第十九話 スルーノが何かするの?
――フセイン・スルーノの護衛を務める男は、元々名のある冒険者であった。
ある帝国貴族から直接受けた依頼の失敗により、法外な借金を背負わされるまでは、帝国国内各地を飛び回り、精力的な活動をしていた冒険者であった。
だが借金を返済するため、悪徳貴族の護衛として雇われる羽目になり……流れに流れて、辺境貴族の中でも木っ端の法服貴族、フセイン・スルーノの下まで辿り着いた。
多少後ろ暗い仕事でも、借金から解放される為なら何でもやった。
犯罪スレスレの交渉で、スルーノが望む女を宛てがうこともあった。
今回の、クリスを連れてこいというスルーノの要求も、いつものことだと考え、二つ返事で了承するつもりだった。
だが――その瞬間、男の背筋に怖気が走った。
理由は分からないが、何故か本能的に理解できた。
あの女だ。
痴女じみた格好をした女を捕まえると意識した瞬間――何かが、決定的に変わった。
借金で首が回らなくなった時も、悪徳貴族の使い捨てのコマ同然の仕事をする羽目になった時も、犯罪スレスレの悪事に手を染めた時も。
ここまで――足元からボロボロ崩れ落ちて、闇の中へとズルズル滑り落ちるような悍ましい感覚に襲われることは無かった。
あの女、クリスとの敵対を意識した瞬間に、それほどの恐怖に見舞われたのだ。
本当に敵対して――果たして、自分は生きて帰れるのだろうか?
そう考えた末に、男はスルーノの要求を拒否するに至ったのである。
腹圧トレーニングが終了し、ようやく僅かな休憩時間が与えられるカノン。
「……ったく、冗談でも聞いたことねェよ、こんな厳しい訓練」
ぼやくカノンを、クリスは鼻で笑う。
「ふ、この程度で音を上げるなんてまだまだですわね。
今やっているような訓練なんて、まだまだひ弱だった昔のわたくしでもやっていた内容ですわ。
つべこべ言わず、まずはこれぐらい耐え抜いてみせなさいな」
「こんぐれェ、ガキでも出来る、ってか?
ふざけんな、テメェがひ弱だったなんて誰が信じるかよ……!」
クリスの言葉を信じずに、カノンは文句を繰り返す。
ただ、訓練から逃げ出す様子は無く、あくまで悪態は口先だけであり、クリスの課す訓練とはしっかり向かい合うつもりであった。
そんな二人のところへ――ある男が近寄って来る。
「おい、そこの破廉恥な女よ」
それは貴族らしい高価そうで派手な服に見を包んだ、肥満体型でかぎ鼻の、どこか嘘吐きっぽい顔立ちの男――その名もフセイン・スルーノであった。
「この私が、お前を情婦として買ってやろう、光栄におも――」
「邪魔」
スルーノが最後まで言い切る前に、顔面へと裏拳を叩き込むクリス。
途端、スルーノは十メートル以上後方へと吹き飛び――ドガァンッ、と近隣の建物に追突する。
「あ、あがが……にゃんでぇ……?」
自分が殴られた、という事実が理解出来ず、間抜け面を晒すスルーノ。
「すっ、スルーノ様ァ!?」
呆気にとられていた護衛の男が、慌ててスルーノの方へと駆け寄る。
「ご、護衛よ!
わ、私の自慢の鼻は曲がっておらんかね!?」
「いつもどおりでございます!
ともかく、今は帰りましょう、私がお抱えしますので!」
いつも以上にかぎ鼻が曲がってしまったスルーノは、護衛の男に抱えられ、この場を退散することとなった。
この様子を、横目で見ていたカノンは、クリスに一言尋ねる。
「いいのかよ?」
「何がですの?」
「ありゃあ、見るからに貴族だぜ、しかも相当に厄介なタイプと見た。
喧嘩を売るには、旨味もなけりゃあ容易い相手でもねェ」
「フフ、人の心配をする暇があるのでしたら、そろそろ訓練を再開しましょうか」
「うげっ!」
結局、この日はスルーノが何か報復を仕掛けてくることもなく……ただカノンがクリスに虐められるだけの訓練が続くのであった。
だが、様子が変わったのは翌日からである。
☆一口メモ☆
フセイン・スルーノは、仕事で不正を働いたことが一度もない。




