あの日の約束
後書きに前作の文庫本配布についてのお知らせがあります。
「トゥーレ!」
近くに降りてきた翠竜を呼ぶ。
すると彼は長い首をもたげ、周りにいる聖騎士たちの上から覗き込むようにして私の前に顔を出した。
私のすぐ横に跪いて治癒魔法を使い始めていたヘレナがぎょっとして逃げようとする。私にお小言を言い始めていたイリアスも一度口を閉じた。向こうの方からクリスの「僕も混ぜて下さい……!」なんて息も絶え絶えな声が聞こえた。多分走ってきてるのだと思う。
「リチェ。さすがに飛び降りるのは危ないよ?」
「え、そこを今言うの?!」
セシルに抱きかかえられるようにして座り、ヘレナの治癒を受けながら見上げれば、翠竜に一番初めに言われた言葉もお小言だった。しょうがないじゃない、あの場ではそうするのが一番だと思ったんだから、と口を尖らせると、周り全員から叱られた。酷い。ちゃんと生きてるし、ちゃんと倒したのに。
「……お説教はこの後、イリアスからもセシルからも他の皆からもされるから勘弁して。それより、トゥーレ、いくつか教えて欲しいんだけど」
私の言葉に当たり前だという風な視線が集まる。自分も説教すると言わんばかりの顔もいくつか見える。私は気付かない振りをして上から覗き込む見慣れぬ巨大生物に声をかけた。
「……その恰好、何なの?」
「カッコいいでしょ?」
いや、聞きたかったのはそこではない。確かにとても綺麗で素敵だとは思うけれども。
「トゥーレ、あちら側のこととか、今までどうしてたのかとか、今回どうしてこっちに戻って来れたのかとか、詳しく教えて欲しいです。そもそも『神』とはいったい……」
「ごめんね、あんまり話している時間はないんだ」
私に訊かせていたら埒が明かないと思ったらしい。横からクリスが割り込んだ。早口になっている辺りかなり興奮しているのかもしれない。身を乗り出さんばかりの様子に、弟子のセティが老賢者の体を横から押さえている。そんなクリスの方を向き、翠竜となったトゥーレは少し寂しそうに言った。
「この体は、こっちに来てた人たちを運ぶために作ってもらったものだし、そろそろ帰らないとなんだ」
一度確かめるようにトゥーレは『何か』の方を見やる。私も釣られてそちらを向く。相変わらず分かりづらいが『何か』は随分と小さくなっているように感じた。多分、あと少しもしたら閉じてしまうということなのだろう。それを確認してから、私はその青とも緑ともつかない色の顔を見上げる。その体に見合う大きな目は深い水底のように翠を濃くした色合いをしていた。とても澄んでいて、やっぱり『何か』にあちら側を思い出すような色だった。それで気が付く。彼は『何か』のあちら側を、こっち、と言った。彼にとってはもうあちら側が自分のいる場所になっているのだ。
彼が何かに呼ばれたように、長い首を後ろへ向ける。ばさりと普通の鳥のように飛んできた夜闇の風が、何度か私たちの上を旋回した。まるでトゥーレを急かしているかのようだ。
「トゥーレ、そしたらこれだけは教えて」
セティが師匠を引っ張って後ろに下げた。クリスはまだぶつぶつ言っているが……申し訳ないけれど、時間がないならまた今度の機会で我慢してもらうしかない。
「神樹はどうなった? あと、この先あなたと連絡を取るにはどうしたらいい?」
治癒魔法をかけてくれていたヘレナが解放してくれたので立ち上がる。まだあちこち痛みがあるが、それでもなんとか動けそうだ。貧血やら魔力不足やらで起きたらしい立ち眩みに、慌てて周囲の何人もが手を伸ばした。それを牽制するような仕草でセシルが横から支えてくれる。心配させてしまった周りの皆に、私はへらりと笑った。また飛んできそうになったお小言を片手で押しとどめる。そのまま、見上げる。私のやっと再会できた幼馴染を。
「神樹は僕についてこようとしたけど、ダメって追い返したよ。……その時に随分葉がこぼれてしまったんだ。ごめんね」
その言葉にクリスがまた何か言いかけたけれど、周りに止められている。追い返したというあたりが気になったのだろう。そして、出現した魔物はやはり四十年前に神樹が具現化した時と同じ葉の魔物ではあったのか。伝え聞いている形とは随分違ったけれど、それでも、なんだか腑に落ちた。以前にクリスが葉の魔物は近くにいたものの形を模倣するのかもしれないなんて言っていた。実際サイルーンの時は近くにいたもの……私たち人間を模倣していたし、その後の三体現れた時はそこにいたとしてもおかしくない虫の形をしていた。今回は一番近くにいたトゥーレを模倣したのであれば、あの黒き竜の姿も納得がいく。
「あの子も今頃お説教をくらってるかもしれない。だからしばらく心配しなくていいよ」
リチェみたいね、と言われて首を竦める。というか、神樹を説教できるような人がいるの? と問いを重ねそうになって我慢する。時間がないと言われている以上、余計なことを訊いてはいけない。
「それから、僕と連絡を取る方法だね」
