第23話 並んで歩くということ
「あ、来た」
腕を振り回していた男が、大股でこちらへ歩いてくる。
倉庫で背中に隠していた剣を、今日は腰に堂々と下げている。
荷馬車のそばに、見覚えのある顔があと二つ並んでいた。
「トムだ。やっぱり、お前だったな」
トムは、ルーシーの前まで来ると、腕を組んだ。
「倉庫の箱の数、あれ、まだ根に持ってるからな」
「借りって、それですか」
「それだ」
「数えてたんですか」
横から、細身の青年が手を上げた。
「数えてたのは、俺。カイ。途中で、数えるのやめたけど」
「やめるなよ」
「やめたくもなるだろ、あれは」
(柱に、炭で線を引いてた人だ)
腰に薬草の小袋を下げた女の人が、くすりと笑って、ルーシーを見上げた。
「背、高いのね。倉庫の子たち、あなたのこと『背の高い人』って呼んでたのよ」
(『新人、使えない』じゃなかったんだ)
「ルーシーです。今日は、よろしくお願いします」
「あの親方、まだお前の箱、数えてんのか?」
「この前、行ってきました。まだ誰も抜いてない、って言われました」
「だろ?」
トムは、なぜか自分のことのように胸を張った。咳払いを一つして、荷馬車の前に立つ。
「じゃ、隊列な。前が俺とカイ。真ん中が荷馬車。後ろがリナと――」
薬草の小袋の女の人が、小さく手を上げた。トムは親指で、ルーシーを指した。
「新人。お前は後ろで見てろ。――、――、ヴァルが出たら――、――ってのが、街道の決まりだ。分かったか」
後半が、川の流れみたいに速かった。
「半分、分かりました」
「半分で足りる」
カイが、荷馬車の車輪を見たまま言った。
「残りの半分は、トムも分かってない」
「分かってるよ!」
トムは顔をしかめ、もう一度、ルーシーに向き直った。
「倉庫とは違うからな。いいか、ヴァルは箱じゃねえんだ」
ちょっと得意そうに、顎を上げる。
「箱にも負けてたけどな」
カイが、車輪を見たまま言った。
「負けてねえよ。あれは腰がな。あの日は、腰が」
「二回目」
カイが言った。
「腰の話、まだするの」
リナが、ため息まじりに言った。
「腰、まだ痛むんですか?」
ルーシーが本気で聞くと、カイが車輪から目を上げずに言った。
「三回目」
「痛くねえよ!」
トムは商人のほうへ歩いていき、依頼主と話を済ませてから、こちらを振り返った。
「行くぞ。初仕事だろ。気張らなくていい」
その一言で、肩の力が抜けた。
最初の道は穏やかで、人の往来もあり、鳥の声も聞こえた。前を歩くカイは、ときどき口の中で何かを数えていた。荷馬車の車輪が回る数らしい。
「足元、気をつけて」
隣を歩くリナが声をかけてくる。
「トゥア、です。……あ、ありがとう、ございます」
リナが、こちらを見上げて、ふっと笑った。
「倉庫の言葉ね。でも、言葉、ほんとに上手になったわ」
「え、そうですか?」
「倉庫にいた頃とは、全然違う。肩の包帯、覚えてる?」
「はい。あのときは、ありがとうございました。言えなくて」
「言えなかったでしょ、あのころは」
リナは笑った。笑ったあとで、歩きながら声を落とした。
「あの傷、もう平気?」
「はい。もう、線しか残ってないです」
リナの足が、半歩ぶんだけ遅れた。指先が、腰の薬草の小袋に触れて、離れる。
「そう。よかった」
それだけ言って、リナはまた歩幅を戻した。
前を歩くカイが、手を上げた。
「静かすぎる」
「全員、寄れ」
トムがすぐ応じた。
馬が耳を伏せ、その場で足踏みを始めた。手綱を握る商人の腕が、ぐっと突っ張る。
