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燦宵行  作者: 水無飛沫
2/5

~燦~


少年が夜の獣道を、ためらいなく歩み進んでいく。

暗闇の中には二人の、枯れ草を踏みしめる音だけが響いている。

途中途中で突き出た枝をどける動作さえなければ、少年は恐ろしく速く登れるのかもしれない。

私は手探りながらも安全に山を登ることができている。

「ありがとう……」と私が言うと、彼は面を半分ずらして私を見た。

暗闇の中、ぼうっと浮かび上がる少年の表情に、私は夜の淵を感じた。


「あの……この先に何があるの?」


真っ暗な山道。自分の手先すら見えてるとは言い難い恐怖は、不安を募らせる。

その時になってようやく鎌首をもたげた感情が外に出た。

少年は小さく息を吐くと、微笑んでその白い手を私の頭に乗せた。

少年の表情と手の温もりが少しだけ、私の胸の奥を引き締める。

その時、カアカアと不吉に鳴くカラスの声が山に響いた。


とっさに私は体を強張らせて、鳴き続けるカラスを探す。

反響のせいか、声の出所を特定できなかった。

それに、この暗闇ではカラスを見つけることは不可能だろう。

「大丈夫だよ」

少年の囁き声が近くで聞こえたので、私は視線を戻した。


「……うそ」


少年は私の前から綺麗に姿を消していた。

私から離れる物音一つ立っていないし、何より頭に残った彼の手の温もりが一寸前までここに彼がいたことを物語っている。

軽く混乱しながらも、私は辺りを見回す。

暗闇に囲まれた私には、何一つとして彼のつけた痕跡を見つけることはできなかった。

カラスの声だけが、焦る私に大きく響く。


「つきおと……?」


彼の名を呼んでみるけれど、私の出した小さな声は、頼りなく暗闇に消えていった。

途方に暮れて、私は立ち尽くす。


「くくっ、ククク……」


誰かが笑っている。

少年の声ではなく、低くて重い金属のような声だった。


「……誰?」


私は辺りを見回す。

恐怖で胸が潰れそうだ。


「ククク……そっちじゃない、そっちじゃないぞ」


どうやら声は上方から聞こえているようだ。

私が声のした方を見上げると、そこには暗闇の中、切り取ったように白いカラスがいた。


「クク、ククク」


カラスが不思議な声音で喉を鳴らす。

左右で色の違う翠碧の瞳が、白い型の中でギラギラと光っている。


「ついに来たか。とうとう来たか」


白いというだけでも不自然なのに、カラスが人の言葉を操っている。

本来なら恐怖を感じるところなのだろうけど、戸惑いが先走った。


「あなたは……?」

「お嬢さんを待っていた。待ち侘びたぞ」

「私を、どうして……? それに月音はどこに行ったの?」

「月音? ククッ、どこだったかな」

「さっきまで一緒にいたの。見てない?」

「彼は見つけたんだ」


見つける……?

