選びとるもの34
見る見るうちに地上が遠のき、子どもの頃登った木の上よりも、村のどの建物の屋根よりも高く、翠竜となったトゥーレは飛ぶ。大きな翼は力強く大気を押し、その羽ばたきのたびに高度が増した。ここから落ちたらまず無事では済まない。初めのうちは自己強化と守護盾と、と対策が頭をよぎったが途中で腹をくくった。その時は、その時だ。
上空に舞い上がったトゥーレは、魔素溜まりの上で旋回する。真上からみると魔素溜まりは黒いボウルをひっくり返したような形をしていた。その北東から真ん中へ、くり抜かれたように暗がりが消えている。さっき私が浄化した場所だ。今は水がほとんどなくなっている湖の中心近く、祭壇は、今もまだ水没している。その向こうには森と草原が広がっていた。さらに遠く、微かに王都らしきものが見えた。
「鳥は、こんな景色を見ていたのね……」
思わず、呟く。
この世界で、空を飛ぶのは鳥ぐらいだ。虫も飛ぶがこんな高くまでは上がらないだろう。魔法などを使って飛ぼうとした者もいたらしいが、今のところ本当に飛んだという話は聞いたことがない。背に翼をもつ翼人と呼ばれる種族の話をどこかで聞いたことがあるが、それも竜と同じで物語か嘘か誠か分からないほど古い言い伝えの中だけの存在だ。
本来であれば人である私が見ることなど叶わなかっただろう光景に圧倒され、それから我に返る。今はまだ呑気にこの状況を堪能している場合ではない。口の中で探査の魔法を唱える。視界に光点が重なった。トゥーレの太い首の横から下を覗き込むようにして見ながら、訊く。
「トゥーレ、大きな魔物はあれ以外もう見えない?」
「……元気なのはあれだけみたいだ」
首にしがみついたまま何とか姿勢を変えて逆側を見れば、魔素溜まりより村寄りの方に大型の魔物だっただろう黒いものが見えた。少し離れたところにもう一体。こちらは動いているが、豆粒ほどの小ささにしか見えない人々が戦っている。しっかりと連携していて魔導士たちも攻撃している。あの分だと倒すのも時間の問題だ。
先ほどまでいた『何か』のそばで、暁の風と夜闇の風が私たちを見上げている。さっき上げた光弾を受けて、騎士たちがそこに集まろうとしていた。『欠片』の中にいる人々のこともこれで大丈夫だろう。
「そうしたら、やっぱりあれだね」
「……リチェは怖くないの?」
ふと投げかけられた問いに、苦笑する。
「怖いよ。今も。……でも、私は、聖騎士だからね」
そっか、とどこか満足そうな声が返ってきた。
だから、私も頷く。
私が選びとったもの。それは、この力。今の、自分自身。
トゥーレがいなくなった世界で、
トゥーレを探しに行けるだけの力を、そして愛しいと思った全てを守る力を持った、自分。
「いこう。あれの上に連れてって」
ばさり、と翼を動かし、トゥーレはその具合を確かめる。「しっかり掴まっていて!」と声を掛けられて、私はその太い首をぎゅっと抱く。
次の瞬間。
びゅぅ、と、風の音だけが耳に響いた。酷い耳鳴りに似た感覚。体が浮き上がりそうになるのを、しがみつくことで耐える。背後で髪とマントが風になぶられる。思わず閉じかけた目を必死に開けた。一気に近づく地面に、魔素溜まりに入り込む時とは違う恐怖感を覚えた。それでも歯を食いしばる。
黒き竜がこちらを向く。
目が、あったように思った。憎しみや悲しみはない。ただ、黒く、その視界に入るもの全てを破壊しようとするものの、目。獲物としてトゥーレを見つけたものの、目。私はそれを見て、ぽそと、トゥーレに囁く。彼の不安や心配が接触した肌から伝わった。
仲間たちもこちらを向いた。聖騎士三人掛かりで黒き竜に何度も斬りかかっている。特大級の魔物は回復こそしなくなっているが、それでもあまりの大きさに皆、手こずっている。聖騎士たちも微妙にどこかを庇っているような動きが入る。ずっと巨竜と戦い続けていたのだ。おそらくさっきの私と同じか、それ以上にボロボロになっているはずだ。
「ガルドっ、ヴィンス、セシルっ!! 退いて……っ!!」
声の限りに叫ぶ。聞こえはしたのだろう。三名がばっとこちらを向いた。
音すら背後に取り残されそうな勢いに翻弄されながら。
右手を剣に伸ばす。
ガァ、と黒き竜が口を開けた。喉を反らすその姿勢。そこにトゥーレが突っ込んでいく。
魔物の上空。ほんの一瞬、風が止まった。
私はそのタイミングを逃さず、トゥーレの背から踏み切る。
「……光よっ!!」
手にした聖剣から、ぶわりと光が溢れた。剣を下に構えた姿勢で私は黒き竜へと落ちていく。
慌てたように私の前に何枚も薄かったり小さかったりと不完全な守護盾が展開された。
あちこちから悲鳴やら怒声が上がっている。あとで怒られるかな。怒られるかもな。
落下の勢いと、重ね掛けしまくった強化魔法、それに聖剣のもつ力。
すでに黒き竜もかなり弱っている。仲間たちがそこまで削ってくれた。
だから、これで、いける……っ!
