プロポーズ
オフィス街の一角の小さな弁護士事務所。
小さいながらも評判の良いこの事務所には絶えず依頼客がやって来る。
「ありがとうございます。これで安心できます。」
心から安堵した表情の初老の男性が、深々と頭を下げた。
「勿体ない言葉ありがとうございます。また何かありましたら連絡して下さい。」
那津は人の良い笑みを浮かべて、丁寧に話す。他愛のない世間話をしながら、依頼人を出口まで見送った。
最後までぺこぺこと頭を下げてお礼を言っていた人の良い老人の姿が見えなくなるまで、那津は笑顔を崩さなかった。
依頼人の姿が見えなくなった事を再度確認して、那津は、ふうと一息ついた。
笑顔から疲れた表情へと変わる。
「さて。昼ごはん食べるか……。」
大きく体を伸ばして、空を見上げた。
今日は天気が良い。
まだ風は冷たいが、日差しはあたたかい。
ーー今日は弁当ないし、外で食べるか。
那津は座席に戻り、財布を手に取った。
「あれ、濱咲が弁当じゃないのって珍しいな。」
事務所を出ようとした時、那津は吉塚に声をかけられた。
「作り損ねた。」
那津はバツが悪そうに頭をかきながらそう答えた。
「え。愛妻弁当じゃなかったのか。」
「俺の奥様は料理できないから。」
那津が持ってきていた弁当を、花乃が作ったものだと勘違いしていた吉塚は目を丸くした。
しかし、花乃はその見た目からは考えられないほどの料理下手。那津が懇願して料理を担当をもぎ取ったのだ。
まあ、最近はカレーが作れるようになったのが嬉しいらしく、週に一回花乃がカレーを作るのだが。
ーーさすがにカレー、飽きてきたんだよな。
だが楽しそうな花乃に「カレー飽きた」とは言えず、毎回「美味しい」と言ってしまうのだ。
「ふうん……。」
吉塚はにやにやと楽しそうにしている。
その視線に、那津は口をへの字に曲げた。
「なんだよ。」
「いや。やっぱり意外だったな、と思って。」
「何がだよ。」
「結婚のこと。」
「ああ。」
事務所の人ほとんどからそう言われた。
とっつきにくいイケメン、仕事は出来るがプライベートは不明。
そんなイメージらしく、結婚報告するとみんな口を揃えて「え。濱咲くんが?」と言われたものだ。
言われすぎて、もう何も思わない。
「濱咲の奥さんがあんな感じの人とはなあ。なんて言うか、しっかりものってイメージだな。濱咲はふんわり天然系がタイプだと思ってた。」
「それ、奥さんにも言われた。」
「マジか。」
ふと、葉月を見送った日のことを思い出した。
葉月を見送った後、コーヒー店での花乃の様子はとてもおかしかった。とても辛そうなのに、我慢して明るく振る舞っているのが手に取るようにわかった。
ーーあれで自然に振る舞えてるつもりなんだから、笑っちまうよな。
あの後、花乃はそれはもう絵に描いたようような不自然な態度を取っていた。そんな花乃を思い出すと、とてもしっかりものとは言えない。
「ああ見えてもうちの奥様は天然だぞ。しっかりしてるけどどこか抜けてるんだよ。」
だから目が離せないのだ。
昔から葉月ともそんな話をしていた。
花乃の話をする葉月はとても楽しそうで、愛おしそうで、羨ましかった。
「はいはい惚気ですか。」
吉塚は呆れたように肩をすくめた。
そして、財布を手に、那津の後ろをついて行く。
ちらちらと横目で那津の様子を伺い、口を開きかけては、閉じて。
それを繰り返していた。
那津はため息をついて吉塚の肩を叩いた。
「で。そんな結婚の先輩の俺に相談があるんだろ。」
「結婚の先輩」という部分を強調してニヤニヤと不敵な笑みを浮かべる。
吉塚は目をぱちぱちと瞬かせた。そんな吉塚を那津は面白そうに眺める。
「はは。そうなんだよ。」
吉塚は俯いて、力なく笑った。
「あのさ、濱咲ってどうやってプロポーズしたの。」
「……。」
那津は何も言えなかった。
少し考えて、悩んだ。
ーープロポーズ……した、だろうか。
世間一般の人が考えるようなロマンチックなプロポーズはしていない。
「いや実は俺、そろそろプロポーズしようと思っててさ。」
「長い付き合いなんだったよな。」
「そうそう。俺が学生の頃、司法試験の勉強してた時からだからもう10年目……かな。」
吉塚は大学生の頃、バイト先で出会った子と付き合い始めた。吉塚が司法試験の勉強をしていた時も、その彼女に支えられて頑張ってこれたのだと惚気られたことがある。
