選びとるもの32
暁に、ぽいっと放り出される形で落とされ、私は地面にへたり込む。そこに血相を変えてヘレナが駆けてきた。なんだか日常に強制的に戻されたような気分になって笑ってしまった。笑ったらあちこちが痛んだ。多分痛覚遮断の魔法が切れたのだろう。
「リチェさん、笑ってないでっ!!」
動かないで、とヘレナに怒られた。おまけに私を連れてきてそのまま横に侍っている暁の風まで、立つなという風に頭の上にどすんと顎を乗せてきた。豊かな毛が私の顔半分を覆う。くすぐったい。
部隊の最後方に連れ戻されたようで、ここからは仲間たち全員の姿が見えた。ヴィンスが巨竜の方へと戻り、セシルたちと合流している。ルノーもそちらについて行ったようだ。魔素溜まりから離れていて浄化の光を免れた魔物も、騎士たちが相手をしている。先に指示してあった通り、騎士たちは必ず二人以上で組んで魔物と当たっていた。しっかり安全係数をとった地道だけど着実な戦い。あれならば大丈夫だ。問題ない。
ここが戦場の最前線だ。一番魔物も多かった。魔素溜まりの他の側面も大型の竜や小型を相手しているが、ここほどの数はいっていないはずだ。きっとダリオンやデュアンが何とかしてくれている。魔素溜まりが小さくなったことで魔物が新たに湧くのも止まったようだ。
「リチェ、大丈夫ですか?」
少し余裕が出たのだろう。クリスが走ってきた。ヘレナから治癒を受けていた私は片手を上げる。
「まぁ、なんとか。後はポーションか薬酒でも飲めば動けるわ」
早速ポーション瓶に手を伸ばしかけたら、ヘレナにその手をぺちと叩かれた。まだダメということらしい。「本当にもうっ。こんなに傷だらけで痛くないんですか!」と叱られた。へらりと笑う私にブツブツ言いながら、女司祭が丁寧に治していく。ほんわりと温かな手が触れるたび痛みが消えていった。
「良かった……。打ち合わせにないことをしたから負荷がかかり過ぎたんじゃないかと」
「ん?」
クリスがへしょりと眉を下げて言う。聞けば、一枚だけだったが私の後ろに星明りの鏡を出して浄化の術を増強してくれていたらしい。一気に走っていく私に合わせるのは一枚が限界だったなんて老賢者は申し訳なさそうに言ったが、それだって途轍もなく大変だったはずだ。
「……そうだったの。ありがとう。大丈夫よ。……それより」
魔素溜まりの一部を浄化したことで露わになった『何か』の方に視線をやる。クリスもそちらを一度見やって、こくりと頷いた。
大量の魔素が吹き飛ばされたことで暗雲に切れ間ができ、そこから晴れ間がのぞいていた。そこからの光を反射して、『何か』が煌めいている。いや、反射で光っているだけではない。『何か』の内側から光が零れているように見えた。それがゆっくりゆっくりと収束していく。
「……おばちゃん、だ」
自分でもどうかしていると思う。それでも、そうとしか思えなかった。さっきの気配は養母のものだった。もう三十年近く前に亡くなったはずの聖女が、あそこにいるとしか思えなかった。
「……何か、出てきます」
眼鏡の下、『何か』を見つめ目を細めたクリスが囁く。私は、座り込んでいる私の横で治癒を続けてくれていたヘレナに視線をやった。女司祭は、しかたない人ですね、という風に苦笑する。その手が差し出してくれた薬酒の瓶を受け取り、私は中身を干した。そうしている間にも『何か』からは、大きなものが出てこようとしていた。あちらの世界を思わせる、明るい緑と青がまざったような色合い。するりと滑らかな表皮が日光を浴びて柔らかな光を跳ね返している。まったく知らないはずなのに、懐かしさを感じるのはなぜだろう。穏やかに笑う誰かが脳裏に浮かんだ。
「……私があっちから戻ってきた時もあんな感じ?」
「いえ、全然違います。あの時はもっと『欠片』みたいな感じ……硬質で水晶か何かのようだった」
「リチェ。気づいているか?」
私を胸毛に埋めていた守護の狼が低く問うた。私は小さく頷く。クリスがこちらを見た。優しい、見守る者の目をした老賢者が私に手を差し伸べる。治癒を終えた女司祭が空っぽになった薬瓶を私から受け取り、そっと背中を押した。暁の風が私の頭の上から顎を退けた。私は、クリスの手を借りて立ち上がる。
「ヘレナ、ありがと」
「はい」
戦闘が続く湖底の、さらにその先。『何か』からようやく全貌を現した『それ』は、とても美しかった。雲間からの光を受けて、一度辺りを見渡すようにして首を伸ばす。先に現れた黒き竜とよく似たフォルム。ただ違うのはその背に一対の大きな翼を持っていること。
「きれい……」
「うん」
私の横でヘレナが思わずという風に呟いた。私はちょっと誇らしげな気分になる。
私の横で暁の風がのっそりと立ち上がった。私は体の具合を確かめるように、その場でとんとんとつま先で地面を叩き、体を軽く揺らす。大丈夫だ。走れる。戦える。まだ、私は残っている魔物を屠り、魔素溜まりを払うのだ。
「……クリス、あいつに伝言はある?」
「たくさん聞きたいことがある、と」
「わかった」
一度はこちら側に全てを晒した『それ』は、『何か』に首を突っ込み、ごろりと大きなものを引っ張り出した。ついでその大きなものを『何か』の向こう側から押し出したと思われる、『それ』と同じ色合いの鳥が現れた。その姿に私の横で暁の風が、ぐるると喉を鳴らした。
体が、軽く感じた。早く、早く、と、私の細胞の全てが急かしているかのよう。
「暁、いこうっ!」
私は、現れた者たちに向かって、駆け出した……っ!




