第25話 加減が難しい
「紙一枚に、ずいぶん丁寧だな」
トムが荷車の縁に腰を預けて、ルーシーの手もとをのぞきこんだ。四つに畳んだ依頼書が、指先につままれている。
「見てたんですか」
「見てた。掲示板から外すとき、端っこだけ、こう、つまんでた」
トムが、ありもしない紙を親指と人差し指でつまんでみせた。
「紙は、破ったら直せないので」
「箱なら直せるみたいな言い方ね」
リナが、くすりと笑った。
町の北の外れの、修繕の現場だった。壁の板が外れ、屋根の端が歪んだ木造の建物のあちこちで、釘を打つ音がしている。
奥から、依頼主の職人頭が出てきた。白髪まじりの短い髭で、耳に削りかけの木の筆を挟んでいる。
「これ、ここまで。木材と金具。あと釘」
職人頭は荷車を指し、建物の裏の材木の山を顎で示した。
「本当なら、北の森の材でやるはずだった。木こりが入りたがらん。奥で、木が倒されとる。……何が倒したのかは、知らん」
職人頭は耳の筆を押しこみ直した。
「半日で運び終えたら、四人で銀貨四枚。箱はそっち。木は二人で」
ルーシーは思わず、手のひらを一度打ち合わせていた。
「コレ、です」
「懐かしいな、それ。親方がよくやってた」
トムが笑って自分も手のひらを打つと、職人頭はよく分からないまま、自分の手のひらもぱんと打った。
荷台のいちばん底に釘の箱が二つ、その上に重い金具の箱が載っている。金具を使うのは裏の壁、釘は足場、木は鋸のそばだ。
(二回運ぶ箱を、作らない)
「トム。先に、金具の箱を裏の壁の下へ。そのあと、釘を足場の下に。木はいちばん最後で、鋸のそばです」
「どれから下ろしても、運ぶ数は同じだろ」
「同じです。でも、いったん荷車の横に下ろすと、そこからもう一回運ぶので」
トムは口をとがらせかけて、荷台の奥の釘箱を見た。
「……二回運ぶの、俺だな」
「たぶん」
職人頭が耳の筆を抜き、筆の尻で、裏の壁の下の平らな所を指した。
「金具は、あそこだ。釘は、梯子の左」
筆は、それきり耳に戻らなかった。
金具の箱は、三つ目まで何事もなく運べた。
四つ目に手をかけたところで、トムが言った。
「それは二人のやつだな。俺とカイで――」
「え、そうなんですか?」
持ち上げかけていた箱を、いったん下ろすことにした。
下ろす前に、右手が勝手に動いていた。箱の縁を離れて、蓋の上に移る。手のひらを下へ向けて、蓋をそっと押さえる形。左手で底を支えたまま、その手のひらに合わせて、箱をゆっくり沈めていく。
箱の底が、土に触れた。音は、しなかった。
トムが、蓋の上のルーシーの右手を指さした。
「それ、倉庫の合図だろ」
「体が、覚えてました」
足場の上から、笑い声が降ってきた。
「おい、ギルドから来たの、女が混じってると思ったら、箱の置き方まで上品だな」
若い職人が、木槌の柄でこちらを指していた。
「箱は運べても、釘は無理だろ。指打って泣くぞ」
トムが口を開きかけ、ルーシーが先に小声で言った。
「あの人、私の最初の職場の先輩に似てます」
「お前の最初の職場、知らないし」
カイが、残りの箱を指で数えながら返した。
釘箱を受け取りに、その若い職人が足場から下りてきた。板の継ぎ目に釘を一本立てて、にやにやと木槌を差し出してくる。
「ほら、ギルドのお姉さん。ここ一本、打ってみろ」
ルーシーは木槌を受け取って、真顔で言った。
「指、打ったら泣きます」
「泣け泣け。見ててやるから」
柄をしっかり握って、普通に振り下ろした。
――ガン。
釘が、くの字に曲がって寝ていた。頭のまわりの板が、三日月の形にへこんでいる。
