見つけるもの6
どこか青く眩い森を、歩いていく。
手に持つのは錫杖。身に纏うのは白い上下。義母から形見の形で譲り受けた聖衣だ。私自身が使いやすいようにと専門の縫子の手により、ゆったりしたワンピースから、ハイネックのシャツとズボンの上下に作り直されている。
裸足で踏む地面は柔らかな下生えと苔に覆われていた。あちこちに何かの気配を感じる。多くの何かから見られている、と、肌が訴えかけている。視界の端、ウサギのような何かがこちらを伺い、頭上を見知らぬ鳥が飛んでいく。生命に溢れているように感じるのに、どこか寒々しい。あれは、生きているようで生きてはいないのだ。肌に感じる違和感に、ここに長くいてはいけないのだと本能的に知覚させられる。
ここを、『神樹の森』と、人は呼ぶ。
かつてこの場所に出入りしていた義母グレンダは、ここについて私や姉にはあまり多くを語らなかった。
国の機密に関わることであったことも理由だろうが、おそらく義母自身が語りたくなかったのだろう。
その代わりと言うように、神樹が倒された後のさほど長くはない月日の間にたびたび訪れては、神水を汲んでくるということを積極的に行っていた。
神水は、この森の奥にある泉の水である。それは触れた者を白化する。
汚染された魔素に触れた者がなる黒化は、その者を蝕み、言ってみれば魂を腐敗させる現象だ。
それに対し、神水に触れた者がなる白化は、その者の時間を巻き戻し、全てを無へと戻してしまう現象だと説明を受けた。
どうして、ここの泉の水にそんな力があるのかは、誰も知らない。
そもそも、神樹の森がなぜこんな風に存在しているのか、あの扉やこの森を囲む壁はどうやって作られたのか、そんなことすら現在には伝わっていないのだ。人には作り出しようのない、神の領域としか思えない場所。それが今もグラーシア王国の王城の奥深くには存在しており。王族はその場所を長きにわたり守っている。
私が聖騎士になり、聖女の錫杖を受け継いで、そして義父、零の聖騎士リドルフィに連れられてあの扉を試し、こちらの空気を吸って……私は、義母の言動を理解した。
これは、確かに家族になど行かせたくない場所だ。直接的に害をなすものは何もないのに、あまりにも死に近すぎる。否。生命とかけ離れ過ぎている。
手記という形で養母はここに纏わる知識を残し、そして次の適応者ができる限りこの地に訪れずに済むようにと、自らは何度も足を運んでは神水を汲み、持ち帰った。
神水は、魔封じの瓶の材料である。
聖女グレンダは、それを多く私たちの世界に持ってくることで、自分がいなくなった後すらも守ろうとしていたのだ。
ずるり、と、ぬめった何かから抜け出すような感覚に身震いする。
姉がたまに作ってくれるゼリーの中に閉じ込められて、そこから抜け出すならこんな感じかもしれない。
そんな下らない喩えが浮かぶ辺り、私は扉の中のことも、そしてこの扉のこともあまり好きではないのだろう。敢えてくだらないものに置き換えることで自分を守っているのだ。
「おかえりなさい、リチェ」
「ただいま戻りました。エレノア、ありがとう」
大きな扉の前。長椅子とテーブルと、そして甕。それしかない、大きな部屋に女王エレノアが待っていた。私はペタペタと裸足で音をさせながらそちらに向かう。
神樹の森に行く時は、命綱として森に入れる誰かが待機する。あちらは流れる時間が違うし、しかも神水に触れなくても白化がじんわりと進んで行く。過去には長居し過ぎて戻ってこれなくなった者もいたらしい。現在、神樹の森に入れるのは私と女王であるエレノア、そしてまだ年端の行かない王族の子どもが一人だけだ。私が行くならエレノアが命綱代わりに待機するしかない。しかし、女王を危険にさらすわけにはいかないので、実のところ私が神樹の森にいくのもあまり推奨されることではないのだろう。
「リチェ、大丈夫?」
「えぇ」
長椅子に座っていたエレノアが立ち上がろうとしたが、大丈夫だと押しとどめた。
錫杖に纏わせる形で神樹の森から持ち出した神水を用意されていた甕に移し、やっと人心地つく。ふぅぅと息を吐けば、体に残っていた変な緊張がやっと解けていった。
「エレノアは、森にいったのは一度だけだっけ?」
私は錫杖を剣の形に戻し、テーブルに置いていた鞘に戻した。そのまま脱いで畳んでいた騎士服を身につけ始める。聖衣は肌着ではないのだが、基本上に何か重ね着して使うものなので、それだけだとなんだか気分的に心許ないのだ。
「おじ様に連れて行ってもらった一度きりね。……正直もう一度入りたいかって言われると、嫌かしらね」
「まぁ、そうだよね。あの扉も気持ち悪いし」
言ったら感覚が戻ってきたので、思わず身震いする。聖衣の上から騎士服のシャツやズボンなどをきっちりと着込み、長椅子の端に腰かけて、ブーツを履く。剣帯を腰に回し付けて、そこに鞘ごと剣を納めると、ようやく落ち着いた。
そんな私の様子を長椅子の逆端に腰かけたまま眺めていたエレノアが、ぽつりと言う。
「リチェは偉いわね」
「……え?」
一瞬何を言われたのか分からなかった私は、エレノアの方を見た。どこか少し申し訳なさそうな顔で、こちらを見ていて。視線がぶつかる。どういうこと? と問う私の目を、じっと見つめていたエレノアは、やがて、ふっと表情を緩めた。
「気持ち悪いって思っても、神樹の森に行ってくるの偉いなって、思ったの。私なら他の誰かに行ってって命令してしまいそうだし」
それこそ、リチェとか、なんてわざとらしく言うエレノアに、私は顔をしかめた。
「しかたないじゃない。現状、神水をとってこれるの私だけなんだから」
「だとしても、よ」
ぷいっと横を向いてしまった女王に、私は立ち上がり、手を伸ばす。美しく整えられた髪を乱さぬように気をつけながら、その頭を軽く撫でれば、上目遣いに見られた。エレノアが子どもの頃よくしてきた表情だ。拗ねたり悔しかったりした時にエレノアはそんな顔をよくしていた。即位してからは滅多にしなくなった、素のままの彼女の表情。
「エレノアは頑張っているよ。私は知ってる」
撫でながら言えば、下を向いてしまったエレノアが何かを呟いた。
「え、何? 聞こえなかったんだけど」
聞き取れなかった私が聞けば、目の前の頭が緩く横に揺れる。
「ううん、なんでもない」
「そう……?」
「うん。それじゃ、戻りましょ。私の部屋でお茶をしていくといいわ」
顔を上げたエレノアは、いつもの顔に戻っていた。




