見つけるもの17
息が、切れていた。
私は腰のポーチから手探りで体力回復のポーションを引き出すと、片手で蓋を開け呷る。一気に飲み干し、投げ捨てるように手を離せば、魔力で作られたポーション瓶はしゅんと小さな音を立てて消えた。
目の前には暁の風よりも大きな黒く醜いコオロギもどき。既に六つある足のうち二つは切り落としてある。跳ね回られると困るので、右側の後ろ脚とその手前の一本。体を支えきれなくなった魔物は横倒しの状態で、なおも残った足で宙を掻き、近づく私を捕らえようとしていた。頭部から生えた触覚も切り落としてある。本物のコオロギと違い触手のように動くあれがあると非常にやり辛かったから。
子どもの頃、村の畑で見た小さな虫にそっくりなくせに、変なところだけ違う。
暁の風は、他の二体を相手に挑発するように近づいては逃げるを繰り返していた。彼は葉の魔物相手にはダメージを入れられない。そのことを逆手に取り、全く攻撃はせずただただ周りを走り回ることに専念している。そうすることで、私が一体に集中できる状態を作り出してくれている。……だが、それもそろそろ限界だろう。守護の狼である彼とて体力が無尽蔵にあるわけではなく、しかもさっきから避け損ねて何度か黒い触手に殴打されているのを見た。何度か体力回復のポーションを投げてはやったが、きっと足りてはいないし、あれはあくまで翌日以降の体力を前借するだけの代物だ。本当は治癒魔法をかけてやりたいが、どちらもそんな余裕がない。
「もうそろそろくたばってくれない? 私、あっちに行きたいんだけども」
話など通じないのを承知で悪態をつく。
もう半刻以上、この攻防を続けている。なんとかダメージを入れてはいるけれど、このペースでは一体倒すのにすら、もう半刻はかかるだろう。それ以上かもしれない。そもそもそこまで私の体力がもつかと言われれば、かなりあやしい。ギリギリのところで避け、無理矢理攻撃を叩きこむ。最初の一撃で後ろ脚の一つを切り落とせたのは良かったが、その先はかなり圧されてしまっている。やはり葉の魔物は私たちが一人で戦えるような代物ではないのだろう。
厄介なことに、この魔物は本物のコオロギと違ってこの状態でもまだ動き回るのだ。足が揃っていた時と違い、あちこちに飛び回りはしないが、四本残った足だけで動く割にやたらと早い。胴体を引きずりながら横向きに這い寄ってくる様子は気持ちが悪い。生理的嫌悪すら感じる。
私は、左手の甲で目元を拭う。拭った手をそのまま振り払うようにすれば、水がびしゃりと音を立てて地面に落ちた。
雨脚は強い。地面もぬかるみ始めていて気を抜くと滑り転びそうになる。さっきから寸でのところで躱し続けてはいるが、それでも触手や足の先に引っ掛けられてあちこちに切り傷が出来ていた。骨折などは今のところなさそうだが、それでも見えないところには青あざなども出来ていることだろう。
「……っ!」
息を整え切る前に、横向きに猛烈な勢いで這いずってきた魔物に飛びずさる。
黒い足が地面の土と雨水をかき混ぜ、跳ね散らかした泥がばしゃばしゃと宙を舞った。こちらに飛んできたそれをマントを左手で上げることで防ぐ。
……が、それが間違い、だった。
「っっ!!!!」
作ってしまった死角から、強烈な一撃が来た。マントの上から左腕を殴打されて、私は横に吹っ飛ばされた。瞬時に体を丸める。次の瞬間、瓦礫に背中から突っ込まされて、その衝撃に肺の中にあった空気を全て吐き出させられた。遅れて腕と背中に痛みが走る。まずい、折れた。背中はともかく左腕はダメだろう。叩きつけられた時に剣も手放してしまっている。右手で左腕を押さえながら口の中で呪文を唱える。そうしながら目では剣を探す。あった。ぎりぎり手を伸ばせば届く距離。
「……光よ、我を照らせっ」
極限まで削った詠唱での魔法では、骨折は治らない。ただの気休め、ほんの一時しのぎの痛み止めにしかならない。それでも背中の痛みは少しマシになった。体全体で息をしながら立ち上がる。すぐそばに落ちていた剣に手を伸ばす。右手で触れた柄を指先で引き寄せる。目は、前を向き続けたままだ。
まるで、こちらを追い詰めることを楽しむかのように近づいてくる黒い魔物をぎりりと睨み付ける。
「ぎゃんっ!!!!」
その向こうで、鋭い鳴き声が響いた。私は慌ててそちらを向く。対峙した魔物の向こう、何度か弾むように地面にたたきつけられながら、水溜まりの中に濡れそぼった毛皮が落ちた。水溜まりがどんどん赤く染まっていく。私は剣を掴み損ねたまま、一気にそこまで走った。
「暁っ!!」
こちらの声に銀狼は、少しだけ顔を上げる。私は魔物たちと銀狼の間に割り込むようにして膝をつく。幸い、暁の風はかなり飛ばされたおかげで、まだ少しだけ距離があった。
「……光よ、この者を照らせ。
この者に生きる力を。
正しき者、暁の風に光の加護を……っ!」
口の中、血の味がする。私はあちこちに走る己の痛みを無視して、私は呪文を唱える。びしょびしょに濡れている毛皮に当てた両手が光を発した。じりじりとしか進まない治癒に私は歯噛みする。碌に動かない左手はそのままに、右手でポーチの中を探る。手に触れた瓶を確かめもせずに銀狼の体に振りかける。
「暁、立ち上がったらすぐに離脱しなさいっ 知らせに行くのよ」
「リチェ」
「暁っ!!」
赤く染まった水溜まりの中で、私の剣幕に圧されるようにして守護の狼が立ち上がった。
その姿に目を走らせる。足が曲がったりおかしな向きにはなっていない。大丈夫だ。目もしっかりしている。もしかしたらまだ痛みは残っているかもしれない。あの短い詠唱だけで全ての傷を癒しきれはしていないだろう。
でも――……。
「行きなさいっ!!!!」
私の怒鳴るような叫びに、大狼は弾かれるように走り出した――。




