第35話 第三部 評価と対価
応接室は倉庫の奥にあった。
飾り気はないが、机の天板だけは磨かれている。角の欠けた木椅子が七つ。壁には帳簿棚と、封蝋の型。窓は小さく、外の喧騒は薄い布みたいに遠くなった。
商売の話をする部屋だ。
戦場の延長ではない。けれど、ここもまた「勝負」の場だった。
エドガーが席に着き、マーサが帳簿束を机に置く。
想像していたより厳格な手順で、紙が並ぶ。
到着日時、通行証、封印の照合結果、検品票、倉庫主任の署名。
ブレイデンは背もたれに寄りかからず、肘を膝に置く姿勢で待った。
護衛側の代表として、余計な態度は取らない。
カルヴァンとエステル(回復役の魔法使い)は端の椅子に腰を落とし、杖を壁に立てかける。
ルーシーも同じように座り、背中の剣が椅子に当たらない角度を探した。
(こういう場、久しぶりだ)
日本にいた頃も、契約や金額の調整はあった。
ただ、ここでは数字の後ろに「命」が張り付いている。
破損ゼロは、綺麗事ではなく現場の積み重ね。遅延ゼロは、夜の見張りと眠気の戦いの結果だ。
エドガーが帳簿から顔を上げた。
「まず結論だ。納品は問題なし。破損なし。遅延なし」
淡々としている。だが、声の底に満足がある。
「予定通りの護衛料を支払う。加えて――」
そこで一拍。
エドガーはマーサに視線を投げる。
マーサが小袋を二つ、机に置いた。
ずっしりとした革袋。音が重い。
「基本報酬。護衛班にひとつ。商隊側の追加作業分がひとつ」
マーサの説明は簡潔だった。
ブレイデンが袋に手を伸ばす前に、エドガーが止めるように言った。
「内訳は聞くか?」
「聞く」
ブレイデンが短く答える。
この男は、感情で受け取らない。金は契約の結果として確認する。
マーサが紙を一枚広げた。
細かな字。項目ごとに金額が刻まれている。
「護衛料は『往路のみ』で、七名分。魔法使い二名の手当ては別枠で商会負担。野営補助の雑務は契約外ですが、今回、撤収と薪の調達が非常に円滑だったので……」
そこまで言って、マーサはルーシーをちらりと見た。
「商会として“作業遅延の回避”に貢献した分を評価し、追加分を計上しました」
エドガーが続ける。
「要するにだ。護衛が“戦う”だけじゃなく、荷を商品として運ぶ流れを壊さなかった。俺はそれを買う」
ブレイデンが頷く。
そして、袋を一つ受け取った。中身を確認はしない。信頼というより「ここで揉めても得がない」と分かっている。
エドガーが次に、別の封筒を机に置いた。
封蝋の跡。白い紙。厚みがある。
「……これは?」
ブレイデンが問う。
「推薦状だ」
エドガーが短く言った。
「カルディナの商会ギルド宛て。今後、中央寄りの仕事を回す際、“護衛としての運用実績がある”という証明になる」
それは、金より重い場合がある。
単発の報酬は消えるが、推薦は次を呼ぶ。
ブレイデンが封筒を見て、少しだけ目を細めた。
「珍しいな。あんたが紙を出すのは」
「珍しいから出す」
エドガーはぶっきらぼうに返した。
「今回の荷は高額だ。運んだだけで価値がある。だが――盗賊が出た地点で、失敗する確率は跳ね上がった。それをゼロにした。だから、次も“同じ質”を買う」
そこで、エドガーの視線がルーシーへ向いた。
商人の目だ。
人間を、品定めする目。
だが、嫌な感じはしなかった。仕事の価値を見ているだけだ。
「……お前」
エドガーが言う。
「最初、疑った。装備が不釣り合いだったからな」
ルーシーは言い訳をしなかった。
商人に説明しても意味はない。結果だけが残る。
エドガーは紙を指で叩いた。
「だが、今日の検品結果が答えだ。破損ゼロは、偶然じゃない」
言い切ってから、少しだけ言葉を選ぶ間があった。
「……悪かった。最初の評価を改める。お前は“仕事ができる”」
その一言は、熱い称賛ではない。
だが、ルーシーにとっては十分だった。
「ありがとうございます」
ルーシーは短く頭を下げた。
エドガーが鼻で息を吐く。
「礼はいらん。次もそう動け。仕事はそれだけだ」
商人の言葉として、これ以上のものはない。
マーサが紙束を片付けながら、少しだけ表情を緩めた。
「……それと。ルーシー、あなたに個別の支払いがあるわ」
そう言って、小さな袋を一つ、机の上に置いた。
袋はさっきの二つより小さい。だが、重さはある。
ルーシーは反射的に「いいんですか」と言いかけて、飲み込んだ。
ここは“契約の場”だ。感情の礼儀は後だ。
マーサが説明する。
「荷下ろしは契約外。でもあなたが入ったことで、倉庫側の人員を追加で雇わずに済んだ。人件費相当の一部。商会規定に基づく臨時支給よ」
理屈が揃っている。
ルーシーの好きな形だ。
「受け取ります」
短く答え、袋を手元に寄せた。
エドガーが最後に、釘を刺すように言った。
「ここまでが商会の支払いだ。護衛の分配は護衛側でやれ。揉めるならそれはお前らの責任だ」
「揉めない」
ブレイデンが即答した。
「配分は決まってる」
その瞬間、場の空気が少し緩んだ。
契約が締結された合図だった。
エドガーが立ち上がる。
「以上だ。倉庫側の手続きはマーサがやる。護衛は休め。今夜はカルディナで一泊。明朝、解散でいい」
言い終えると、視線をルーシーへ戻し、付け足す。
「……剣、使いこなすまでに自分を壊すな。荷より先に護衛が潰れると、次は買えん」
重すぎる、とは言わなかった。
代わりに「技術が追いつくまで、壊れるな」と言った。
その方が、ルーシーにはずっと腑に落ちた。
「はい」
ルーシーは頷いた。
ブレイデンが椅子から立ち、護衛側にだけ通じる口調で言う。
「……よし。終わりだ。外に出るぞ」
応接室を出る。
倉庫の通路は薄暗く、外の光が眩しい。
ルーシーは袋の重みを掌で確かめた。
金の重さは、単なる報酬ではない。
“危険を処理した結果”が、数字として固定される。
(……生きて働いた分だけ、ちゃんと返ってくる)
昨日までの見習いの稼ぎとは違う。
この世界の「日常」は、こうして積み重なっていく。
倉庫の外で、ブレイデンが振り返った。
「次は解散の段取りだ。酒場で一度集まる」
それは命令ではなく、業務連絡に近い。
だが、ルーシーにはそれが“仲間扱い”に聞こえた。
「了解しました」
こうして、仕事は一区切りついた。
次に来るのは――プロ同士の、距離のある別れだ。
次で35話終わります。あと一部・・・
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