第27話 守るための立ち位置
「そこの、ギルドの。突っ立ってるなら、そっちの端、押さえててくれ」
若い木こりが、斧の柄で倒木の端を示した。日に焼けた首筋に、汗が光っている。
「跳ねると、刃が逃げる」
「はい」
集落の外れで、嵐で倒れた木を切り分ける作業の立ち会いだった。倒木を村人たちが囲み、その向こうで、今日組む三人がそれぞれの位置についている。斧を担いだ女、杖を持った男、短槍の若い男。
ルーシーは村人たちのすぐ後ろで、倒木の端に両手をかけた。
(昨日は、二歩出た。今日は、一歩も出ない)
動いてから考えると、二歩になる。だから、手に力を入れる前に考えた。
(押さえすぎれば噛む。軽すぎれば跳ねる。……跳ねる向きにだけ)
腰を落として、丸太が跳ねようとする向きにだけ、手のひらで蓋をした。
若い木こりが、斧を振り下ろした。
――コッ。
刃が、気持ちよく木に入った。白い木っ端が一つ、くるりと回って飛んでいく。斧は、軽く引いただけで抜けた。
木こりは、木っ端の落ちた所を見て、一度だけうなずいた。それから、半歩先の次の切り口に刃を当てて、顎をしゃくった。
「次も、そこ」
ルーシーは手を半歩ずらした。コッ。コッ。斧の音が、同じ高さで続いていく。
手のひらの下で、木が割れていく震えだけが、同じ間合いで伝わってきた。
休みに入ると、斧を担いだ女がルーシーの隣に来て、倒木から突き出た太い枝を一振りで払い落とした。
若い木こりが、口笛を吹いた。
「マルサの姉さん、相変わらずだな」
「相変わらずって何。褒めてよ」
マルサは斧を肩に戻して、ルーシーに顎をしゃくった。
「止めるっていうか、叩く係。あんたは?」
「ルーシーです。今日は、足を引っ張らないようにします」
杖を持った男が、穏やかに会釈した。
「ユリオです。合図係です。合図は、これ」
杖の先で、地面を二度鳴らす。先に巻いた鉄が、乾いた土の上でよく通る音を立てた。
カツ、カツ。
「それが聞こえたら、どうすれば?」
「聞こえたら、分かります」
ユリオは、にこにこしたまま、それ以上言わなかった。
「それと、こっちはディン。口数が、僕の半分です」
短槍の若い男が、片手だけ上げた。それで終わりだった。
その目が、ルーシーの腰回りに下りた。
「武器、ない?」
「ありません」
「だから、そこか」
「素手でなんとかしようとする人、たまにいるけどね」
マルサが、歯を見せた。
「昨日、いました。私です」
マルサが吹き出した。ディンは、ルーシーの顔を見直して、一言だけ言った。
「……正直」
休みが明けて、斧の音がまた揃いはじめたころだった。
木柵の向こうで、草が鳴った。
「来る」
ディンの声が落ちた。
柵の下の隙間から、細長い影が転がりこんできた。イタチに似ていて、大きさは犬くらいある。胴が、蛇みたいに伸び縮みする。遅れて、もう一匹。二匹とも、くぐってきた柵を一度振り返ってから、隙のできたほうへ鼻先を向けた。
「ミルド。追われて出てきた顔だね」
マルサが、斧を構えた。
カツ、カツ。
杖が二度鳴った。村人たちの斧が、一斉に下りる。振りかぶっていた腕まで、その場で止まった。
若い木こりだけが、下ろさなかった。斧を構えて、ルーシーの前へ出ようとする。ギルドの女に押さえてもらってばかりじゃいられない、という大きな一歩だった。
その足が、倒木の端に引っかかった。尻もちをつく。ミルドが、距離を詰めた。
ルーシーの足が、反射で前へ出かけた。
(荷が先。人が先。私の手は、いちばん最後)
両手を、背中で組んだ。代わりに一歩だけ横へずれて、木こりとミルドの間に体を置く。追いかけもしない。ただ、道を塞ぐ。
ルーシーの靴先の半歩手前で、ミルドの鼻先が止まった。ミルドは土を掻いて、横へ逸れた。
「いい」
ディンが、短く言った。
「マルサ、右!」
マルサの斧が、ミルドの鼻先の地面を叩いた。鈍い音と震えに、ミルドが跳ね退く。
「ユリオ!」
マルサが叫ぶと、ユリオが杖を高く上げた。
「今!」
ディンが前に出て、穂先で地面を薙いだ。当てるのではなく、線を引いて、その線を越えさせない。
ルーシーは、穂先の引いた線から、目が離せなかった。
二匹は回り込もうとしたが、こちらが崩れないので、やがて柵の外へ戻っていった。
振り返ると、若い木こりが尻もちをついたまま、ルーシーの背中で組んだままの両手を見上げていた。
「大丈夫ですか」
「悪い。助かった」
木こりは斧を拾って立ち上がり、肩越しに言った。
「明日も、突っ立ってるのか」
「突っ立ってます」
木こりは鼻の頭を指でこすって、倒木のほうへ戻っていった。
その日いちばん多く斧を振ったのは、彼だった。丸太の端は、自分の足で踏んで押さえていた。
帰りぎわ、依頼主の年配の男が、根菜を山盛りにした籠をルーシーに押しつけた。
「持ってけ。今年は採れすぎた」
断る間もなく、腕の中が土の匂いでいっぱいになった。
「ドゥア。あ、いえ、トゥア、です」
年配の男は、籠を押しつけた手のまま、目を丸くした。
「おかわりは、ねえぞ」
マルサが、また吹き出した。
帰り道、マルサが肩を回した。
「さっきの立ち方、良かったよ」
「立ってただけです」
「突っ立ってる係、ね」
「顔はおっとりしてるのに、立ち位置は冷静ですね」
ユリオが、杖に寄りかかって笑った。
「褒めてます?」
「褒めてます。たぶん」
「『たぶん』って何。褒めてるよ」
マルサがすぐ乗った。
「で、昨日の素手の人は、何をやらかしたの」
「卵を、二つ」
「割ったの?」
「割らせました。持ち場を離れたので」
ディンが、ぼそりと言った。
「……今日は、離れなかった」
ユリオが、その顔をまじまじとのぞきこんだ。
「ディンが、今日いちばん長くしゃべりました」
ギルドの前で、三人とは別れた。ルーシーは籠を抱え直して、一人ずつ顔を見た。
「マルサ。ユリオ。それと、ディン。今日は、ありがとうございました」
ディンは返事の代わりに、短槍の石突きで、地面を一度だけ鳴らした。
「今のが、ディンの『またな』です」
ユリオが言った。
ギルドに入ると、掲示板の前で、羽根の人が知らない冒険者に拳を突き出させて、こつん、と合わせ方を教えていた。
報告を出すと、マレーナの視線が、ルーシーの抱えた籠に落ちた。
「それは?」
「現物支給です」
「報酬の欄には、書けないわね」
マレーナは、ペンの尻で、籠のいちばん上の根菜を一つつついた。
受付の奥から、フィリスが紙を一枚持って出てきた。糊で固まった袖口をまくり上げ、掲示板の端に、留め針で紙を留める。
広間の何人かが、話をやめて、そちらを見た。
赤い紙だった。
長椅子から真っ先に立ったのは、丸い大盾を担いだ男だった。




