第24話 ローデリックの視線
翌日も、ルーシーはギルドに顔を出した。
掲示板の前には朝から人がいる。依頼書を見比べる者、装備を確かめる者、受付に声をかける者。ここは「仕事を探す場所」だと、もう体で分かっている。
ルーシーも自然な流れで受付へ向かった。
「おはようございます」
帳簿を見ていたマレーナが顔を上げ、少しだけ言いにくそうに微笑んだ。
「おはよう、ルーシー。……今日、すぐ出る予定?」
「はい。できれば」
そう答えると、マレーナは声を落とした。
「昨日の件がね。もう話が上まで行ってるの」
「昨日の……?」
「ヴァル。素手で対処したって」
一瞬、頬が熱くなる。
「……大したことじゃないです。運が良かっただけで」
「謙遜しなくていいわ」
マレーナは軽く首を振った。
「問題になってるわけじゃないの。むしろ助かったって話。ただね……」
少しだけ間を置いて、続ける。
「ギルド長が、一度ちゃんと話を聞きたいって。
無理にとは言わないけど、今、少し時間ある?」
言い方が柔らかい。こちらの事情を分かってくれている、と感じる。
(……マレーナさん、やっぱり優しいな)
ルーシーは掲示板を一度だけ見た。急ぎの依頼はない。
「大丈夫です。今なら」
「ありがとう。じゃあ、奥の部屋で待ってて。呼びに行くから」
「分かりました」
通路を進み、小さな部屋で待つ。石壁に囲まれた簡素な部屋だが、不思議と落ち着く。
ほどなくして扉が開いた。
入ってきた男は、派手さはないが、目に留まる存在感があった。姿勢が崩れず、視線がまっすぐだ。
「ルーシーだな」
「はい」
男は軽く手を上げた。
「忙しいところ悪いな。座ってくれ」
そう言ってから名乗る。
「ローデリック。ここのギルド長だ」
「ルーシーです」
ローデリックは頷き、机の上の帳簿を開いた。
「昨日はフォークテイルと組んだな。
トム、リナ、カイ」
「はい」
「依頼は完了。荷は無事。
で、ヴァルに遭遇した」
視線がこちらに向く。
「どういうつもりで動いた?」
ルーシーは少し考えてから答えた。
「……ヴァルの動きが、荷馬車の横を抜ける軌道でした。
そのままだと、御者か、馬に行くと思いました」
一拍置いて続ける。
「逃げるより、間に入って向きを変えたほうが早いと判断しました。
殴るつもりはなかったです。近づけたくなかっただけで」
ローデリックは短く頷いた。
「剣を使うつもりは?」
「ないです。持ってません」
「だろうな」
「結果は当たった、って感じです」
「力を入れた自覚は?」
「……ないです。いつもの動きのつもりでした」
その言葉が、最近は信用できない。口にしてから自分で分かる。
ローデリックは、そこで少しだけ間を置いた。
「そこだ」
帳簿を閉じ、声を落とす。
「お前の動きは、考えてから出ているんじゃない。
状況を見て、身体が先に答えを出している」
ルーシーは黙って聞いた。
「踏み込みも、反応も、意識より一拍早い。
自分で『こうしよう』と思う前に、身体が動いてる」
昨日の感覚が蘇る。出たつもりのない一歩。押したつもりが当たった動き。
「鍛えただけでは出ない」
ローデリックは続ける。
「筋力だけじゃ説明がつかない。反応、回復、出力の立ち上がりに、補助が入った時の出方に似ている」
「……魔法、ですか?」
「可能性の話だ」
ローデリックは即答しない。
「身体強化、反応補助、回復補助。仕組みはいくつもある」
ルーシーは思わず言った。
「でも、私……何もしてないです」
「分かってる。だから無自覚だと言っている」
「無意識に補助がかかっている状態は、慣れた瞬間が一番危ない」
「……どうしてですか」
「自分で制御していないからだ」
淡々とした声。
「身体が先に動く。意識が追いつかない。
それを普通だと思い始めた時、事故が起きる」
ルーシーは息を吐き、短く頷いた。
「今すぐ答えを出す必要はない」
ローデリックは言う。
「だが、無視はするな」
一呼吸置いて続けた。
「当面はEランクのまま。合同の仕事を優先して回す。
一人にしない」
「……ありがとうございます」
ローデリックは小さく頷いた。
「今日はこれでいい。仕事を取ってこい」
部屋を出ると、胸の奥に残っていた緊張が、少しだけほどけた。
受付に戻ると、マレーナがこちらを見て、申し訳なさそうに笑う。
「ごめんね、時間取らせて」
「いえ。助かりました」
そう言うと、マレーナは少しだけ目を丸くして、すぐに笑った。
「じゃあ、仕事探そっか」
「はい」
ルーシーは掲示板へ向かう。依頼書に手を伸ばしながら、さっきの話をもう一度だけ頭の中で反芻した。
少しだけ、
理由が分かった気がした。
全部は分からない。
でも、
一人で考え続けなくていいことは分かった。
これから何かあったら、
まずはギルドに相談すればいい。
そう思えるだけで、
気持ちはずいぶん楽だった。




