第43話 カルディナ④ 乾杯と満腹と魔法
無事に35話終わりました・・・
ついにWU100人達成、大変感謝しております。もうちょっと頑張って投稿してみます。
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指定された酒場は、ギルドから二本裏の通りにあった。煤けた看板に描かれた黒い鳥は、嘴が欠けている。
扉を押し開けると、煙と、酒と、笑い声が、いっぺんに外へあふれてきた。
「こっちだ」
奥の長卓から、ブレイデンが顎で示す。兜と手甲は卓の端に積まれ、剣は壁に立てかけてあった。
ルーシーは空いていた端の席に腰を下ろした。
ブレイデンは座ったまま、ジョッキを掲げた。
「無事故。欠員なし。――グレインの金に、乾杯だ」
「「乾杯!」」
ジョッキがぶつかる。エールはぬるいが、苦味が喉を洗い、六日分の埃を流していく。
最初の皿を見た瞬間、ルーシーの頭から、ほかのことが全部抜けた。
羊肉の串焼きだった。拳ほどの肉塊が、骨ごと刺さっている。脂が、まだ音を立てている。続いて、豆と臓物を煮込んだ濃いスープ。黒パンは、籠に山盛りだった。
(三本でやめておこう。普通の人は三本)
一本目の串を取った。
口に入れた瞬間、喉の奥が、熱でほどけた。噛むたびに、六日分の干し肉の塩が、舌の上から一枚ずつ剥がれていく。
(干し肉、ごめん。……今日で、卒業します)
パンをちぎって、スープに浸す。骨のまわりの肉を、遠慮なく噛みちぎる。脂が弾けて、熱くて、うまい。
気づいたら、口の端が上がっていた。目の奥が、じわっと熱くなる。笑いそうで、泣きそうだった。どっちでもよかった。とにかく、止まらなかった。
店員が無言で椀を足し、籠を置いていく。皿の減り方が、ルーシーの前だけ異様だった。
向かいのカルヴァンが、ようやく気づいた。
「なあ。それ、何本目だ」
ルーシーは串を持ったまま、指で数えかけた。
「五本目です」
「俺、二本だぞ」
卓の視線が集まった。
「あ」
「野営じゃ分からなかったが」
バルドリックが、しみじみと呟く。
「こいつ、食うな」
「パン、もう一籠いってるぞ」
「スープも三杯目だ」
「食べた分しか、動かないので」
「そんな言い方あるか」
ルーシーは、六本目へ伸ばしかけた手を、膝の上に戻した。
「あの。この辺で」
「好きなだけ、と言った」
ブレイデンが、ジョッキを置いて腕を組んだ。
「言ったことは、取り消さん」
卓のあちこちから、顎が皿のほうへしゃくられた。
(三本の約束は、もう自分で破ってる。……でも、ここで置くと場が冷える。歓迎会の二次会と、同じ空気だ)
「では、いただきます」
六本目で、フィンレイが卓を指で叩いて数え始めた。七本目で、ロウェナとバルドリックの声が重なった。八本目のときには、隣の卓の、樽のような腹をした男まで身を乗り出して、一緒に数えていた。
(樽の人)
ルーシーは八本目の骨を皿に置き、スープの最後の一口を飲み干して、手を合わせた。
「ごちそうさまでした」
隣の卓で、樽の人が自分のジョッキを高く上げた。
「いい食いっぷりだ!」
フィンレイが串の骨で、隣のエステルを指した。
「なあ。エステルの止血より、こいつの皿が空くほうが速いぞ」
卓が、どっと沸いた。エステルが白い袖で、フィンレイの肩をはたく。
ルーシーは笑っている顔を順番に見た。止血。皿。速い。言葉が、頭の中で遅れてつながる。
一拍遅れて、ルーシーも吹き出した。
「遅えよ」
フィンレイの一言で、卓がもう一度沸いた。
ようやく息を吐いた。胃は重いが、痛みはない。ただ、内側に熱が溜まっている。椅子の背にもたれ、無意識に腹へ手を当てた。
卓が沸くあいだ、カルヴァンのジョッキだけが、ずっと減っていなかった。
そのカルヴァンが、ジョッキを置いた。酔った目ではない。何かの匂いを追うような目で、ルーシーのまわりの空気を見ている。
「おい。今、胸とか背中――熱くなったか」
「お腹は、熱いです。食べたので」
「それじゃない」
カルヴァンは、見えない糸を撫でるみたいに、指先で空を切った。指先が、ルーシーの胸の前で止まる。
「今、ほんの少しだけ――漏れてる」
「何がですか?」
「魔力だ」
ルーシーは目を瞬いた。
「私、魔法使えませんけど」
「知ってる。だが『使えない』と『持ってない』は別だ。普通は、食っても中は動かない。お前は、動いた」
ルーシーは腹に当てた手を見下ろした。
「さっき、少し苦しかったです」
「体が、食った分を回そうとしたんだ。普通は、そこまで速く回らない」
ブレイデンが割って入った。
「魔法の話は後にしろ。今はただの反省会だ」
「いや、これは反省だ。この新人、普通じゃない」
「よく言われます」
「褒めてない」
「分かってます」
「今は、どうだ」
カルヴァンの目が、ルーシーの腹に当てた手へ落ちた。
「軽いです」
「やっぱりな」
それから卓の話は、道中のことへ移った。ペグの話になると、バルドリックが「教えたのは俺だ」と三度言った。
ブレイデンが立ち上がり、店主の差し出した勘定書きに目を落とした。一度だけ、長く見た。
「……好きなだけ、と言ったのは俺だ」
班の袋の口を開ける手つきが、いつもより少し重かった。
「よし。勘定は締めた」
握手はなく、背中を叩くこともない。
「またな」
「おう。またな」
店の戸口で、ブレイデンはルーシーにだけ言った。
「次は仕事で会おう」
外に出ると、夜風が火照った頬にちょうどよかった。腹は満ちていて、懐は重く、剣は背中にある。
宿の方へ歩き出して、いくつ目かの角を曲がったときだった。
串焼きの屋台の前に、樽のような背中があった。上着の内側を探って、鉄貨を一枚ずつ拾い出しては、屋台の主人の手のひらに並べている。
五枚目を並べ終えた樽の人が、串を一本受け取って振り返った。目が合った。
「……まだ、食うのか」
「いえ。通りかかっただけです」
脂の匂いが、鼻の奥まで入ってきた。
ぐう、と腹が鳴った。
樽の人は串をくわえたまま、一歩、横へずれた。屋台の前が、ちょうど一人分空いた。
ルーシーの足は、もうその一人分に収まっていた。
「串焼きを、八本」
(……嘘でしょ)