どうもさきほどから、白いカラスとの会話が上手く成立していない気がする。

自分の足元すら見えない森の中、ただカラスだけがはっきりと浮き出ている。

輪郭のない世界で、私はカラスと向き合っていた。

そのカラスが2、3瞬きをして、首をかしげた。

宝玉のような双異の瞳が、闇を映してくるくると色を変える。


「夜の森は初めてか?」

「ええ、何も見えないの」


仕方がない、とカラスは呟いて、羽を広げた。

翼を広げたその姿は、想像よりも大きくて、かつて図鑑で見たことのある大鷲の姿を連想させた。

私の驚く様子を満足げに見ると、「着いてきなさい。案内しよう」と言ってカラスは地に降り立った。


「クククッ、暗い山道には気をつけることだ」


カラスがよたよたと歩く。

その後ろを、私は手探りで進んだ。

木の枝に絡まれ、根に阻まれて、すぐに私の浴衣は汚れてしまった。

息を切らせているとカラスが振り返った。


「可愛い召し物が汚れてしまったな」

「……そうね」

「それに……」


ギラリと、翠の片目が光を帯びた。


「裸の足は、擦り傷だらけだ」


奇怪な声で鳴くカラスに、この時初めて私は恐怖を感じた。

そうだ……案内する、とカラスは言った。


「あなたは……」

「シロだ。この森ではそう呼ばれている」

「シロ……」


……犬みたいな名前だ。


「そうさ。あの地這いの獣となんら変わらん。けれど一緒にするなよ?」


私の考えはシロには読まれていたようだ。


「シロは私をどこに連れていくの?」

「人の世か、はたまた妖の世か……どちらかだ」

「どちらかって……」

「ククッ、決めるのは俺じゃあない。判ってるだろ、お嬢さん?」


カラスの言葉が散らばったパズルのようで、理解できない。

私はどこに連れていかれるのか。私はどこに行くのだろうか……。


「そうだ、お嬢さん。褒美をあげよう」

「褒美?」

「そうだ、褒美だ。輝く小金か、煌めく宝石か……」


シロの言葉が、遠い異国の言葉にすら聞こえる。

たどり着く場所もわからないのに、褒美も何もない。

じゃあ、私は帰りたいのだろうか……。

この闇だけの世界から抜け出したいのだろうか。


違うような気がする。

もちろん、留まりたいわけじゃないけど……。

なんにせよ、もう一度月音に会わなくちゃいけないような気がしていた。

そんな私の顔を見て、シロが再び問いかける。


「決まったのか?」

「……わからない。けど、月音はどこ?」


カラスが小さく喉を鳴らした。

それきり、カラスは動くのをやめた。

まるで時間が止まったような静寂が流れる。

私は立ちすくむシロの双眸を魅入られたように眺めていた。


「お前に必要なもの……」


シロが羽を伸ばし、毛づくろいを始める。

まるで私への感心をなくしたかのように、こちらを見ようともしなくなった。


「そうか、わかったよ」


バサバサと翼はためかせながら、器用に鼻を鳴らす。


「どうも、俺はここまでらしい」

「ここまで……?」

「お嬢さんに必要なのは答えじゃなかったってことさ」


シロが空に舞い上がる。

器用に木々を避けながら、宙で円を描いて飛んでいる。


「シロ!?」


どこかへ飛んでいってしまいそうで、私はカラスの名を叫んだ。


「さよならだ、お嬢さん。

クロに会うことがあったら伝えておくれ。

まみえる時がついに来た、と」


「クロって?」


「……親友だ。猛きお方さ。

狐、これで良かったのさ。

これで良かったのだな?」


カラスが問いかけるように嘲笑う。

細かく震えるような、歪な鳴き声のそれは、どこか悲しい響きをしていた。

シロとの離別を確信した私は、不安を大きく感じながら叫んだ。


「シロっ、行かないで!」


シロは私の声に反応して、空中で大きく羽根をバタつかせると、静止した。

木の枝に降り立ったのだろうか。


「シロ……」


私は安堵して彼の名を呼んだ。

暗闇の中で残されるのは、どうしようもなく怖かった。

けれどシロは私を見降ろして低く鳴くと、再び大きく飛び上がった。


「ククッ、あぁ、うん。

カラスは飛ぶことにした。

カラスは飛べるんだよ。

ククッ、アハハッ」


「シロ、待って!」


小さくなる白いシルエットに向かって、私は声の限りに叫んだ。

けれど、シロの姿はどんどん小さくなっていく。

かすかに聞こえている彼の声も、次第にフェードアウトしていった。


「あぁ、あまり鳴かぬ方がいい。

身体に障る。

けれど、鳴かねばなるまい。

鳴かねばならないのだ。


ククッ、カカッ

ククッ

ククッ……」


カラスの姿が見えなくなると、私は一人、暗闇に残された。


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