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月蝕の花嫁  作者: 紫苑ユリ
月の女神
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王子の葛藤

これほどまでに、

満たされた一日があっていいのだろうか。


俺が贈ったドレスを、

彼女は初めて着てくれた。


ミスティリアの、

色々な表情を見ることが出来た。


彼女の“初めて”を、

たくさん一緒に過ごせた。


そして何より――


国民が、

彼女を受け入れ始めていた。


『ただ、

彼女へ穏やかな幸せが訪れてくれれば』


昔は、

そんなことを願っていた。


……だが今は違う。


彼女の全てが欲しい。


そう思ってしまう。


ミスティリアはもう眠っただろうか。


……少しだけ、

顔を見に行こうか。


そんなことを考えていた時だった。


コンコン――


遠慮がちな小さなノック音。


……こんな時間に誰だ。


少しだけ苛立ちながら扉を開けた瞬間、

その感情は全て消え去った。


そこにいたのは、

今一番会いたかった人。


ミスティリアだった。


だが、

そこにいたのは今日城下町で共に歩いた

“月の女神”ではない。


白夜王国の夜着。


白を基調とした柔らかな薄衣。


月光のような銀糸の刺繍。


重い装飾はなく、

銀髪はそのまま肩へ流れている。


……あまりにも無防備で、

あまりにも美しくて。


心臓がうるさい。


「ミスティリア、

こんな時間にどうしたんだ」


「今日のお礼をと思って……」


「ご迷惑ではなかったですか?」


不安そうにこちらを見上げる。


「迷惑なわけがない」


「丁度、

君に会いに行こうと思っていた」


……駄目だ。


城下町でドレス姿を見た時以上に、

目が離せない。


「……レオニス様?」


「どうかされましたか?」


「…………いや」


「その姿で、

男の部屋を訪ねるのは危険だ」


「……?」


きょとんと首を傾げるミスティリア。


……本当に分かっていないのか。


無防備すぎる。


可愛すぎる。


その姿で、

“会いたかった”

みたいな顔をされて、

平静でいられる男がどこにいる。


「立ち話をして、

誰かに見られても良くない」


「……入るか?」


「えっ……

ご迷惑では……」


「むしろ、

帰られる方が困る」


そう言った瞬間、

ミスティリアはぱちぱちと目を瞬かせたあと、

小さく笑った。


「……では、

少しだけ」


……その“少し”で、

どれだけ心を掻き乱されるか、

君は分かっているのだろうか。


一一


「今日は本当にありがとうございます」


「……いいえ、

今日だけではありません」


「私へ、

たくさんの景色を見せてくださってありがとうございます」


「君が喜ぶなら、

俺は何だってするさ」


「……だが、

なぜそんな浮かない顔をしている?」


ミスティリアは、

少し俯いて言った。


「レオニス様は、

私へ居場所をくれて、

色々な経験をさせてくださいました」


「心が暖かくなって、

この時間がずっと続けばいいと、

そう思うことばかりで……」


「私はまだ、

“幸せ”というものが何なのか分かりません」


「……でも、

これが幸せなのだとしたら」


「壊れてしまうのが怖いのです」


……今にも泣き出しそうな顔だった。


気付けば、

俺は彼女を抱き締めていた。


ミスティリアは少し驚いたように肩を震わせたが、

俺はそのまま言う。


「俺が壊させない」


「もっと幸せにする」


すると腕の中で、

ミスティリアが小さく呟いた。


「……今日が、

楽しすぎて」


「部屋へ戻ったら、

今日のことを思い出してしまって……」


「一人でいたくないって、

思ってしまったんです」


「……レオニス様に会ったら、

楽になれるかもって」


……そんなことを言われたら、

期待してしまう。


ミスティリアも、

俺と同じ気持ちを抱いてくれているのではないかと。


……このまま、

口付けをしたら。


彼女は、

嫌がるだろうか。


そんな邪な感情を振り払うように、

俺は一度ミスティリアをソファへ座らせ、

紅茶の準備を始めた。


少しでも、

気持ちを落ち着かせたかったのだ。


そして紅茶を淹れ終え、

彼女の元へ戻った時だった。


「……ミスティリア?」


……眠っている。


ほんの少し目を離した間に、

彼女はソファで眠ってしまっていた。


……連れ回してしまったから、

疲れていたのだろう。


彼女の寝顔を見るのは、

これで二度目だ。


静かな寝息。


長い睫毛。


月光を溶かしたような銀髪。


……見ているだけで、

このまま眠らせてやりたくなる。


だが、

ソファで寝かせるわけにもいかない。


……悩んだ末、

苦肉の策として、

俺のベッドへ運ぶことにした。


そっと抱き上げる。


……軽い。


驚くほど簡単に抱き上がってしまうその身体に、

胸が苦しくなった。


姫抱きで移動させれば、

さすがに起きるかと思ったが、

ミスティリアは意外にも深く眠っているようだった。


「……おやすみ、

ミスティリア」


そう呟き、

彼女へ毛布をかける。


そして俺は、

ソファで寝るため部屋を離れようとした。


その時だった。


きゅっ――


手を掴まれる。


「……いかないで……」


……寝言なのか。


夢と勘違いしているのか。


分からない。


だが、

もし彼女が目を覚ました時、

俺がソファで寝ていたら。


……きっと、

罪悪感を抱かせてしまう。


そう自分へ言い聞かせ、

俺は静かに彼女の隣へ横になった。


……近い。


月光に照らされる銀髪。


淡い色の唇。


触れたい。


口付けたい。


本気で葛藤していた、

その時だった。


……ミスティリアが、

身動ぎした。


そして、

あろうことか。


眠ったまま、

俺へ擦り寄ってきたのだ。


「…………」


柔らかな体温。


甘い香り。


……理性が危うい。


「……襲われても、

文句言えないぞ」


そう小さく呟いた言葉は、

誰へ届くこともなく、

夜へ静かに溶けていった。

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