第4話 目覚めた場所、見られる側
とりあえず5話まで今日書いてみます。
意識が戻ったとき、最初に感じたのは痛みだった。肩が、鈍く熱を持っている。布をきつく巻かれた締めつけもある。
瑠衣はすぐには目を開けなかった。背中の下は、固い板だ。炉の火の匂いと、乾いた草の匂い。近くで、鍋がことことと鳴っている。
そこまで確かめてから、目を開けた。
低い天井から、干した草の束がいくつも吊るしてあった。炉には黒い鍋が掛かって、湯気を上げている。瑠衣は粗末な寝台の上に、ごわごわした毛布を掛けられて寝かされていた。
スーツの上着は、炉のそばの釘に掛けてあった。肩口が手のひらほど裂けて、まわりの灰色が黒ずんで固まっている。シャツの肩から胸にかけて布が何重にも巻いてあり、青くさい薬草の匂いがした。
窓の外は、もう暗かった。
少し離れた所に、男が三人、立ってこちらを見ていた。
三人とも、瑠衣よりずっと年上だった。真ん中の男は肩幅が広く、組んだ腕の指が太い。その横の男は、立っているだけなのに、体がどこか落ち着きなく揺れている。三人目は、頬骨の上に古い白い傷が一本ある男で、いちばん後ろの壁ぎわで動かない。
戸口は、三人の向こうにある。窓は小さく、肩が通りそうにない。
瑠衣は毛布の下から、空の両手をゆっくりと持ち上げた。
真ん中の男が、わずかに腰を落とした。腰の刃物の柄に、太い指がかかる。
炉の中で、薪が小さくはぜた。
鍋の向こうで、ごつ、と木の当たる音がした。
炉の陰から、人が一人、立ち上がった。
女だった。四十代の終わりか、五十を少し過ぎたくらい。白いものの混じった髪を、頭の後ろできつくまとめている。まくった袖から出た腕は、真ん中の男と並べても見劣りしないほど太い。片手に、柄の長い、大きなお玉を握っていた。
女は寝台と三人のあいだへ、のしのしと歩いてきた。瑠衣に背中を向けて、男たちの前に立つ。
「――」
低く、短い一言だった。
真ん中の男の指が、刃物の柄からすっと離れた。叱られた子どものような離れ方だった。
女は振り返ると、上がったままの瑠衣の両手を、自分の手で下へ押し下げた。厚くて、乾いた手のひらだった。前掛けから、包帯と同じ薬草の匂いがした。
真ん中の男が、女の肩ごしに、短く硬い音を出した。
「――?」
問いかけだということだけは分かる。瑠衣は首を横に振ってから、自分の胸を指さした。
「ルイ」
男たちは顔を見合わせた。揺れている男が早口でまくしたて、真ん中の男がそれを一言で切る。女は腕を組んで、お玉の柄で自分の肩をとんとん叩いていた。
(名刺も、もらえないし。太い指と、しゃべる人。とりあえず、そう呼ぼう)
三人目は、まだ一言も話していない。
瑠衣は肩の包帯を指さした。指を曲げて牙の形を作り、自分の肩に、がぶりと噛みつかせる。それから両手で、耳の立った頭と長い鼻先を、宙に描いてみせた。
しゃべる人が、ぱっと顔を上げた。
両手を口の横に当て、天井に向かって喉をそらす。
「ウォォ……ォン」
遠吠えだった。
「似てます。無駄に」
思わず口に出ていた。しゃべる人は褒められた顔で胸を張り、もう一度喉をそらしかけた。その肩を太い指が押さえ、瑠衣のほうを見て、低く言った。
「……ヴァル」
その音だけが、くっきりと耳に残った。
「ヴァル」
瑠衣がくり返すと、しゃべる人が、ぱん、と手を叩いた。
小屋の空気が、少しゆるんだ。
しゃべる人の目が、瑠衣の左の手首に吸い寄せられた。首を伸ばして銀色の腕時計を眺め、太い指の袖を引く。太い指はちらりと見ただけだった。
しゃべる人は、それで勢いがついた。
小屋の真ん中に出てきて、両手の指を曲げて口の前に構え、低く身構える。そこから、何かに脚を払われたように大げさに体を傾け、床の上をごろごろ転がって、壁の柱にどん、と背中をぶつけた。
「――!」
起き上がると、目を丸くして瑠衣を指さした。もう一度身構える。転がる。柱にぶつかる。また、瑠衣を指さす。
倒木の陰の、あの一匹だ。どこから見ていたのだろう。
「いえ、あれは、下り坂で、向こうが勝手に……」
しゃべる人は三度目に転がろうとして、床に寝そべった。
