見つけるもの16
「リチェ、魔物だ」
「えぇ」
私を一度安全圏まで引き戻した大狼が、低く唸るように言った。
目の前に広がる暗がりは、もう単なる魔素の凝りではなく、魔素溜まりそのものに変容している。
魔素は、多少の偏りはあれどどこにでも存在する大気のようなものだ。神聖魔法以外の魔法を使う際には、自分自身が持っている魔力と共に場にある魔素も織り交ぜるようにして使う。不思議を起こす燃料となる魔素は本来なら無色透明であり、無害だ。それを使う者が変容させて炎や水を出したりする。しかし、魔素は時に黒く染まる。人によってはこの世界に漂う人々の負の感情や穢れのようなものが魔素を穢すのだなどという。水が深くなれば深くなるほど底が暗く見えなくなるように、魔素も集まれば集まるほど暗くなっていく傾向がある。先ほどまでの暗さは、魔素が集まった結果での暗さだった。しかし、今は違う。明らかに黒く染められた後の魔素が溜まり、びりびりと私たちの本能を刺激している。
「……」
両手で剣を構えた姿勢で固まっていた私の背を、銀狼の尻尾がぼふりと叩いた。
そのことで、呼吸することを忘れていた私は、肺に溜まっていた息を吐き、吸い込む。肩が何度か動いた辺りを思うと、自分でも意識せずに息を止めてしまっていたのだろう。
「暁、手伝ってね」
ちらりと見えた黒い触手は、サイルーンで見た魔物の表面によく似ていた。
さっき聞こえた音は三つ。気のせいじゃなければ、あれが三体もいるのか、と、私は顔をゆがめる。
一人で倒せる相手ではない。それどころか、下手を打てば即座になぶり殺しだろう。でも、今ここにいるのは自分と暁の風だけだ。そして、ここはあまりにも王都に近すぎる。倒し切れなくても何とかするしかない。
モーゲンを出る時、ギルバートが王都に知らせに行ってくれた。もう調査隊の面々に、私がここにきていることは伝わっているだろう。察しも良く、行動力もある仲間たちのことだ。あのメモだけで動いてくれる。私たちが時間を稼いでいる間に討伐も可能な編成で援軍を寄越してくれるはずだ。
「でも、もしもの時はあなたが知らせにいって」
もし離脱するなら、私が走るよりも暁の風の方がはるかに足は速い。
言った私に、銀狼はもう一度ぼふりと尻尾で叩いてきた。
「もしもの時、よ。暁、頼りにしてる。……さぁ、やりましょうか」
私は改めて剣身に左手を当てる。さっきのバタバタで光を失っていた剣に再度付与を行う。
本当は自分だけではなく暁の風にも光の属性付与を行えれば良いのだが、生憎私には出来ない。他の炎や氷などなら魔導士たちや騎士の一部もできるが、光に関してはおそらく聖女しかなしえない。聖騎士になるためには光の祝福を受けているのが絶対条件なのは、自分の武器に光の属性付与をする必要があるからだ。
さっきちらりと見えた黒い触手は、サイルーンの集落で戦った葉の魔物の表面によく似ていた。
この世界の動物などが汚染された魔物であれば、属性を持たない攻撃でも倒すことができるが、葉の魔物だった場合は、属性なしではダメージを入れられない。
それは暁の風もわかっているのだろう。せわしなく前足が地面を掻いている様子は、多分自分が戦力になり切れないことへの歯がゆさや苛立ちを示しているようだった。
それでも。
一人でないことは、とてもありがたかった。おそらく魔物は三体。一人で戦ったならあっという間に囲まれる。でも、銀狼はきっと囮になったり牽制したりしながら、私が一体ずつ、叩けるよう仕向けてくれるだろう。
光を纏わせた剣を右手に、私はゆっくりと歩き始める。
暁の風が、その左に並ぶ。
私は意識して口の端を上げる。笑う。こんな時、弱気になってどうする。
口の中で唱えた呪文により、視界に光点が重なった。聞こえたのと同じ三つ分。大きめの光が魔素の暗がりの真ん中あたりで動いている。それ以外にある細かな光はおそらく虫か何かが巻き込まれて魔物化しているのだろう。
もう『何か』は見えない。
あの一瞬感じた、切なく懐かしい気配も感じない。
目の前にあるのは浄化すべき魔素溜まりで、いるのは倒すべき魔物だ。
今度こそ躊躇わず、私は魔素溜まりまであと数歩という場所まで近づけば、ゆるりと剣を構える。
「……っ!!」
ともすれば遅すぎるようにも見える動きで、ぶん、と、剣を一閃させた。私が得意とする剣圧での光属性の攻撃。ほんの僅かに魔素溜まりの手前側が削れるように凹んで、また、そこに黒い魔素が集まり直す。何気なく払っただけのように見えるその攻撃で、視界に無数にあった細かな光の大半が消えた。小さな虫などが変容した魔物はこれで大体片付いたはずだ。
「さぁ、出てらっしゃい。私、その中では戦えないの。あなたたち、私のためにいるんでしょう?」
きっと魔物に言葉なんて通じない。それでも己を鼓舞するために私は言う。
わざと近づけるギリギリまで来た私に、黒い何かが伸びてきた。予測していた上に探査の魔法で動きが見えていた私はそこから飛び退くことで避ける。
私を逃して空振りしたそれに、銀狼が飛びついた。果敢にかぶりつき、勢い任せに振り回すようにして暗がりから引きずり出す。
「暁っ!」
遅れて銀狼に伸びてきた違う黒い触手は、私が振るった剣で叩き落した。その隙に魔物の一体を魔素溜まりから完全に引き出した銀狼は、一度離脱する。
私は、闇から引っ張り出されてなおも黒く光を吸い込むようなそれに、目を細める。
葉の魔物。蠢く無数の管が表面を覆う様子はグロテスクで、生理的に嫌悪感を覚えた。サイルーンの時との違いは、その形だ。出現した時に近くにいたものの形を模したのだろう。巨大なコオロギのような姿に、思わず、ぐっと喉が鳴った。触覚を模した触手を震わす様子までそっくりだ。
「本当、悪趣味っ!!」
吐き捨てるように言った私は、黒き魔物へと駆け出した……っ!




