選びとるもの30
振り払われるようにして弾かれ、強制的に後ろに跳ばされた私は着地すると、その勢いで更に数歩分両足のついた地面を削りながら下がらされた。転ばぬようにと低く沈めた姿勢で耐えたまま、前を見据える。暗い空の下、黒き竜が大きく上へと首を伸ばした。
「退避っ!!!!」
怒号に一瞬遅れて、巨大な光の盾が魔物と私たちの前に展開された。
さらに一瞬後。
黒き竜が咆哮を挙げる。
耳をつんざくような低く地響きに似たその声に、竜を中心として、ぶわりと重い圧が来た。
ほんの数秒、私たちを守った光の盾は耐え切れずに割れ、光の粒となって霧散する。
剣を前にして耐えた私の後ろで、いくつか悲鳴が上がった。私はそれを歯を食いしばったまま聞く。身構えても重い衝撃は私たちにはダメージを与えても、魔物にはダメージを与えない。私たちが耐えている間も、交戦中だった者は対峙していた魔物からの攻撃を食らう。
「……ザザっ!!」
「大丈夫ですっ! なんとかしますっ!」
振り返らずに後方に叫べば、怒鳴り返すようにして即座に返事があった。続いてザザとレオンが班員たちに指示を出す声が聞こえた。
前ではガルドがなんとかあの場に踏みとどまれたらしく大型の竜相手に攻撃を仕掛けている。
聖騎士四人掛かりで少しずつ削ってはいるが、大きなその魔物はまだまだ倒せそうにない。非常に厄介なことに彼の魔物はダメージを与えても回復するのだ。それも同胞を喰らうという最悪のやり方で。まだ、魔素溜まりからは小型の竜が新たに這い出してくる。それをこの大きな竜は喰らうのだ。胸糞悪いその光景に最初は吐き気すらしたが、そうも言っていられない状況に、慣れた。いや、麻痺した、が正しいのかもしれない。
「セシルっ!」
私と同じく強制的に下がらされた二の聖騎士を呼ぶ。ちらりと一瞬だけこちらに視線がきた。どちらも剣は構えたままだ。いつでも動き出せるその姿勢で、並ぶ。
「このままだとキリがないから、あいつの回復をやめさせたいの。ついては細かいのが出てくるのと止めたいっ」
私たちを援護してくれている騎士たちも善戦している。クリスやセティもどんどん小型の竜を倒している。魔素溜まりの他の側面でも騎士や魔導士たちが奮闘していることだろう。それでも際限なく湧き出るように魔物が追加されて、数が減っているように見えない。今はまだ均衡を保っているが、このままだといずれ疲弊でこちらが圧し負ける。口の中で簡単な呪文を唱えて、探査の魔法を発動すれば、視界の中魔素溜まりに重なった光点の数に、私はごくりと喉を鳴らす。まだまだ大量にいる。
「……セシル、ガルドと二人であれの相手を出来る? 時間稼ぎして欲しい」
「どうしたい?」
「戦闘しながら魔素溜まりを削る。少しずつ浄化を行う……!」
「ヴィンスは露払いだな?」
「えぇ」
聖騎士四名の中でも、狼系獣人のガルドは力が強い。その攻撃の重さは、強化魔法を用いた私たち人族を軽く上回る。そして、セシルは四名の中で最も剣技に優れている。人としては恵まれた体格も持っている。たった二人であの大きな魔物と対峙し続けられるとしたらその二人の組合せしかない。
対して、ヴィンスは聖騎士としては珍しい双剣使いだ。攻撃の重さはそこまでではないが手数が多く、敏捷性も優れている。また、私と同じように剣圧による攻撃もそれなりに使える器用なタイプの剣士だ。魔物の中で浄化の儀式を行う私の護衛役にするなら、彼が一番適任だろう。
私の言葉にほんの一瞬の後、こちらの考えを読んだセシルは数秒だけ考える時間をとった。その間にも、魔素溜まりから新たに出てきた魔物を私は剣圧を用いて叩き切る。なんとか一撃で仕留めた魔物に、分裂するタイプでなくて良かったと切に思う。
「分かった。支援は?」
「無理でしょ。単独でやるわ。……それに」