トゥーレが少し考える風に一度目を閉じた。……その姿でも瞼があるのかと変なところに感心してしまった。その間に私は周りを見る。色々知りたいことはあるだろうに、クリス以外の皆は黙って私たちの会話を見守っている。セシルは、まるでトゥーレにはやらんと言わんばかりにきっちり横から抱くようにして私を支えている。ちらりと彼を見れば、すごく険しい顔をしていた。落ち着きなさい、という風に私は自分の前に回された腕を軽く叩いた。
「……リチェなら多分出来るから、手紙を送って。『神々』がこちらを覗く時に受け取るから」
「手紙……? え、どうやって?」
前のように出現した『何か』に投げ込めというのか。どこに『何か』が出現するかももう分からないのに。
「そう、手紙。身近にいない? 手紙を飛ばして送る人」
「あ……」
それでピンときた。確かに一人いる。分かった、と頷けば、トゥーレもその大きな体で人の仕草をまねるようにして頷いた。その様子に人の姿をしていた頃のトゥーレの姿が脳裏で重なった。候補生時代、何度も勉強を教わった。彼は、分からなくて頭を抱えている私にヒントを与えて、自分で気づくのを見守っては、こんな風に頷いていたっけ。
「……分かった。絶対送るから、返事をちょうだいね」
色々と訊きたいことはその手紙に書いて送ればいい。あの頃と性格が変わっていないなら、彼はきっと直接教えてくれなくてもヒントはくれるはずだ。今はそれだけ分かればいい。手紙を出す時にはクリスにも内容について相談しよう。それで許してもらおう。
まだ覚束ない足で、ゆっくりと歩き出す。動き出した私に周りが道を空けてくれた。セシルがごく当たり前のように支えてくれる。
「うん。待ってる」
翠竜のトゥーレの前まで行けば、彼は体を屈め顔を近づけてくれた。今だけは仕方ないという風にセシルが私を放す。私はトゥーレの大きな顔に抱きつく。するりとした人の肌のようでいて、でも毛穴も何もない。冷たく、どこか陶器にも似た不思議な触り心地だった。
「……トゥーレ、ごめん。約束、あんまりにもたくさんしたから、どれのことだか分からないの」
「そうかなと思った。リチェはそれでいいよ。僕はちゃんと覚えていて守るから」
幼い頃から成人する少し前までずっと一緒に育った幼馴染。
ノリと勢いだけでした結婚の約束も、お菓子は上手く半分に出来なかったら交代で多い方を食べようなんて約束も、何かあったら私は絶対トゥーレを守るって約束も、それに返してくれたトゥーレもずっと私を守るなんて約束も。
あまりにも多く重ねた約束は、今はもう全部は思い出せない。
「……貰ったからな。三十年も放っといたんだ。もう返さんぞ」
私の横でセシルがトゥーレに言う。いつにもましてぶすっとした声に私は笑ってしまった。
「そこはリチェが決めることだから」
しれっと言うトゥーレにセシルの顔が更にぐぐっと険しくなった。眉間に深い皺が出来ている。
そんなことを言った癖に、ごく自然にトゥーレは鼻先で押すようにして私をセシルに返してから、静かに数歩後退った。
「リチェもみんなも、またね。会えて嬉しかった」
「うん。トゥーレ、またね」
セシルに肩を抱かれた私の前で、トゥーレは静かに翼を広げる。私を乗せて飛び立った時のように、何度か確かめるようにその大きな翼を動かし。
空を、見上げた。
ずっと上空を旋回していた同じ色の鳥を一度見て……。
飛び立つ。
辺りに風が起こった。ばさばさと髪とマントが後ろになびく。見守っていた皆から、歓声が上がった。
いつの間にかすっかり晴れた空に、翠色の竜と鳥が舞い上がる。
ゆっくりと挨拶のように大きく旋回してから、大きな一頭と一羽は、湖の真ん中近くにある『何か』へと向かう。
そうして、帰っていった。
『何か』のあちら側へ。
彼らが『何か』に飛び込むと、きらきらとした淡い輝きを残して小さくなり、消えた。
「……帰っちゃったね」
「そうだな」
震えた声に、自分が泣いていたのだと気付く。手の甲で目元を拭った。セシルが私の肩を抱いていた手を上げて、頭を乱暴に撫でるようにして自分の肩に寄せた。私はその手に甘えてほんの少しの間だけ肩を借り、目を閉じる。
そうして、開く。
よし、と息を吐けば、セシルの手が下がり、背に当たった。その手に支えられながら、笑顔で振り返る。
「よし、みんな、お疲れ様! 後片付けをはじめましょ!」
撤収!と声を張った私に、疲れたーとか、片付けより横になりたいとか、みんな好き勝手に言いながらも動き始める。
私もセシルに支えられながら、また歩き始める。
背後で、きらりと、『何か』があったところが煌めいた。
これにて一旦は終了となります。
お読み下さって本当にありがとうございました。
第二部開始の際には、またこちらにて一本後日談を出すことで告知とするつもりです。
もし良ければブックマークはそのままお待ちくださいませ。
少し英気を蓄えて、また戻ってきますね!
また、連載をお休みしている間に少し実験的に単発の短編として番外なども出していくつもりです。
前作と今作の合間のように週1ペースは厳しいかもですが、また少しずつ書いていると思いますので、もし良かったら見てやってくださいな。
ここまで本当にありがとうございました。