同時。大きく開いた黒い顎から、つんざくような咆哮が上がる。それも真直ぐ私に向かって。
今回は守護盾はない。距離もとれていない。間違いなくズタボロにされる。でも、傷だらけになっても生きてさえいれば、きっとヘレナたちがどうにかしてくれる。
あの圧の直撃を受けるのを覚悟し、それでも目は閉じなかった。
閉じなかったから、見えた。
私の前に現れた、もう見ることが出来ないと思っていた大きな背中。宵闇色の、マント。
見えない何かを斬る、幻の大きな斧。
腕輪から現れた白い光が、私を守るように包み込んだ。
ひどく懐かしい、浄化の時にも感じた気配がした。
やだ、もう、と、その姿に溢れた涙を取り残しながら、私は黒き竜の口へと吸い込まれるように落ちた。
黒き竜の喉に触れた聖剣が、爆発的に光を増す。
そうして、また、何も見えなくなった――……。
「リチェっ! リチェっ!!」
「……起きてるよ。大丈夫、生きてる」
「魔物の口に飛び込むやつがいるか」
「怖いもの知らず過ぎだろ」
気が付いたら、またセシルに抱きかかえられていた。ガルドとヴィンスが覗き込んでいる。ガルドは険しい顔をし、ヴィンスは呆れた顔をしていた。遠くから「リチェさん……っ!!」と悲鳴のようなヘレナの声がした。うわ、「リチェぇぇっっ!!」ってイリアスの低い声まで聞こえてきた。村の方にいたのかな。怒ってる。これはお説教される……! 返事をした私にほっとしたのか、はぁぁぁとセシルが大きなため息をついた。
「でっかい竜は?」
「お前ので、魔素溜まりごと吹き飛んだ」
その言葉にへらりと笑う。笑ったら「笑うな!」と全員から怒られた。特大の魔物を倒した上に魔素溜まりまで浄化したらしいのに理不尽だ。あちこちから人が集まってきている気配がした。もう、戦闘の音は聞こえない。代わりにたくさんの人の話し声や、走っていく足音が聞こえた。
ずっと私たちを支えてくれていた鐘の音が、一つ、鳴った。澄んだ音が、どこまでも遠くまで響いた。
「それよりあれは?」
ガルドが視線を上げる。ゆっくりと近づいたそれに一度日が遮られて、また明るくなる。
「トゥーレよ。……暁と一緒にいるのは、暁の妹」
私の言葉にセシルが息を止め、本当かと問うように私を見つめたまま一度瞬く。それから、空から降りてきた翠竜へと視線をやった。
いつの間にか完全に雨はやんでいた。立ち込めていた暗雲は消え、真っ青な空が広がっていた。
「……ね。諦めなくて良かったでしょ?」
勝ち誇った笑顔で言う私に、三人の聖騎士たちはやれやれという風にため息をついた。
残り、エピローグです。
リチェは、最後までリチェでした。(苦笑)
なんていうか、ヴィンスもガルドも他の皆も、そしてセシルもごめんよ。




