第35話 第一部 境界の都市
出発から六日目の昼過ぎ。
長く続いた街道の景色が、ついに終わりを迎えた。
「……見えたぞ」
先頭を歩く斥候のフィンレイが、短く声を上げた。
前方の視界が開け、街道の先に巨大な影が浮かび上がる。
石造りの高い城壁。
その向こうに見える尖塔群と、立ち上る無数の炊煙。
中央圏外縁に位置する商業都市、『カルディナ』。
今回の輸送任務の目的地だ。
隊列の中に、ふっと重い荷を下ろしたような安堵の空気が流れた。
御者たちが強張らせていた肩の力を抜き、馬たちもそれを察したのか、鼻を鳴らして歩調を軽める。
「気を抜くな」
ブレイデンの低い声が飛ぶ。
だが、その声色にも、数日前のような鋭さはなかった。
六日間、一度の大きな崩れもなくここまで来た部隊への、静かな信頼が含まれている。
(……やっと、着いた)
ルーシーは遠くに見える城壁を見上げながら、小さく息を吐いた。
エルデンを出てから六日。
平原を越え、森を抜け、舗装されていない道をひたすら歩き通した。
距離にして二百キロ前後――荷車込みなら、体感はそれ以上だ。
疲労はある。
ブーツの中の足は重いし、鎧のベルトが肩に食い込む感覚もある。
だが、息は乱れていない。
毎日規則正しく歩き、食べ、眠る。そのサイクルに、身体が完全に適応している。
「……お前、本当に化け物だな」
隣を歩く魔法使いのカルヴァンが、呆れたように笑った。
彼もベテランだが、さすがに六日の行軍で顔には疲労の色が濃い。
対してルーシーは、初日と変わらない姿勢で歩いている。
「ただの体力馬鹿です」
「それが一番の才能だって言ってるんだよ。
魔法使いなんぞ、三日目には荷台に乗りたくて泣きそうだったんだからな」
軽口を叩けるほどには、パーティの空気は柔らかくなっていた。
この六日間で、ルーシーは完全に「戦力」として馴染んでいた。
戦闘での穴埋めだけではない。
野営での薪拾い、水汲み、朝の撤収作業。
文句ひとつ言わず、誰よりも働き続けた「Dランク」を、もはや誰も新人扱いはしていなかった。
◇
カルディナの城門前は、入街待ちの馬車や旅人でごった返していた。
だが、グレイン商会の馬車は、堂々と商用優先レーンへと進んでいく。
門番が槍を構え、近づいてくる。
エドガーが馬車から降り、通行証を提示した。
「ご苦労様です。グレイン商会、エルデンからの定期輸送便です」
「確認します。……積み荷は精製金属と、薬品素材ですね。
後ろの護衛は?」
「いつもの『アイアンシクス』と、追加の一名です」
門番の視線が、ルーシーに向けられた。
見慣れない顔。背負った剣。そして不釣り合いなほど整った装備。
怪訝な顔をしかけ――すぐにブレイデンと目が合い、納得したように頷いた。
「なるほど、ブレイデンのところの新入りか。
随分と良い装備をさせてるな」
「まあな。期待株だ」
ブレイデンが短く嘘をついた。
いちいち説明する手間を省いたのだ。
そのさりげない庇護が、ルーシーには少し嬉しかった。
「通ってよし! 次は――」
門が開かれる。
馬車が動き出し、ルーシーたちもそれに続く。
城壁を抜けると、そこにはエルデンとは違う、都会の空気が満ちていた。
道幅が広い。建物が高い。
行き交う人々の服装も洗練されており、並んでいる屋台からは嗅いだことのない香辛料の匂いが漂ってくる。
「……ふぅ」
荷台に乗っていた商会員のマーサが、眼鏡の位置を直しつつ、大きく伸びをした。
「着いたわね。
破損なし、遅延なし。
これだけ繊細な薬品素材を運んで、瓶一つ割れなかったのは久しぶりよ」
彼女はルーシーを見下ろし、満足げに微笑んだ。
「お疲れ様、ルーシー。
貴女が荷車の揺れに合わせて歩いてくれたおかげよ。
変な振動が少なくて、助かったわ」
「いえ、仕事ですから」
ルーシーは淡々と答えたが、視線を落とし、ほんの一瞬だけ口元を緩めた。
派手な活躍ではない。
けれど、確実に「役に立った」という実感。
エドガーが先頭から声を張り上げる。
「納品先の倉庫へ向かうぞ!
荷下ろしまでが契約だ。最後まで気を抜くな!」
「応!」
護衛たちが短く答える。
ルーシーも剣のベルトを握り直し、前を向いた。
鉄の歩調は、都会の石畳の上でも変わらない。
六日間の長い旅路が、今、終わりを迎えようとしていた。
無事に街について初めての長旅もようやく終わりました。
また、たくさんの方に読んでいただき、大変感謝しております。
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