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異世界で普通に生きるために危ない仕事をする  作者: Yuki


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第36話 ダンジョン

今回からしばらくダンジョンのお話になります。

 目が覚めたとき、天井はまだ薄暗かった。


 宿の部屋は静かだ。

 隣室の気配は壁の向こうで途切れ、通りの音も遠い。野営では考えられない静けさだった。

 布団の重さが背中に残り、それだけでここが安全な場所だと分かる。


 ルーシーはゆっくりと上体を起こし、腹部に手を当てた。


 昨夜の満腹感は消えている。

 胃の奥に残っていた熱も、もうない。だが、身体は軽かった。六日分の行軍の疲れが、ほとんど残っていない。


(……回復、早いな)


 酒場でカルヴァンに向けられた視線を思い出す。

 言葉にはされなかったが、何かを測られていた感覚だけが残っている。


 理由は分からない。


 分からないものは、考えすぎない。


 枕元の袋を手に取る。

 革の口を開き、指先で中身を確かめた。


 金貨が三枚。

 銀貨と銅貨は、その下にきちんと分けてある。


 この街で暮らすには十分な額だ。

 宿も食事も、当分は困らない。


(……余裕はある)


 だが、それで働かなくていい理由にはならない。


 金は危険を処理した結果であって、危険が消えた証拠ではない。


(次も、仕事だ)


 それだけは決まっている。


 装備を整える。

 鎧のベルトを締め、剣を背負う。

 背中で揺れない位置。歩いたときに擦れない角度。


 考えなくても、身体が覚えていた。


 宿を出ると、朝のカルディナが動いている。


 荷車の軋む音。

 布を叩く音。

 油と金属と、人の匂い。


 昨夜の酒場とは違う顔だ。

 ここは、仕事の街だ。


 ルーシーはギルドへ向かった。


          ◇


 カルディナのギルドは、建物そのものが「仕組み」だった。


 入口は広く、人の流れが途切れない。

 掲示板は壁一面に並び、仕事札が層になって更新されている。


 受付も分かれていた。


 登録、斡旋、精算、監査。


 誰も怒鳴らない。

 だが、遅い者は置いていかれる空気がある。


(……規模が違う)


 エルデンのギルドは、必要なものが一か所にまとまっていた。

 ここは違う。必要なものが同時に動いている。


 ルーシーは「斡旋・記録」の列に並んだ。


 前には商人。

 後ろには鎧の擦れた冒険者。


 雑談はない。

 順番が来た者だけが話し、終われば去る。


 ほどなくして、自分の番が来た。


 窓口の女は、年齢の読めない顔をしていた。

 整っているわけではないが、疲れにくい顔だ。


「用件を」


「護衛任務の完了記録の反映確認です。エルデン発、グレイン商会の輸送護衛」


「名前」


「ルーシー」


「ランク」


「D」


 女のペンは止まらない。

 帳簿棚から紙束が引き出される。


「……来ています」


 そこで、初めてペンが止まった。


「グレイン商会、往路輸送護衛。臨時編成。

 到着記録、昨日付。破損なし。遅延なし。

 護衛側損耗なし。違反記録なし」


 淡々とした読み上げ。


 六日分の緊張と判断が、数行に畳まれる。


 女は紙束の中から、別の書類を引き抜いた。

 回覧用の簡素な用紙だ。


「……それと」


 視線が帳簿から外れる。


「エルデンのギルドマスター、ローデリックから運用方針が来ています」


 その名前に、ルーシーはわずかに背筋を正した。


「個別の仕事指定はありません。

 人材の扱い方についての指示です」


 女は内容を読み上げる。


「――身体能力と持久力が平均を大きく上回る。

 回復傾向が早く、原因は未特定。

 現時点では高危険度任務への投入を避ける。

 単独行動は認めず、必ず経験者を同行させること」


 評価ではない。

 期待でもない。


 事故を避けるための、管理上の判断だった。


(……理由は分からなくても、扱いは決まる)