「長いな。」
「幼馴染みよりは短いぞ。」
確かに、と那津は思った。
那津と花乃は3歳の時幼稚園で出会った。家も近かったので、親同士もすぐに仲良くなり、それからずっと一緒にいる。
「そっか……。俺25年の付き合いになるのか。」
改めて考えると、那津自身も驚くほど長い付き合いだった。
「めちゃくちゃ長いじゃん。」
「本当だな。」
「そんな相手にプロポーズって逆に困らないか?」
吉塚は真剣な眼差しで尋ねた。
「困ったよ……。」
何度も何度も夢を見る。
ーー花乃はどうなのだろうか。
あの日、ひどく酔っていた花乃に、付け入るように結婚してしまったことに、罪悪感がないわけではなかった。
けれど、花乃の結婚相手が、自分の知らない男なのは、どうしても許せなかった。
だからこそお酒の力と、那津が持つ法律の知識を活かして花乃と結婚した。
「でも他の人と結婚される前にしなきゃ、て思ったし。当時の奥さん、婚活中だったからさ。」
思いつきで提案したはずなのに、那津は何一つ後悔していない。おかげで花乃は婚活せずに自分のそばにいてくれるのだから。
ーーだからこの結婚を、花乃もよかったと思えるようになってほしい。
たとえ、契約上の仮初の旦那だとしても、妻である花乃を幸せにしたい。
那津はそう思っていた。
「え……。てか交際0日婚て、マジだったの?」
吉塚はぽかんと口を開けて驚いていた。
「それはマジ。彼氏彼女の時期なかった。」
むしろ今がそれかもしれない。
「そっか……。まあ幼馴染みなんだもんな。むしろ普通のカップルより相手のことをわかってるんだもんな。」
「……まあ、そうかもな。」
確かに、今更花乃以上に那津のことをわかってくれる女性を見つけられるとは思えない。
仮に、那津が花乃以外の人と結婚しても、奥さんより花乃のほうが色々と話しやすいと感じてしまう気がする。那津は、自分が感じている以上に、花乃の存在が大きいことに気が付いた。
「で。何て言ったの。」
吉塚は那津の顔を覗き込むように問いかけた。
ーー何て言った……け?
「俺と結婚しちまうか。」
確か最初に言ったプロポーズはこれだった気がする。
那津は頭を捻りながら答えた。
いかんせん、お酒の場の雰囲気で言ったのであまり覚えていない。まあ、花乃は記憶すら危ういのだから、これをプロポーズとしていいものか悩むところである。
「何だそれ。俺様だなあ。」
「お酒の勢いで言ったからな。奥さんもベロンベロンに酔ってたから、この事覚えてないんだよな。」
「それはプロポーズとは言わない。」
吉塚は真剣な顔で首を横に振った。
そこまで真面目に否定されると、少し悔しい気もするが、那津は何も言い返せなかった。
「それで?改めて言ったんだろ?それはどう言ったんだよ。」
「つべこべ言わずにここに印鑑押せ。」
「よくオッケーもらえたな!」
この言葉にも何も言い返せない。
朝一に花乃の部屋に押しかけたとまで言ったら、もっと軽蔑されそうだ。
那津は強がって笑顔を作った。
「契約内容の説明が丁寧だったんだろ。納得して印鑑押してくれたぞ。」
「事務的すぎないか?」
それはそうだ。
これは契約書上の結婚なのだから。
吉塚は首を傾げてうんうんと唸っている。
「俺の想像してたプロポーズと違う。」
那津は少し申し訳ない思いをした。
きっと吉塚の参考にはならないだろう。
「ま。とにかく思い立ったが吉日。さっさと言ってしまえ。」
那津はそう言って、吉塚の肩を叩いた。
那津にとって、花乃との結婚は本当によかったと思っている。
長い間片想いをしていた葉月に振られたのに、那津の心は落ち込むどころか、晴れ晴れとしていた。
それはきっと花乃が背中を押してくれて、そしてそばにいてくれたからだ。
ーーむしろ、今は花乃の様子の方が気になる。
那津の次の恋を応援する、と無理して笑顔を作って言っていた花乃の様子から、何か変な事に巻き込まれたんだろうな、とは想像がついた。
ふと、那津は吉塚の方を見た。
吉塚は今もまだ唸っていて、プロポーズには当分時間がかかりそうである。
そんな吉塚の様子を見て、那津はため息をついた。
そして、ぽつりと零した。
「じゃないとこっちまでとばっちり食うんだよ。」




