選びとるもの20
私より背の高い男に抱きつくと、自然と顔はその肩口に預けることになる。よく知った高さ。きっちりと着込んだ騎士服の首元に顔をうずめ、その背に両腕を回す。
縋りつくようなみっともない私の抱擁に、セシルはそのまましばらく動かなかった。それもそうだろう。自分が死にそうになっていたからと言って、彼がそこまでどんな思いで必死に辿り着いたのかをまったく考慮せずにあの時なじったのだから。愛想を尽かされても仕方がない。……それでも、このまま終わりなど嫌だった。距離を取られ続けるのは辛かった。
「……リチェ」
「ごめんっ!!」
私の名を呼び、何かを続けようとしたその声に、被せるようにして私は謝罪の言葉を口にしていた。自分でも卑怯だと思った。謝罪は言ってみれば自己満足でしかない。すでに傷つけてしまった事実は謝罪しても覆らない。ただ謝ったという事実を自分が欲しいだけだ。自分を許すために。なのに、それ以外の言葉を持たない私は、いくつになっても拙く愚かで、救い難いほど我儘で汚い人間だ。謝罪などされてしまえば、彼は許しの言葉を吐くしかないのに。
「リチェ」
「……謝れば許されるものじゃないって分かってるっ 謝られても困るのも分かってる。でも謝らないって選択肢が私の中にないっ!」
一度口を開けば、止まらなかった。この謝罪で楽になるのは自分だけだと分かっているのに。私はなんと汚いのだろう。こうして感情に任せて言葉を重ねることで、相手の逃げ道を奪っていると気付いているのに。逃がすまい、見捨てられまいとしがみついて。
「セシル……っ あなたに居なくなられたら私は……っ」
「リチェっ!!」
セシルが鋭く名を呼んで、私の肩に手を置くと、べりっと私を引きはがした。
互いの、少し荒くなった呼吸音だけが、部屋を満たしていた。
私の、置き場のなくなった両手は、躊躇いがちにもう一度彼の背に回ろうとして、結局はだらりと下に垂れた。拒絶をされてなお、しがみつく勇気などもうなかった。でも、自分から離れることもできなくて、彼に肩を掴まれたまま俯き、その場に居続けることしかできなかった。そうしている自分が堪らなく嫌いだった。拒絶を素直に受け入れずに駄々をこねる愚かな自分はこの期に及んで、まだ彼に甘えようというのか。
「……ごめん」
「リチェ、何を謝られているのか分からない」
私が他に言葉を見つけられなくてもう一度重ねた言葉に、彼はその続きを遮るように言った。
「……え」
涙さえ滲み始めていた女の不便な体を呪っていた私は、彼の言葉に顔を上げる。カーテンの隙間から入り込んだ月光が彼を微かに照らしていた。こんな時だというのに、私はその端正な横顔の作る影に見惚れた。若い頃もその容姿は人を惹き付けて止まないものだったが、歳を取り、年輪のように刻まれて行くその翳を帯びた深みは、より一層、彼を魅力的にした。口では許嫁を忘れられないと言いつつ、それでも人を魅了するこの男を自分が独占していることを優越感を覚えてなかったと言えば嘘になる。
おそるおそる見上げた先、彼もまた私を見下ろしていた。困惑の色を称えた切れ長の目が私を見つめていた。
「……何を謝られているのか、分からない。リチェ、お前に何の落ち度があった?」
「え、だって……。セシルは私を避けて……」
私の言葉に、セシルの顔が歪んだ。私はその様子に身を縮める。避けられていると自覚しながらそれでも追い縋る、その醜さにさらに嫌悪されても仕方ない。仕方ないと分かっていてもそうした己の愚かさに泣きそうになる。やっぱり女になど生まれたくなかった。男であればこんな時に涙など滲まないだろう。悔しくて、なのにまだ己の性を理由に己の弱さを言い訳しようとする自分が嫌いだった。
「……っ そんな顔、するなっ」
低い声が途切れる。何か苦いものを口にしたかのような声音が聞こえると同時に、きつく抱きしめられた。ビクッと震えた私の体を余すところなく、全て包み込み呑みこもうとすらしているような、そんな抱擁に息が止まった。腕の中に閉じ込めても足らぬと言わんばかりのその力に、今度は私の方が困惑する。
「謝らねばならないのは俺の方だ……っ 守ると言ったのに、お前がお前のまま在れるように支えると約束したのに、今回もお前一人が戦い、傷ついたっ」
吐くような掠れた声。この言葉にいやおうなしに気付かされた。彼は私に怒っていたのではなく、自分自身に怒っていたのだと。それも、おそらく私以上に。だからこそ、皆の前ではいつも通りに振る舞いながら、けして私と二人きりにならなかった。私に触れなかった。互いに必要だと分かりながら傷を舐め合うように温もりを分け合う関係を断ち切ろうとしたのだろう。己を許せないが故に。
「……それを言うなら、私だってあなたが戦っていたことすら知らなかった。ダリオンとレミリアが教えてくれなかったら、あなたが守ろうとしてくれてたことを知らずにいた」
報告書の形を取って襲撃事件で私が知らなかった部分をまとめ、知らせてくれたのはレミリアだ。私の手元に来ていた報告書には一切書かれていなかった二の聖騎士の単独行動や、私が意識を失っている間に行われた、彼の負傷に対する治療の記録がそこにあった。その末尾に添えられていたのは、騎士団長ダリオンからの短いメッセージ。「話せ」と命令形で走り書きで書かれた言葉に込められた意味が、やっと分かった気がした。
おずおずと、一度は下ろすしかなかった手を男の後ろに回す。私の指先が背に触れると彼は、びくりと震えた。我に返ったかのように緩む腕の中、私はもう一度、抱きしめる。さっきのような一方的に縋る抱擁ではなく、彼が振りほどこうと思えば簡単にそうできる強さで。ゆっくりと確かめるように手を背に這わせ、一度目を閉じる。離すなと、彼が力を緩めたことで空いた隙間を私が歩み寄ることで埋めた。
「……私も、あなたも、バカみたい」
吐く息に混ぜて囁く。
「言ってよ。私、バカだから気づけない。勝手に負い目に感じないでよ。自分で自分に怒らないで。私を縛って。待ってろって言って。守れなかったなんて自分に怒るんじゃなくて、一人で行くなって私に怒って」
あぁ、私はなんて我儘なんだろう。そう思いつつ、言葉を重ねる。
顔を上げるのに、少しだけ身を離せば、傷ついた瞳が見えた。その目に映る私自身も似たような顔をしているように思えた。右手を上げて男の頬を包む。
「私は、こっちにいることを選んだの。あなたがいるから。あなたと一緒に傷だらけになって、この世界を守るって決めたから」
あの時、どうしても『欠片』を口にすることを選べなかったのは、きっと……。
「お前は、それでいいのか……?」
囁く声に、頷く。
「私は、あなたと生きたいの」
男の手が私の左頬を包んだ。ゆっくりと距離が縮まる。
二人、同じだけ近づけて。
温もりが、重なった。