 それがギルドだ。


 女は二枚の札を机に置いた。


「この方針に沿って、今日回せる枠です」


 一枚目。


『生活圏ダンジョン・浅層

 定期管理補助

 条件:D以上

 ※ベテラン同行』


 二枚目。


『倉庫街・短距離護衛

 半日』


「倉庫街は、昨日の延長です」

「浅層はギルド管理。新人は指導役が付きます」


 ルーシーは札を見下ろした。


 金はある。

 だが、金で身体は動かない。


 続けられる方を選ぶ。


「……浅層を」


 女は頷いた。


「割当を切ります。

 集合は第三門前、午前の鐘二つ」


 ペンが走る。


「同行者はカルヴァン。魔法使いです。

 戦闘と判断の両方を見られる人材です」


 その名前に、昨夜の視線を思い出す。


 理由は分からないが、納得はできた。


「浅層では追わないこと」

「深追いした時点で、あなたの責任になります」


「分かりました」


 帳簿に一行が足される。


「次」


 ルーシーは一礼し、窓口を離れた。


 外に出ると、朝のカルディナはさらに騒がしくなっていた。


 胸の内側で、書類の角を確かめる。


 金はある。

 だが、今日も仕事だ。


 そして次は――

 理由の分からない何かを抱えたまま、

 ダンジョンへ行く。


第三門の前は、朝から人の流れが途切れなかった。


 荷車の軋む音、蹄の乾いた反響、呼び込みの声。

 人と物と仕事が、同じ石畳の上を押し合いながら行き交っている。


 カルディナの門前は、戦場ではない。

 だが、油断すれば揉め事が起きる。止まれば詰まり、詰まれば苛立ちが生まれる。

 都市の入口とは、そういう場所だ。


 ギルドの割当で指定された集合位置は、門の内側、石柱の影。

 流れを妨げず、荷車にも飲まれない、実務向けの場所だった。


 ルーシーは壁を背にして立ち、背中の剣の重みを確かめる。

 歩幅を変えても、鞘が鎧に当たらない。

 行軍で癖は出たが、今は問題ない。


 待つ時間は嫌いではなかった。

 人の流れを見るだけで、この門がどれだけ「使われているか」が分かる。


 第三門を抜けるのは、外で稼ぐ者と、外へ運ぶ者。

 護衛はその間に立つ。荷は持たず、重さだけを背負う仕事だ。


 その流れの端で、見覚えのある背中が止まった。


 カルヴァンだ。


 短いローブ、地味な色合い。杖は持っていない。

 腰の護符袋と薬包だけが、彼が魔法使いであることを示している。


 彼は一度足を止め、周囲を見回してから石柱の影へ入ってきた。

 敵を探す目ではない。事故を避ける目だ。


「……まだ揃ってないな」


「はい」


 それだけで十分だった。

 門前での無駄話は、仕事を増やす。


 少しの沈黙。

 その中で、カルヴァンが低く言った。


「昨日あれだけ食って、今朝は問題なかったのか」


 ルーシーは一拍だけ間を置く。

 言い訳はしない。


「問題ありません」


「……あれだけ詰め込んで、問題ないと言えるのが問題だ」


「寝たら引きました」


「……まあ、そういうこともあるかもな」


 それ以上、話は広がらなかった。

 評価もしない。断定もしない。

 現場に持ち込む話題ではないと、互いに分かっている。


 人の流れの中で、挙動の定まらない若い男が目に入った。

 視線が落ち着かず、剣の柄に何度も手が触れている。


 カルヴァンが顎で示す。


「あれだ」


 彼は先に歩き出し、男の正面で止まった。


「割当札」


「は、はい!」


 男が慌てて紙を出す。

 カルヴァンは一瞥して返した。


「位置が違う。流れの端だ。来い」


 三人が石柱の影に揃う。


「名乗れ。現場で呼び間違えると事故る」


「レインハルトです。Dランク、剣士です」


「ルーシー。Dランク、剣士です」


「カルヴァン。Cランク、魔法使い。後衛で状況を見る。指導役だが、先生じゃない」


 名乗りが終わると、空気が落ち着いた。

 新人は、役割が見えないと余計に緊張する。


 立ち位置は言葉なしで決まった。

 前にレインハルト。次にルーシー。最後にカルヴァン。


 門を抜ける。

 石畳が土に変わり、音が変わる。

 外の空気は、街より少し冷たい。


 歩きながら、カルヴァンが言った。


「浅層だ。危険度は低い。だが仕事は攻略じゃない。管理だ」


 レインハルトが頷く。


「やることは三つ。状況確認、間引き、素材回収。

 目的から外れたら帰れ。成果を欲張るな」


「はい」


「一番多い事故は、相手を増やすことだ。

 逃げた相手は追わない。見失ったらそこで終わりだ。戻って記録に残せ」


 注意は一度で十分だった。


 レインハルトの歩調が、わずかに安定する。

 前だけを見る仕事だと理解した顔だ。


 やがて、岩肌の切れ目が見えてくる。

 生活圏ダンジョン。派手さのない、ただの穴。


 空気が変わる。

 湿り気のある冷えが、足元から上がってくる。


 カルヴァンが最後に言った。


「今日は様子見だ。帰って報告できれば、それで勝ちだ」


 影が入口から伸びている。


 ルーシーは剣の重みを背中で確かめ、息を整えた。

 ここから先で役に立つのは、契約でも評価でもない。


 今日の判断だけだ。


 三人は、順に影の中へ踏み込んだ。


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