見つけるもの20
覚悟した衝撃はいつまで経っても来なかった。
ぐい、と後ろに引かれる。ほんの半刻ほど前にも味わったのと同じ浮遊感。運ばれる。
霞んだ視界の中、宵闇色が見えた。大きな背中。遠ざかる。
「リチェさんっ!!」
一瞬意識が遠のいて、間近で聞こえた呼ぶ声に薄く目を開ける。
どこか柔らかなものの上に寝かされたらしい。腹部が温かくなる。霞んで碌に見えない視界の中、誰かが私の胸に手を当てていた。その手が淡く光っている。治癒魔法だ。
「リチェさん……リチェさん……っ!!」
泣きながら呼ぶ声。あぁ、と、私は小さく笑う。ヘレナだ。調査隊の一員。治癒魔法が得意な司祭のヘレナ。
冷え切った体に、再び炎を貰ったような不思議な感覚だった。小柄な彼女が命の象徴そのもののように見えた。次第に体に熱が戻ってくる。それと同時に麻痺していた痛覚も戻ってきた。あちこちの激痛に思わず体が跳ねる。それでもヘレナは私から手を離さない。ぽたぽたと私の上に涙を降らせながら、治癒を続ける。途中で何度も魔力回復ポーションを飲んでいる辺り、私は相当とんでもない状態だったようだ。
ぼふりと体に何かが当たった。少しだけ頭を動かしそちらを見れば、大きな毛皮の山があった。私の横、魔物たちがまだいる側で体を伏せている。私を隠し守るような距離。守護の狼、暁の風。さっき運んでくれたのは彼だった。
「……あか、つ、き」
「バカリチェ」
怒った声が頭の中に響く。そういえば触れていれば声を出さずに話せたのだった、と、今更思い出す。守護の狼との会話は、触れていないと出来ないけれど、触れていたら音を介さない。
「呼んできてくれてありがと」
「……バカリチェ」
お礼を言ったのに、返ってきたのは罵倒だった。そのことがおかしくて頬を緩めれば、顔にも傷があったらしい。引き攣って痛みが走った。
ゆっくりと、五感が戻ってくる。触れている暁の風の豊かな毛、ヘレナのすすり泣く声、血の匂い、口の中の鉄の味。遠く、衝撃音や詠唱の声、叫び、戦っている音。
それに、ぶるる、と、聞き慣れた鳴き声。ブライアだ。視界には入っていないけれど、近くにいるのだろう。
もう、大丈夫だ。
私一人では絶望しかなかったあの魔物たちも、仲間たちならばきっちり倒してみせるだろう。
ちらりと見えたのは聖騎士のマントだった。少なくとも三人の聖騎士のうちの誰か一人はあそこにいる。
ヘレナがここにいるということは、彼女を連れてきた調査隊の騎士たちも一緒だ。微かに聞こえる詠唱の声はきっと司祭のゲイルだし、時折爆発音が聞こえる感じからすると、魔導士も誰か来ている。
「リチェさん、これ、飲めますか?」
呼ばれて、そちらを見る。覗き込んでいたのは女騎士のレゼだ。私の顔に貼り付いていた髪を丁寧に指先で退けてくれる。ひどく心配そうな顔で差し出してきたのは、見覚えのある小瓶だ。
「女王陛下から賜った霊薬だそうです。ポーションと違って対価なしに回復できるそうです」
レゼに小瓶を渡した人はそう説明したのか。確かにモーゲンにこんなとんでもない代物があったなんて表には出せない。でも、神樹の森を有する王家所有の霊薬なんて言えば、世に知れ渡っていない理由も、それがここにあることにも、そしてその効能の保証にすらもなる。上手く言ったものだ、と感心する。次自分が使う時には同じ手を使わせてもらおう。
「……っ」
なんとか声を出そうとしたら、咽こんだ。体をくの字に折った私に、慌ててヘレナがこちらを向く。レゼが私の背中を撫で摩る。耐えきれなくて、喉からせり上がったものを吐き出した。血の塊。それを躊躇わずにヘレナが手で受けてくれた。申し訳なさで謝ろうとするが、声を出そうとする前に首を横に振られた。
「ルイーナ、お水持ってきて。医療鞄に吸い飲みがあるはず!」
「はいっ!」
見えないところから声がした。ルイーナも来ているということは、もしかしたら調査隊のほぼフルメンバーがここにいるのかもしれない。そんなことを考えているうちに、ルイーナ本人が吸い飲みを持ってやってきた。目の前に差し出されたそれから水を貰う。おそるおそる口をゆすいで用意してくれた洗面器に吐き出すと、真っ赤な水にレゼの表情がまた曇った。何度かうがいをさせてもらってやっと一息つく。その間もヘレナが治癒魔法を重ね掛けしてくれていた。
「……ごめんね。ありがと」
ようやく飲める、と、上半身を起こし、レゼから瓶を受け取る。私を、暁の風をギリギリで守ってくれた薬酒。前借なしに体力と魔力を回復させてくれる、養母の置き土産。
小さな蓋を開け、くい、と、中身を煽る。喉を駆け抜けて胃へと降りていく熱さ。本当にとんでもないものをおばちゃんは残してくれたものだと思う。目を閉じて、その熱が体中に染み渡るのを感じる。そうしている間に、ルイーナが生活魔法を使って私の全身の汚れを落としてくれた。レゼが髪を整えてくれる。破れた衣服までは直らないけれど、随分とさっぱりした。ズボンの布が裂けてしまったところを隠すようにレゼが包帯を巻くようにしてスカーフを巻いてくれる。そんな小さな気遣いも含めて嬉しかった。
「……リチェ、さん?」
ゆっくりと立ち上がる私に、レゼが気づかわしげに名を呼んだ。私は微笑む。
「もう、みんなが倒してくれます」
言外に行かなくても大丈夫だという言葉に、私は緩く首を横に振った。
「ありがとう。三人とも。それに暁も」
心配げな三人の顔を見て、私は目元を緩ませる。剣帯もポーチと一緒に飛んでしまっていて、鞘も一緒にどこかに行ってしまっている。抜身のまま置かれていた聖剣を手に取り、私は笑う。
「私は、聖騎士だからね。お小言は後でしっかり聞くわ」
大丈夫だ。剣を持ち上げられる。左手も動く。走れる。大量に血を失った怠さは残っているけれど、また動ける。立ち上がったその場で何度か軽く跳んで、自分の体を確かめた私は、もう一度三人と一頭に「ありがとう」と、微笑んで。
走り出した。




