たぶん)
自分の番が来た。
窓口の女は、年齢の読めない顔をしていた。客の顔を見ているあいだも、ペンだけは紙の上を走り続けている。
マレーナなら、考えるときにペンで帳面を叩く。この人のペンは、止まりもしない。
「用件を」
「護衛の完了記録の確認です。エルデンから、グレイン商会の荷で来ました」
「名前と、ランク」
「ルーシー。Dです。……あの、お名前を伺っても」
「ハンナ」
ペンは止まらなかった。
ペンを走らせたまま、ハンナは帳簿棚から紙束を引き抜いた。
「来ています。グレイン商会、往路輸送護衛。――違反記録なし」
六日分が、一行で終わった。ハンナは、もう一枚を抜き出した。
「それと、エルデンのギルド長、ローデリックから運用方針が来ています。あなたの扱い方の指示です」
ハンナは、その紙を胸もとに伏せるように持ち、小声で読んだ。小声のつもりらしかったが、よく通る声だった。
「――回復が早い。原因未特定。単独行動は認めず、経験者を同行させること」
隣の窓口の精算係が、こちらへ首を回した。
(来期の目標①、『目立たない』。……来期、始まったばかりなのに)
そこで初めて、目の前のペンが止まった。
ハンナが顔を上げ、ルーシーを正面から見た。
「原因未特定。あなた、何したの?」
「食べて、寝ました」
「……その欄は、ありません」
ペンが、また動き出した。
ハンナは札を二枚、机に置いた。
『生活圏ダンジョン・浅層 定期管理補助 条件:D以上 ※ベテラン同行』
『倉庫街・短距離護衛 半日』
(倉庫は、昨日やった。顔だけ重そうにして、見破られた)
「浅層を」
「集合は第三門前、午前の鐘二つ。同行者はカルヴァン。魔法使いです。――次」
ルーシーは一礼して、窓口を離れた。後ろの二人連れが、そろって脇へ寄って道を空けた。
すれ違いざまに、片方がぼそりとこぼした。
「俺だって、食って寝てるっての」
二人の胸元の札は、どちらもルーシーと同じ銅色だった。
(同期だ。……銅札の二人)
◇
第三門の内側、石柱の影が集合の場所だった。
壁を背にして待っていると、人の流れの端で、見覚えのあるローブが足を止めた。カルヴァンだ。杖は持っていない。腰の護符袋と薬包だけが、魔法使いであることを示している。
「まだ揃ってないな」
「はい」
石畳を擦る音が近づいてきた。
ガリ、ガリ、と一定の間隔で鳴っている。若い男が一人、人の流れに逆らって歩いてくる。左腕に提げた盾が大きすぎて、縁が石畳を擦っているのだ。借り物らしく、革帯の穴が足りずに紐で継ぎ足してある。右手に握った割当札は、上下が逆さまだった。
「あれだ」
カルヴァンは先に歩き出し、男の正面に立った。
「割当札」
「は、はい!」
男が慌てて札を突き出す。カルヴァンは札をひっくり返し、目を走らせて返した。
「その札、どっちが上だと思って持ってた」
「え。字が、読める方です」
「読めてたか」
男は札を見下ろし、札を持った手ごと背中に隠した。
「名乗れ。現場で呼ぶのは、名前だけだ」
「れ、レインハルトです! Dランク、剣士です!」
男は胸を張り、それから、ふと不安そうな顔になった。
「あ、もう言いました?」
「言ってない。今、言った」
「ルーシーです。Dランク、剣士です」
「カルヴァン。Cランク、魔法使い。後衛で状況を見る。指導役だが、先生じゃない」
レインハルトはルーシーを見上げ、小さく「でかい」と呟いてから、目を輝かせた。
「あの、ルーシーさ――」
「現場で『さん』をつけるな。呼ぶのが遅れる。遅れると、事故る」
「了解です!」
声が、見事に裏返った。
門を抜けると、石畳が土に変わった。
ガリ、ガリ、と盾が土を擦る。
「盾、浮かせて歩け。音で、こっちの数が知れる」
「は、はい! あの、これ、借り物なんです。傷をつけたら弁償で、ひと月ただ働きで」
「なら、なおさら浮かせろ」
レインハルトは盾を胸の高さまで抱え上げた。腕が、少し震えている。そのまま、ルーシーの横に並んだ。目が、背中の剣から離れない。
「その剣、すごいですね。でかいですね。何体くらい斬ったんですか」
「あまり」
「あまり?」
「あまり、です」
レインハルトの首が、少しずつかしいでいった。首と一緒に腕も下がり、ガリ、とまた鳴った。
「あっ」
慌てて盾を抱え直し、ついた土を、袖で丁寧に拭った。
歩きながら、カルヴァンが言った。
「浅層の仕事は攻略じゃない。管理だ。見る、間引く、拾う。逃げた相手は追わない」
「了解です!」
「成果を欲張るな」
「了解です!」
「一番多い失敗は、相手を増やすことだ」
「了――」
「返事は一回でいい」
「はい」
やがて、岩肌の切れ目が見えてきた。派手さのない、ただの穴だった。湿った冷えが、足元から上がってくる。
穴の手前で、カルヴァンが振り返った。
「今日の勝ちは、何だ」
「はい! 何体倒すか、です!」
「帰って、報告することだ」
レインハルトは一度うなずきかけて、それから、抱えた盾を見下ろした。
「……と、盾に傷をつけないこと、です」
「それは、お前の勝ちだ」
穴の奥で、何かが石を引っかく音がした。




