愛されるということ
ノクタルギア襲来から数週間後。
王都は以前の賑わいを取り戻しつつあった。
街を覆っていた恐怖も、
崩れた建物も、
傷付いた人々も。
私の魔法で、
街は元の姿を取り戻した。
けれど、
人の心に残る恐怖までは簡単に消えない。
だから今日、
私はレオニス様と共に王都の視察へ向かうことになった。
「無理はするな」
馬車へ乗り込むなり、
隣からそんな声が飛んでくる。
私は思わず苦笑した。
「視察へ行くだけです」
「君の場合、
“行くだけ”で済まないから言っている」
……否定できない。
レオニス様はまだ、
私が倒れた時のことを引きずっているらしい。
少し顔色が悪いだけで眉を寄せるし、
階段を下りるだけで手を差し出してくる。
最近では侍女達まで、
私を過保護に扱い始めた。
「本当に元気なのですけど……」
「君の“元気”は信用ならない」
即答だった。
酷い。
でも。
その声音に滲む心配が、
少しだけ嬉しいと思ってしまう自分もいる。
馬車の窓から外を見る。
王都は今日も美しかった。
白亜の建物。
花で彩られた街路。
行き交う人々の笑い声。
……守れて良かった。
そう思った時だった。
「……あっ」
通りを歩いていた少女が、
こちらを見て目を見開く。
すると。
「月の女神様だ……!」
その声をきっかけに、
周囲の人々が次々とこちらを振り返った。
「本当にいた……!」
「白銀の髪……!」
「幻獣を鎮めた姫君……!」
「月の女神様……!」
私は思わず固まった。
……女神様?
困惑していると、
レオニス様が隣で肩を震わせている。
「笑わないでください……」
「いや、
すまない。
あまりにもそのままだったから」
「そのまま?」
「君、
夜空みたいな髪で、
金色の瞳をしてるだろう」
「……?」
「しかも幻獣を鎮めて、
王都を再生した」
レオニス様は楽しそうに微笑む。
「そりゃあ、
女神扱いもされる」
納得いかない。
けれど窓の外では、
人々が嬉しそうに手を振っていた。
そこにあったのは、
恐怖ではなく。
尊敬と感謝の眼差しだった。
胸の奥が、
少しだけ熱くなる。
⸻
最初の視察先は孤児院だった。
白夜王国の孤児院は、
教会と併設されている場所が多い。
中へ入ると、
子供達が一斉にこちらを見る。
最初は緊張していたらしい子供達も、
私を見た瞬間ぱっと表情を明るくした。
「ほんものだ……!」
「銀髪……!」
「きれー!」
あっという間に囲まれる。
レオニス様が少し困った顔をした。
「こら、
押すな」
「大丈夫です」
私はしゃがみ込んで、
子供達と目線を合わせる。
「こんにちは」
すると一人の小さな女の子が、
もじもじしながら前へ出てきた。
手には、
少し歪な花束。
恐らく自分達で摘んだのだろう。
「あのね……」
小さな声。
けれど、
一生懸命だった。
「げんじゅう、
やっつけてくれてありがとう」
胸が詰まった。
少女はその花束を、
私へ差し出してくる。
「おねえちゃんが、
まもってくれたから、
みんなおうちなくならなかったの」
……駄目。
泣いてしまいそう。
私はそっと花束を受け取った。
野花の優しい香りがする。
「……ありがとう」
声が少し震えてしまった。
少女は安心したように笑う。
その笑顔を見た瞬間、
あの日守ったものの重さを、
改めて実感した。
隣を見ると、
レオニス様が静かにこちらを見ていた。
優しい目だった。
「……良かったな」
小さな声。
私は花束を胸へ抱き締めながら、
静かに頷いた。
⸻
孤児院を出た後は、
市場の視察へ向かった。
王都中央市場。
白夜王国でも最も賑わう場所の一つだ。
果物。
香辛料。
焼き菓子。
色とりどりの商品が並び、
活気に満ちている。
「姫様ー!」
「こっち見てくれー!」
「今日は焼きたてだよ!」
市場の人達は驚くほど元気だった。
少し前まで幻獣襲来で混乱していたとは思えない。
「ミスティリア様、
これ食べてみて!」
串焼きを渡される。
「いえ、
視察中なので――」
「食べろ」
レオニス様が真顔で言った。
「……え?」
「君、
朝からほとんど食べてないだろう」
何故ばれているのか。
市場の人達が笑い出す。
「王子様、
