婚礼前夜
夜。
結婚式前日のルクシア城は、
不思議なくらい静かだった。
数日前までは、
侍女達も騎士達も大騒ぎだったのに。
式典確認。
衣装調整。
招待客対応。
王都中がお祭りみたいな空気で、
私自身もずっと落ち着かなかった。
でも今は。
嵐の前みたいに、
静かな夜だった。
私は自室のテラスへ出る。
白夜王国の夜景が、
月明かりの下で淡く輝いていた。
……綺麗。
風が優しく銀髪を揺らす。
明日になれば、
私は正式にレオニス様の妃になる。
そう思うと、
胸が少しだけ落ち着かない。
怖いわけじゃない。
嫌でもない。
ただ。
幸せすぎて、
まだ現実感がないのだ。
「……眠れないのか」
後ろから、
低く穏やかな声が聞こえた。
振り返る。
レオニス様だった。
寝る前だったのだろう。
黒い上着を軽く羽織っただけの姿。
薄青の瞳が、
月光の中で静かに揺れている。
私は少し笑った。
「レオニス様もですか?」
「俺は明日緊張で倒れそうだ」
「ふふ」
珍しい。
でもきっと、
本音なのだろう。
レオニス様は私の隣へ来る。
肩が触れそうな距離。
それだけで、
胸が少し温かくなる。
しばらく、
二人で黙って夜景を眺めた。
沈黙なのに、
苦しくない。
むしろ心地良い。
すると不意に、
レオニス様が小さく息を吐いた。
「……明日で、
全部変わるな」
その言葉に、
私はゆっくり目を瞬かせる。
変わる。
そうかもしれない。
白夜王国では、
婚姻の儀が成立した時点で王太子となる。
王子と婚約者ではなく、
王太子と王太子妃になる。
立場も。
責任も。
きっと今まで以上に重くなる。
でも。
不思議と怖くなかった。
私はそっと、
テラスの手摺へ置かれていたレオニス様の手へ触れる。
温かい。
すると彼は、
すぐ自然に指を絡めてきた。
「……ティリア」
「はい」
「幸せか?」
最近、
レオニス様は時々そう聞く。
まるで確認するみたいに。
私は少しだけ考えてから、
静かに頷いた。
「はい」
昔の私は、
幸せというものがよく分からなかった。
生き残ること。
強くあること。
失わないこと。
そればかりだった。
でも今は違う。
誰かと食卓を囲むこと。
名前を呼ばれること。
眠る前におやすみを言えること。
隣に帰る場所があること。
そういう小さなものが、
こんなにも温かい。
「……良かった」
レオニス様が、
本当に安心したみたいに笑う。
その笑顔を見た瞬間。
胸の奥で、
何かが静かに満ちていく。
この人はきっと、
ずっと私の幸せを願ってくれていた。
私が気付けなかった時から。
風が吹く。
白薔薇の香りが夜へ溶けた。
するとレオニス様が、
そっと私の髪へ触れる。
優しい手。
「綺麗だな」
「またそれ言う……」
「明日になったら、
もっと酷くなるぞ」
「酷く?」
「絶対見惚れる」
私は思わず吹き出してしまった。
でも。
そんな風に笑える事が、
嬉しかった。
レオニス様は私の額へ軽く口付ける。
触れるだけの、
優しいキス。
「……愛してる」
静かな声だった。
でも。
何よりも真っ直ぐで、
温かかった。
私はそっと、
彼の肩へ寄り添う。
遠くで鐘の音が鳴る。
王都は明日の祝祭へ向けて、
静かに眠り始めていた。
私も目を閉じる。
隣には、
愛しい人の温もり。
こんな穏やかな夜を、
昔の私は知らなかった。
でも今なら分かる。
幸せって、
きっとこういう静かなものなのだ。
明日になれば、
私はこの人の妻になる。




