壊れた光
白夜王国へ、
冷たい雷雨が降っていた。
昼だというのに空は暗く、
厚い雲が王都を覆っている。
遠くで雷鳴が轟いた。
私は窓の外を見つめながら、
胸の奥のざわつきを押さえられずにいた。
――来る。
理由もなく、
そう確信していた。
その時だった。
ばんっ!!
私室の扉が勢いよく開く。
「ティリア!」
レオニス様だった。
険しい顔。
騎士達までいる。
「幻影帝国第一王女、
ルシエラ・ノクスが来た」
空気が止まる。
やはり。
私は静かに目を伏せた。
⸻
大広間へ足を踏み入れた瞬間、
肌が粟立った。
玉座の前。
そこに立つ女を見た瞬間、
息が詰まる。
長い白銀の髪。
冷たい紫の瞳。
かつては誰より誇り高かった、
光姫・幻影帝国第一王女。
けれど今の彼女は、
どこか壊れていた。
頬は痩せこけ、
目の下には濃い隈が落ちている。
その紫の瞳だけが、
狂気みたいな光を宿していた。
「……久しぶりね、
ミスティリア」
その声を聞いた瞬間。
私の影が揺らいだ。
ばちっ――!!
炎。
水。
氷。
雷。
光。
闇。
次々に精霊王達が顕現する。
イグニスが低く唸る。
「……こいつか」
ヴェルディアの周囲へ紫電が走った。
ルシエルの足元には氷晶。
ノクティスだけは何も言わない。
ただ、
紫の瞳だけが底冷えするほど冷たかった。
「ティリア、
下がれ」
レオニス様が前へ出る。
けれど私は、
静かに首を振った。
「……これは、
私の問題です」
「ティリア」
「お願いします」
ルシエラは、
そんな私を見て笑った。
壊れたみたいに。
「……ふふ」
「本当に愛されてるのね」
その声には、
嫉妬と憎悪が滲んでいた。
「どうしてあんたなの?」
「どうして、
忌み子のあんたが」
「怪物のあんたが」
「災厄のあんたが」
「月蝕の王なんかが――」
魔力が膨れ上がる。
雷鳴。
冷気。
眩い光。
白銀の魔法陣が幾重にも展開された。
「どうして、
あんたばかり幸せになってるのよ!!!!」
轟音。
雷光が大広間を裂いた。
「っ!!」
咄嗟に私は結界を展開する。
月光色の障壁が、
魔法を受け止めた。
しかし衝撃で窓ガラスが砕け散る。
床が軋む。
柱へ亀裂が走る。
「ここで戦う気か!?」
レオニス様が叫ぶ。
だがルシエラは止まらない。
「うるさいッ!!」
雷撃。
氷槍。
眩い光線。
大広間そのものが崩れ始める。
「皆下がってください!!」
私は結界をルクシア城全体へ展開した。
白銀の光が城を包む。
その瞬間。
ルシエラの暴走した魔力が爆発し、
大広間の壁が吹き飛んだ。
轟音。
暴風。
私は咄嗟に外へ飛び出す。
そのまま、
ルシエラも雷と共に庭園へ降り立った。
⸻
白薔薇庭園。
かつて、
レオニス様と口付けを交わした場所。
白い花弁が、
嵐の中で舞っている。
雷が落ちる度、
白薔薇が散っていった。
「なんで生きてるのよ!!」
ルシエラが叫ぶ。
「よく効く毒を、
祝杯に仕込ませたっていうのに!!」
静寂。
レオニス様の瞳が見開かれる。
アルセリオン国王の表情が凍り付いた。
騎士達の空気が変わる。
「……っ」
ルシエラは止まらない。
「全部、
あんたのせいよ!!」
「あんたなんか生まれてこなければ!!」
「全部!!」
「全部私のものだったのに!!!」
雷が落ちる。
氷が庭園を覆う。
私は静かに魔力を解放した。
月光の魔法陣。
六精霊王達の力が共鳴する。
暴風が吹き荒れる。
白薔薇が空へ舞い上がった。
ルシエラの雷撃を、
私は真正面から打ち消す。
「そんな……」
ルシエラの瞳が揺れる。
私は彼女の目の前へ立った。
そして、
静かに言う。
「私はまだ15歳ですよ」
ルシエラが息を呑む。
私は泣きそうになりながら、
微笑んだ。
「シャンパンなんて、
飲めません」
――貴女は、
私の年齢すら覚えていなかったのね。
静寂。
ルシエラの顔から血の気が引いていく。
彼女は知らなかった。
私が未成年で、
祝杯を飲めないことを。
だから。
毒入りの杯を飲んだのは、
レオニス様だった。
「……ぁ……」
ルシエラの膝が崩れる。
「そんな……」
「そんな、
つもりじゃ……」
けれど次の瞬間。
また憎悪が溢れ出す。
「それでも!!」
「月蝕の王なんかに、
幸せになる価値はない!!!」
壊れた叫びだった。
レオニス様が剣を抜く。
殺気。
本気だった。
「レオニス様!!」
私は咄嗟に、
ルシエラの前へ立つ。
「どいてくれティリア」
「嫌です」
「この女は君を――」
「……どれだけ憎まれても」
私は震える声で言った。
「私は、
この人を殺したいとは思いません」
「憎しみで終わってほしくないんです」
ルシエラが目を見開く。
理解できない、
という顔だった。
当然だ。
彼女はずっと、
憎しみだけで生きてきたのだから。
私はゆっくり、
彼女へ近付く。
「ルシエラ様」
「来るな……!」
「ごめんなさい」
私は彼女の額へ、
そっと触れた。
月光が溢れる。
禁忌の記憶魔法。
ルシエラの瞳が揺れる。
「……っ、やめ……」
「もう、
苦しまなくていい」
光が彼女を包む。
私に関する記憶。
嫉妬。
憎悪。
執着。
全部。
静かに消えていく。
ルシエラの頬を、
涙が伝った。
やがて。
彼女の瞳から狂気が消える。
崩れ落ちるように、
その場へ座り込んだ。
静寂。
雨が止み始める。
けれど周囲を見れば、
庭園も王城も傷だらけだった。
崩れた壁。
焼けた回廊。
負傷した騎士達。
私はゆっくり息を吸う。
そして、
両手を胸の前で重ねた。
月光が溢れる。
王城全体を覆うほど巨大な魔法陣が、
空へ広がった。
「――《月蝕の力》」
光が降り注ぐ。
砕けた城壁が再生する。
崩れた床が元へ戻る。
割れた窓硝子が、
時間を巻き戻すように修復されていく。
倒れていた騎士達の傷も、
優しい光に包まれ癒えていった。
白薔薇庭園へ、
再び花が咲く。
まるで何事も無かったみたいに。
人々は息を呑んでいた。
「……何度目の奇跡だ」
「本当に、
月の女神なのか……」
「月の女神……」
「災厄を鎮め、
国を癒した……」
違う。
私はそんな立派なものじゃない。
ただ。
誰かが傷付くのを、
もう見たくなかっただけ。
その時。
後ろから、
そっと抱き締められる。
レオニス様だった。
「……ティリア」
震える声。
怒りでもなく、
悲しみでもなく。
愛おしむみたいな声だった。
私はその腕の中で、
静かに目を閉じる。
空を見上げれば、
嵐は消えていた。
夜空には、
静かな月が浮かんでいる。
まるで。
長い悪夢の終わりを、
見届けるみたいに。