過保護だなぁ!」
「仲良いねぇ!」
レオニス様は眉を寄せる。
「茶化すな」
でも、
耳が少し赤かった。
私は思わず吹き出してしまう。
市場の空気は温かかった。
誰も怯えていない。
誰も泣いていない。
皆、
ちゃんと笑えている。
その光景を見ながら、
私は胸の中でそっと思った。
……守れて、良かった。
本当に。
すると不意に、
レオニス様が私の手を取る。
「……?」
「また無茶をしそうな顔をしていた」
「してません」
「してた」
そう言って、
彼は私の手を優しく握り直した。
まるで、
もう離さないみたいに。
市場の喧騒の中。
私はそっと、
繋がれた手を握り返した。
――市場視察を終え、
城へ戻る頃には、
空はすっかり夕焼け色に染まっていた。
馬車の窓から見える王都は、
昼間よりも柔らかな光に包まれている。
行き交う人々。
灯り始めた街灯。
笑い声。
平和だった。
その光景をぼんやり眺めていると、
隣から視線を感じる。
「……なんですか」
「いや」
レオニス様は少しだけ目を細めた。
「随分疲れた顔をしていると思って」
「してません」
「してる」
最近ずっとこれだ。
少しでも顔色が変わると、
すぐ気付かれる。
私は小さくため息を吐いた。
「レオニス様は、
本当に過保護になりましたね」
すると彼は一瞬だけ黙る。
窓の外へ視線を向け、
静かな声で言った。
「……あの日、
怖かったからな」
その声音は、
驚くほど弱かった。
私は思わず言葉を失う。
レオニス様は滅多に、
自分の恐怖を口にしない。
けれど今は、
隠そうともしなかった。
「君が倒れた時、
本当に……
目を開けないんじゃないかと思った」
胸が痛くなる。
私はあの日の記憶が曖昧だ。
でも。
目を覚ました時、
一番最初に見えたのは、
酷く疲れた顔をしたレオニス様だった。
きっと。
私が思っている以上に、
この人を不安にさせてしまったのだろう。
「……ごめんなさい」
小さく謝ると、
レオニス様はすぐ眉を寄せた。
「違う」
「え?」
「君を責めたいわけじゃない」
その薄青の瞳が真っ直ぐこちらを見る。
「ただ、
もう少し……
自分を大切にしてほしい」
心臓が、
少しだけ跳ねた。
私は昔から、
自分のことが後回しだった。
誰かの役に立てるなら。
誰かを守れるなら。
自分が傷付いても構わないと思っていた。
でも。
そんな私を見て、
苦しそうな顔をする人がいる。
その事実が、
どうしようもなく胸を締め付ける。
馬車が城門をくぐる。
その瞬間。
外から歓声が聞こえた。
「月の女神様ー!」
振り返る。
すると城門前にいた子供達が、
こちらへ向かって手を振っていた。
市場で会った人達までいる。
「また来てください!」
「今度はお菓子食べていって!」
「姫様ー!」
私は目を見開いた。
皆、
笑っている。
恐怖ではなく、
安心した顔で。
……こんな風に、
誰かに笑いかけられる日が来るなんて。
幻影帝国にいた頃の私は、
想像したこともなかった。
気付けば、
頬が少し熱くなっていた。
すると。
ぽん、と頭へ手が乗る。
「……レオニス様?」
「頑張ったな」
優しい声だった。
子供扱いみたいなのに、
不思議と嫌じゃない。
私は少しだけ視線を逸らした。
「……まだ、
何も終わってません」
「終わってるさ」
「え?」
レオニス様は窓の外を見つめる。
夕暮れの王都。
人々の笑顔。
灯り始めた街。
「君はもう――
この国を救った」
静かな声。
でも、
確かな熱があった。
「皆、
ちゃんと知ってる」
私は言葉を失う。
すると彼は、
少しだけ困ったように笑った。
「だからもう少し、
守られる側になってくれ」
その言葉に、
胸の奥がじんわり熱くなる。
守ることしか知らなかった私に。
この人は、
守られてもいいのだと教えてくれる。
馬車が止まる。
城へ戻れば、
また忙しい日々が始まるだろう。
妃教育。
公務。
政治。
やるべきことは山ほどある。
それでも。
繋がれたこの手の温もりが、
不思議と未来を怖くなくしてくれた。
私はそっと、
レオニス様の手を握り返す。
窓の外では、
夜空に月が浮かんでいた。
まるで静かに、
私達を見守るように。