ルーシーは荷馬車の横を前へ回り、馬の首のすぐ後ろ、前の車輪の脇についた。
「おい、後ろだって――」
「馬が、怖がってます」
トムが言い返しかけたとき、草むらが揺れた。
あの日と同じ、灰色の背中だった。
肩の古い噛み跡が、服の下で、ちくりと疼いた。
トムが剣を抜く。
「ヴァルだ。警戒! ルーシー、下がってろ! 新人は――」
ヴァルの目は、ルーシーではなく、馬の喉を見ていた。
獣が低く唸り、跳ぶ。
いつもなら置く一拍が、なかった。
踏み込みが、深くなる。気づいたときには、腕が出ていた。
手のひらで肩口を押すはずが、当たった瞬間には、拳になっていた。
鈍い音がした。ヴァルの体が横ざまに吹き飛び、道の上を二度、三度と転がって、向こうの草むらの際でようやく止まる。荷馬車一台ぶんは、離れていた。
同時に、トムの足もとの草むらが割れた。
二匹目だった。
トムの口は「新人は――」の形のまま開いていた。開いたまま、剣の腹が横に走った。平たい刃が、跳びかかってきた鼻面を、ばしん、と横から打つ。二匹目は道へ落ち、前脚で鼻をかいた。
顔を上げた二匹目の目が、道の向こうへ動いた。
草むらの際で、一匹目が横倒しのまま、脚で土をかいている。
二匹目の耳が、後ろへ伏せた。一歩、下がる。もう一歩。身をひるがえして、森の暗がりへ消えた。一匹目もよろよろと起き上がり、そのあとを追っていった。
肩の噛み跡は、もう疼かなかった。
「今の、素手?」
トムに聞かれて、ルーシーは困ったように笑った。
「えっと、剣、持ってませんし」
「いや、そこじゃない」
トムは剣を下ろし、長く息を吐いた。
「……新人は、何?」
カイが、車輪の向こうから聞いた。
「後ろで、見てろ、って」
「トムは、『新人は』の口のままで、きれいに叩いてたな」
「そこは見なくていい」
トムは剣を鞘に収めると、乱暴に頭をかいた。
「結果的には助かった。馬、噛まれなくてよかったな」
リナが駆け寄ってきて、ルーシーの右手を取った。拳になったままの指を、一本ずつ開かせる。開かせながら、トムのほうは見ずに言った。
「……ヴァルは、箱じゃないんだっけ」
「箱より重かったろ。な?」
トムは、リナではなくルーシーに同意を求めた。
「痛くない?」
「はい。大丈夫です」
リナは指の付け根を親指で一つずつ押してから、手を離した。
依頼主の商人は、馬の首を軽く叩いてから、ルーシーに深々と頭を下げた。馬の分まで、という下げ方だった。
「この程度なら想定内だ。進もう」
トムの声で、一行は再び歩き出した。トムは、ルーシーを後ろへ戻せとは、もう言わなかった。
荷を届け先に渡すと、商人は一人に一枚ずつ、銀貨を手渡した。ルーシーの手にだけ、少し長く握らせてから。
帰り道、トムが言った。
「無茶はするな。でも、反応は早い」
「ありがとうございます」
「それとな、ルーシー。今度、倉庫の箱で、もう一回勝負しろ」
トムは、真顔だった。
「箱が、かわいそうです」
「やめとけ。また俺が数えるはめになる」
カイが言った。
行きにヴァルが出た森の縁の前で、カイが足を緩めた。草むらの、ヴァルが消えたあたりを見る。
「街道でヴァル。今月、三度目だ」
トムは森のほうを見ずに答えた。
「……多いな」
(あの荷車も、三度のうちの一度なのかな)
髭の荷車の横板の、四本の筋が浮かんだ。
カイが、ルーシーの横に並んだ。親指で、後ろを指す。
「それと、後ろ。空いてたぞ」
ルーシーは振り返った。
少し後ろを、リナが一人で歩いていた。
さっきヴァルが出たとき、リナの隣には、誰もいなかった。