その頭に、お玉が降ってきた。
こーん、と、空の鍋を叩いたような、いい音がした。
瑠衣は吹き出しかけて、肩が引きつれ、息を呑んだ。
しゃべる人は頭を押さえたまま、笑われたのがまんざらでもない顔をしていた。女はお玉を前掛けでひとふきして、何事もなかったように腕を組み直した。
(お玉の人。あの人には、逆らわないでおこう)
そのとき、壁ぎわの三人目が初めて動いた。
片方の手を胸の前に置き、もう片方の手を、横へゆっくりと伸ばしていく。肘が伸びきっても足りないというように、指先までぴんと張った。しゃべる人が転がってみせた距離より、ずっと広い。
それだけやって、三人目はまた黙って腕を組んだ。
太い指が、瑠衣の細い手首に目をやって、眉のあいだにしわを一本寄せた。
「盛ってます。お二人とも、盛ってます」
しゃべる人が、わが意を得たりという顔で、何度も大きくうなずいた。壁ぎわの三人目は組んだ腕の中で、もう一度だけ指先を伸ばしてみせた。
太い指は何か言いかけて、やめた。炉から先の焦げた細い枝を一本抜き取り、寝台の前にしゃがみこんで、床板に炭で線を引いていく。
くねった長い線。その端に小さな四角。反対の端に、ぎざぎざの線で囲んだ大きな丸。
太い指は四角を叩いてから、両手を合わせて頬に当て、目を閉じてみせた。それから、くねった線を指でたどって、大きな丸の上でとんと止める。
「今夜はここで、明日はあの丸、ですね。どのくらい、歩きます?」
太い指は、まかせておけという顔で深くうなずき、大きな丸をもう一度叩いた。
(縮尺の質問は、なかったことにされた)
太い指が、壁ぎわの三人目に顎で合図した。
三人目は木の器に水がめから水を汲んで、こちらへ歩いてきた。けれど寝台の手前で止まり、器だけを床に置いて、また壁ぎわへ下がった。
(水の人)
喉は、ひりつくほど渇いていた。
(毒だったら、異世界に来て二回死ぬことになる)
手を伸ばすと、肩が引きつれた。器を持ち上げ、匂いを確かめる。土と、木の匂いがするだけだ。
男たちは息をひそめて見ていた。しゃべる人まで、口を閉じている。
瑠衣は器を両手で持ち直して、頭を下げた。
「いただきます」
しゃべる人が、きょとんと首をかしげた。
一口、含んだ。
冷たくて、ほのかに甘い。喉を落ちていく冷たさが、体の奥までまっすぐに届いた。
この世界に来て、誰かから受け取った、初めてのものだった。
壁ぎわの水の人が、低く笑った。
それを合図にしたように、お玉の人が鍋の前にしゃがんだ。木の椀を三つ並べて汁をなみなみと注ぎ、一つずつ男たちの手に押しつける。そして、お玉の先で戸口を指した。
しゃべる人が椀を持ったまま、自分の両腕をさすって、がたがた震えてみせる。
(寒い、の主張)
お玉が、すっと持ち上がった。
しゃべる人は、震えるのをやめた。
太い指がうなずいて、椀をこぼさないように戸口をくぐった。しゃべる人が続き、最後に水の人が外から戸を閉めていった。少しして、遠くで、建てつけの悪い扉のきしむ音がした。
お玉の人は筵を一枚取って、戸口の前に広げた。それから寝台のそばまで来て、瑠衣の額に手のひらを当て、毛布を顎の下まで引き上げる。
お玉の人は戸口の筵に、戸をふさぐ向きでごろりと横になった。お玉は、手を伸ばせば届く所に置いてある。
炉の火が、少しずつ小さくなっていく。
気がつくと、毛布の端を胸の上で握りしめていた。指の関節が白くなっている。いつから握っていたのか、分からなかった。
瑠衣は指を一本ずつ、毛布からはがした。
(……この人がいるなら、大丈夫)
戸口のほうから、もう太い寝息が聞こえてきた。
そのとき、小さな窓に、外から顔が一つのぞいた。太い指だった。
毛布から出た瑠衣の左の手首で、腕時計が、炉の残り火を映して光っている。太い指の目が、そこで止まった。
太い指は窓の外から、腕時計をまっすぐ指した。
「……コレ?」
戸口で、目を閉じたままのお玉の人の手が、お玉の柄をつかんで、ゆっくりと持ち上げた。
窓の顔が、消えた。
(これ? これが、どうかしましたか)




