~行~
けれど、それはすぐに現れた。
私の後方にある草むらが音を立てる。
驚いてそちらを見ると、何かが顔を覗かせていた。
「……っ!?」
何かがそこにいることはわかるのだけれども、私にはその姿を捉えることができなかった。
まるで暗闇そのもののように、それはそこに存在しているようだった。
「……どうした? 行かないのか?」
それが私に語りかける。
私は体を戻すと、再び登山を開始した。
(鴉も蛇も、私を導いてくれた。なら、きっとこの人もそうなんだろう……)
私は言葉なく、暗闇の中を歩き続ける。
足は重く、痛みを訴えているし、腕はいくつもの擦り傷がついていたが、何かに追い立てられるように私は歩を進めていた。
(実際、追い立てられてるようなものなんだけど……)
後ろからついてくる『それ』は、道を逸れそうになると注意してくれるが、今までの2人(?)のように、先導してくれるわけではないようだ。
1度振り返って姿を見ようとしたけれども、細かく刻まれた吐息以外、見つけることはできなかった。
飛ぶでもなく、這うでもない低い草木を揺らして歩くそれは、きっと4本足で歩く動物なんだろうけど……。
けれど追い立てられているとはいえ、そんなに登り道を歩き続けるなんて私にはできるはずもなく……。
「ん? 疲れたのか?」
息を切らせている様子もなく、淡々と話すそれを、私は半ば飽きれて眺めた。
(もちろん、闇に紛れていて見えないんだけど……)
「あれ……」
「どうした?」
「ちょっと待って」
(そういえば白い鴉……シロが別れ際に言ってたな……)
「クロ……?」
「なんだ?」
「やっぱり、クロなんだ!」
「だから、なんだ?」
「……別に、確認しただけ」
「そうか」
やっぱり、どこかそっけない様子だ。
淡々としていて、感情がないような感じさえ受ける。
もっとも、姿も見えないから、表情がどうかはわからないけど……きっと無表情なのだろう。
「そういえば、シロから伝言があるのよ」
私はアキレス腱を伸ばしながら、深く呼吸をしながらクロに語りかける。
「あれ……でもなんて言ってたっけ」
冷たい視線が、私の背中を刺して、言葉の先を促している。
けれど私は、なんとなくのニュアンスしか思い出せなかった。
「確か、また会える……みたいな」
言い終わる寸前に、遠吠えが聞こえた。
いや、すぐ近くで高鳴るその声を表現するなら近吠えなのだろうか。
そんなことを考えていると一陣の風が吹き、ざわめいた木々の合間から月光が降り注いだ。
「……」
月は一瞬、確かに漆黒の獣を照らした。
それは、光すべてを吸収するかのような、艶やかな黒の色をしていた。
「クロ……」
「なんだ?」
クロの返答には、どこか楽しそうに弾むような調子がある。
「よかったね……」
何がいいのか、自分でもわからないままに、私少し泣きそうになっていた。
「ああ」
クロが応えると、私たちは再び山登りを再開した。
土肌だった山は次第にごろごろした石や岩が増えてきていた。
またしばらく進むと、森が一気に姿を消して、岩肌の上り道になった。
「これを……登るの?」
月明かりに照らされたそれは、上り道というよりも崖に近い。
暗闇の中では足場も見えなければ、頂上も見えない。
私は深い絶望にも似た気持ちでそれを見つめる。
「そんなに高いものではない」
感情のない声で言うやいなや、タッと岩肌に爪音を立てて軽やかに登っていくクロ。
私は慎重に手足の置き場を確認しながら、四つん這いで登る。
綺麗な浴衣を汚す罪悪感が、私の胸の片隅で燃えていた。
(とはいえ、ここに来るまでに相当汚してるか……)
獣の爪音をたどりながら、私は一つずつ慎重に歩を進める。
爪に異物の食い込む不快な感触も、肌を擦る岩の痛みも、滑落死に比べれば甘いものだ。
けれど私の中に、恐怖心は薄い。
これまでの行程で麻痺してしまっているのだろう。
ゆっくり慎重に、私は傾斜45度を超えているであろう岩肌を登る。
幸い、木々のない山に、月は明るい。
「ほら、頂上が見えてきたぞ」
クロの声に反応して私は先を見る。
けれど、私に見えるのは黒い闇と星空だけで、山の終わりがどこにあるかなんて、判断できなかった。
私は無言で、岩登りを再開した。
傾斜が更に急になったかと思うと、すぐに平坦な場所に出た。
炎の焚かれた、オレンジ色の世界が私を迎えた。
揺らめくような影に、私はすぐに違和感を覚えた。
炎は、私を導くように2列に並んではいたが、そこに土台はなかった。
……橙に燃える火は宙に浮いていたのだ。
「なに、これ……」
驚きながら、私は背後にいるであろうクロに声をかける。
けれど、クロからの返事がいつまで待っても来ない。
恐る恐る振り返ってみると、案の定、そこに漆黒の獣はもういなかった。