「指は、無事です」
言いながら、自分の右手を見た。指の節が白くなるほど、柄を握りこんでいた。
(握りすぎ。槌の仕事まで、手でやってる)
若い職人は、曲がった釘を指でつまんで抜き、前掛けのポケットに放りこんだ。それから、自分の木槌で、そばに立てた釘を軽く叩いてみせた。コン、コン、コン。
「手首、抜け。槌の重さだけで落とせ。三回でいい。一回で沈めようとすんな」
新しい釘が、板に立てられた。
柄を指先で持ち直して、手首から力を抜いた。木槌の頭が、自分の重さで落ちていく。
――コン。
釘が、すっと沈んだ。頭は板の面とぴたりと揃っている。
「……三回って言ったろ」
「すみません。一回で、入っちゃいました」
職人頭が来てしゃがみこみ、三日月のへこみと、隣のまっすぐな釘とを、親指の腹で順になでた。
「教えた奴が上手いのか、教わった奴が上手いのか」
若い職人が、鼻の下をこすった。
「俺だろ」
職人頭は、へこんだ板に炭で小さな印をつけて、立ち上がった。
「あの板は、こっちで替える。あんたは運ぶほうを頼む」
「はい。運びます」
木材は、二人で持った。ルーシーは端を持ち、反対側のトムと歩幅を合わせることだけ考えた。
(持ち上げない。引っ張らない。支えるだけ)
木材が、ふわっと軽くなった。
「ん?」
反対側のトムが、木材ごしにこちらを見た。
「今、持ち上げた?」
「持ち上げてないです。支えた、だけ……」
「トムの腕が浮いてる」
カイが遠慮なく言った。
「浮いてないわ!」
トムは耳まで赤くして言い返し、それから自分の腕を見下ろした。
「……いや、半分浮いてるわ。なんだそれ」
「ルーシー、あなた、便利すぎる。木材運搬の神器みたいになってる」
リナが、木材の下をのぞきこんだ。
「嬉しくない!」
三人が笑った。
仕事は半日で終わった。荷車の横に、下ろした箱は一つも残っていなかった。
帰りぎわ、職人頭がルーシーを呼び止めた。耳の筆で板の切れ端に何か書きつけて、差し出してくる。
「次に人を頼むとき、これをギルドに出す。釘のほうじゃない。運ぶほうでな」
「運ぶほうで、がんばります」
板を両手で受け取ったとき、横から日に焼けた手が伸びてきた。若い職人だった。何も言わずに、板切れの上に釘を一本置いていく。
まっすぐに伸ばした釘だった。頭のところに、木槌で叩き直した跡がいくつも残っている。
「次は、三回で打てよ」
若い職人は、もう背中を向けていた。
ルーシーは釘を指でつまんで、上着のポケットにしまった。
ギルドへ戻る道すがら、カイが空になった荷車の轅を引きながら言った。
「曲げた釘が、帰りにはまっすぐか」
「直して、くれました」
「じゃあ、あっちも、まっすぐになったな」
「何の話だよ」
トムだけが、話に置いていかれていた。
見習い寮の部屋の扉には、木の掛け金がついている。受け金に差しこむはずの栓はとうになくなっていて、丸い穴だけが残っていた。ここに来てから毎晩、ルーシーはその扉に椅子の背を立てかけて寝ている。
ポケットから、もらった釘を出した。頭の叩き直した跡を、指の腹でなぞる。
穴に当てると、押しこむまでもなく、すっと通った。扉を内側から引いてみる。動かない。
その夜、椅子は机の前に置いたままにした。
夜中、扉の外で、どすん、と何かがぶつかる音がした。
「……開かない」
寝ぼけた声だった。入寮の夜、ルーシーの背中にぶつかって逃げていった、寝ぐせの少年の声に似ていた。扉の向こうで、誰かが額をさすっている。やがて足音が廊下を戻っていき、少し先で、別の扉がばたんと閉まった。