私は耳を澄ます。先ほどから村の鐘の音に、もう二回りは大きいだろう低い鐘の音が微かに重なっている。初めは空耳かと思ったが、あれは王都の鐘の音に間違いないだろう。女王エレノアはこちらの様子を王都で見守るために街道に沿って何組かの人員を配置した。光弾による合図をそこで中継し王都でも受け取るために。そして、ここ数年で開発された音飛ばしの魔法を用いて、王都の祈りをこちらに届けるために。
教会や神殿にある鐘は、法具、だ。エレノアの、そして人々の祈りをのせたその音は、複数人で浄化を行う時にいくつもの音を重ねるのに似た効果をもたらしてくれるだろう。
それに、先ほどからふわりふわりと戦場に似つかわしくない小さく柔らかな光が魔素溜まりの周りを舞っている。四十年前、私が姉や村の人たちに願ったのと同じ小さな光。昼間を選んだのに分厚い雲に覆われて薄暗く、風雨の止まないこの戦場で、頼りなくも儚い、それでも見える形の祈りがそこにあった。
「わかった。いけるんだな?」
その問いの裏にある、彼の心配に私は目を細める。
「えぇ。……私は、一の聖騎士だからね」
私は笑ってみせる。視線はこちらに向かなくとも、こちらの声色で察したのだろう。はっ、と笑う息が返ってきた。
「ヴィンスをこっちにやる。喰われるなよ?」
「そっちこそね。あれの口は大きいからセシルでも一飲みにできそうだし」
「されるかっ」
軽口を叩き合って、別れ際。「お前を喰っていいのは俺だけだ」なんて囁かれれば、私は遠慮なしに男の背中をどついた。あの晩以来、以前までは時々垣間見えるだけだった独占欲を彼はあまり隠さなくなった。重い男だと思いつつも、それがさほど嫌ではないと思っている自分がいる。それどころか若干嬉しくさえ思っている辺り、かなり絆されているのかもしれない。
「クリスっ!!」
私は後方の賢者を呼ぶ。
「なにっ?」
「援護を! 浄化を行うわ……! 合図を出したら十数えた後に魔素溜まりの際に一斉掃射をお願い!」
「……わかったっ!」
「えぇぇぇっ まだ魔物が増えてるのに!?」
「魔物が増えているからよ!」
理由を問わなかったクリスの代わりに、弟子のセティが悲鳴を上げた。その驚いた声に私は笑うようにして答える。そのやりとりを聞いたのだろうザザとレオンが騎士たちに配置の変更を指示している。さっきの咆哮で怪我を負った者もいたはずだが、全力でこちらを支援しようとしてくれているらしい内容だった。
私は腰のポーチから小瓶を出して中身を煽る。ポーションではなく薬酒の方だ。喉を焼く強さに、酒に強い体に産んでくれた産みの親にこっそり感謝した。酔っぱらわずに戦えているのは体質もあるだろうから。……とは言え、戦闘の真っ只中で浄化の儀式をしようなんて思う時点で素面なのかは怪しいのかもしれない。
空になった瓶を中身があるものと混ざらぬようポケットに押し込む時、指先に触れた小さな瓶を意識して、すぐに戦場に気持ちを戻す。
今もあの『欠片』は最後のお守りとして持っている。でも、使わない。使わないと、私は決めている。師匠たちは使わなくても戦えるよう鍛えてくれた。使わずに済むよう支えてくれる仲間もいる。大丈夫だ。
手には剣。この世界を慈しみ守り抜いた聖女が置いていった光を宿した、聖剣。
腕には腕輪。この地を見守り浄化し続けた聖杯という、唯一無二の法具。
聖女のいない、今のこの世界において、もっともその力の近い二つの法具は私の手にある。
聖騎士の闇色を纏い、聖女の残した白き聖衣と二つの法具を身につけ、私は聖女の代わりにこの世界を守るのだ。
「さあ、諦めが悪い人間がどれほど怖いものか見せてあげるわ」
私たちと『何か』の間に横たわる特大級の魔素溜まりを見据えながら、私は口角を上げた。




