第28話 見られているということ
朝のギルドは、昨日より少し騒がしかった。
掲示板の前に人が溜まり、依頼書を剥がす音が続いている。
ルーシーは、その少し後ろに立っていた。
急いではいない。
でも、ぼんやり眺めているわけでもなかった。
(……今日は、変な選び方はしない)
白と黄色を順に目で追う。
護送、修繕、巡回。
どれも「できる」。
だからこそ、昨日と同じ感覚で選ぶのは避けたかった。
目に留まったのは、近郊巡回と作業地確認。
討伐は含まれていない。
だが、完全に安全とも書かれていない。
(……これくらいが、今の位置かな)
そう思った瞬間、背後から声がした。
「ルーシー」
振り向くと、マレーナが受付を離れて立っていた。
忙しそうな朝に、わざわざこちらへ来ている。
「もう決めた?」
「いえ、今……」
ルーシーが視線を戻すと、
マレーナは迷いなく一枚の依頼書を指で軽く叩いた。
「それ」
短い一言。
「今日のあなたなら、ちょうどいい」
一拍だけ間があって、マレーナは付け足す。
「……昨日より、ね」
それだけ言って、何事もなかったように受付へ戻っていった。
(……見られてる)
でも、不思議と嫌な感じはしなかった。
むしろ、少し背筋が伸びる。
ルーシーは依頼書を外し、受付に出す。
「これ、受けます」
マレーナは帳簿を開きながら言った。
「二人組。相手は昨日と同じよ」
「……分かりました」
集合場所にいたのは、ノックだった。
「ああ、やっぱり」
顔を見た瞬間、少しだけ笑う。
「また一緒だな」
「よろしくお願いします」
「昨日の続き、って感じだな。
今日は楽だ」
楽、という言葉に、少しだけ気が抜けた。
町を出て、並んで歩く。
巡回は、ただ歩くだけの時間が長い。
「正直、この仕事は地味だ」
ノックが前を見たまま言う。
「でもな、派手な仕事より、
こういうのをちゃんと回せるかで信用が決まる」
「……はい」
森の境目を目で追う。
草の倒れ方、足跡、柵の歪み。
昨日より、視線が落ち着いている。
「ここ」
ルーシーが足を止める。
「踏み跡、増えてます」
ノックが近づいて確認し、眉を上げた。
「ほんとだな。
昨日より新しい」
一瞬、ルーシーの体が前に出そうになる。
(……行く?)
その瞬間、ノックが半歩だけ前に出た。
何も言わない。
ただ、位置を取る。
(……あ)
ルーシーは、そこで止まった。
「追わない」
ノックが短く言う。
「ここは見るだけだ」
「……はい」
少し遅れて、心臓が強く打った。
出なくてよかった、と分かる。
「今の、危なかった?」
ノックが前を向いたまま聞く。
「……ちょっと」
「大丈夫。
止まれたなら、問題ない」
それだけで終わりだ。
責めない。
褒めもしない。
仕事は、そのまま進んだ。
ギルドへ戻り、報告を出す。
「巡回完了。
踏み跡あり、未接触。変化のみ確認」
マレーナは書き込みながら顔を上げた。
「判断は?」
「深追いしませんでした」
「……そう」
ペンを止めずに続ける。
「やりすぎなかったのね」
「はい」
「それでいいわ」
その一言で終わりだった。
ノックが小さく息を吐く。
「助かったよ。
昨日より、ずっとやりやすい」
「……そうですか?」
「ああ。
前に出たくなる人は多いけど、
止まれる人は少ない」
少し照れて、ルーシーは視線を逸らした。
掲示板の前を通り過ぎたとき、
背後で小さな声がした。
「……あの人か」
誰に向けた言葉かは分からない。
ただ、確かに自分の方を見ていた気配があった。
ルーシーは足を止め、振り返る。
そこには、依頼書を見ている冒険者が二人。
こちらには気づいていないふうで、すぐに話を戻していた。
聞き間違いだったかもしれない。
――でも。
さっきの声が、
ただの聞き間違いだったとは思えなかった。




