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燦宵行  作者: 水無飛沫
3/5

~宵~


暗闇に浮いた白い姿が見えなくなり、私は身動きが取れなくなってしまった。

進もうにも、戻ろうにも、足元すら見えないのだ。


恐怖と淋しさに震えていると、草を踏み分けながらこちらへ向かってくる音が聞こえた。


「月音?」


淡い期待を込めて、彼の名を呼ぶ。

ガサガサと立っている音は、しかしながら継続的で、人の足音には聞こえなかった。

踏みしめているというよりも、這い進んでいるような音であることに気づいて、私は後ずさった。

けれど数歩下がったところで、枝葉に足をとられて私はその場に倒れこんだ。


音はどんどん近づいてきて、私の心臓は恐怖に高鳴る。

暗闇の中で震えていると、足先に冷たくてぬめり気のある何かが触れた。


「……っ」


叫ぼうとしたのだけど、恐怖のために喉の奥から声が出ない。

そうしている間にも、それは足から腰へと進んで来ている。


シュルルルル。

それが胸元にまで乗り上げると、音を立てて私の喉をチロチロと舐める。

細長い胴体と、その音に私は気づく。それは大きな蛇だった。


「いっ……」


恐怖に引きつった肺から漏れた空気は、小さな悲鳴となって口から出た。

固まって動けないけれど、意識だけは胸元の存在に集中していた。

やがてうっすらとその存在に焦点が合って、姿かたちを認識できるようになった。

闇を反射する薄黒い輪郭(恐らく深緑)に、闇の中でも映える金色の瞳。


「久しいな、初めまして」


目の前の蛇が、声を発する。

それは重くしわがれていて、老人のような声だった。


「え……あ……」


蛇に睨まれた私は、動くことも、まともな返事を返すこともできない。

ただ頭の片隅では、やっぱりこの蛇も喋るのかと、どうでもいいことを考えていた。


「お嬢さん」


光るように黄色い蛇の目が細められる。

シャーッとうねるように繰り出される舌に、私の首筋に冷たいものが通る。


「こんなところで寝ていては風邪を引いてしまうぞ」

「あ……ご、ごめんなさい」

「私の方こそすまなかった。別にお嬢さんの上に乗りたかったわけじゃないのだ」


そういってスルスルと蛇が私の体から離れていく。

蛇に睨まれなくなって、金縛りがやっと解けてくれた。


「しかし……やっと見つかってくれたな」

「見つかる?」


考えるようにしてつぶやかれた言葉に、私は思わず聞き返してしまった。


「君のことだよ、お嬢さん。気が気ではなかったのだぞ」


蛇が首をもたげて、目を細めている。

何かを確認するように私をじっと見て、ふと空を見上げた。


「お嬢さんは……寂しかったか?」


私は立ち上がり、浴衣の汚れを手で振り払い、体に傷ができていないか確認していると、蛇の質問を反芻した。


「寂しい?」


どういうことだろう……。確かに私は月音と離れて、心細かったけれども……。


「さぁ、行こうか。ここから先はこの老いぼれが案内しよう」


ガサガサと音を立てて蛇が進んでいく。

このまま従っていいものか悩んだけれど、ここに一人残るのも心細かった。

まるで見えない暗がりの中を、音だけを頼りに私は付いていった。


「ねぇ、どこに向かっているの?」


音のする方に向かって、私は尋ねたけれど、蛇は何事かをつぶやいていただけで、聞き取ることができなかった。


「ねぇ……!!」

「……」


私が聞き返しても、彼はお構いなしだった。

独り言をぶつぶつと呟きながら、振り返りもせずに進んでいく。

しかたなしに、私も黙って蛇に付き従うけれど、暗闇の中では思うように進めなかった。


「あっ……」


案の定、私は太い枝に足を取られ、盛大に転んでしまった。


「そうかい。そのようだったな」


ふいに蛇が私に向き直り、金色の目をぎらつかせた。

やっと聞き取れた蛇の声は、そんな言葉だった。

まるで誰かと話しているような独り言を、蛇はつぶやき続けている。

赤い舌をチロチロと出し入れしながら、その目は私の脚を凝視していた。

つまづいた枝が、私の肌に傷を残していたのだ。


「目が見えないのだったか?」

「こんなに暗いんだもの」

「夜は暗いものか?」

「暗いわよ」

「そうか、それは……よくわからんな」


どこか抑揚を欠いた声音で、蛇がつぶやく。

その間、蛇は決して私から目を離さなかった。

今までと少し違った雰囲気に、私は違和感を覚えた。


スゥ、と音を立てることなく蛇の黄色目がゆっくりと近づいてくる。

……まるで狩りでもするかのように慎重な動作で。

座り込んでいる私から少し離れた場所まで移動すると、いったん止まって私の行動を伺っているようだった。


(逃げなきゃ……)


私の体は激しい緊張のため、硬直してしまっていた。

なんとか手に力を入れて、体を持ち上げたかったけれど、腰の力が抜けてしまって、それもままならなかった。


そうしている間にも、蛇が私の脚に絡みつき、太もも、腰、胸元まで昇り上がってきた。

必然、私は声を出すこともできずに、蛇に押し倒される格好になった。

ひんやりとして、ぬめり気を含んだ彼の鱗は独特の感触をしている。


「これも、環か……」


最初に会ったときと同じ構図になり、蛇がつぶやいた。

彼の目線はすでに私から外れ、私の脚(恐らくは傷口)を凝視しているようだった。


「痛くはない。恐らくは……」


蛇の声と共に、胴体の巻きついた脚がきつく締められる。

思ったよりも弾力のあるせいか、痛みを感じることはなかった。

2度3度、ゆるめたり締めたりを繰り返されたかと思うと、蛇が私の体から離れていった。

状況を把握できない私は、蛇の巻きついていた脚をぼーっと見ていた。


「これでいいだろう」


蛇の言葉の意味を理解するのに時間がかかったけれど、よくよく見てみると、私の脚についた傷は消えていた。


「えっ、あの……」


蛇がシュルシュルと喉から音を立てる。

黄色の眼光が月明りを反射させていた。


「あ、ありがと……」


私はやっとのことでお礼を言う。

どうやったかはわからないけど、彼は私を助けてくれたのだ。


「ふむ」


まるで笑うように口を裂くと、蛇が動き出す。


「どうやらここまでのようだ」


振り返りもせずに、蛇が語りかけてくる。


「君は君の望むものを手に入れることができる。誰だって、それができるんだ……」


去っていく蛇の言葉は、いつだって理解できない。

私は途方に暮れそうだったが、知りたいことが一つだけあった。


「あなたの……名前は?」

「名前……名前……」


思考を逡巡させるように蛇が反芻している。


「名前なんてない。必要のないものだ。

お前さんの相方なら知っていることだろうさ」


「けれど、もしこの老いぼれを呼びたければ……金目と呼んでおくれ」

「わかった。金目ね……」

「さようなら、お嬢さん。また……今生で……」



そう言うと、蛇は完全に姿を消した。

恐らくはただ私の目に見えない所まで行ってしまっただけなのだろうけど、

金色の目はもう見えない。

私は今日だけでも何度目かの、酷い孤独感に捕らわれていた。

暗い中、私はこの山道を登らなければならない……。


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