戦国時代でも出来る火縄銃改造案
幕末から明治初頭にかけて欧米から輸入された高価かつ多種多様な銃器と操作、手順を統一、再利用する為旧式の火縄銃の改造が行われた。
前装式は立って装填せねばならなかった為的になるとして用兵者から嫌われ、後装式に。
紙だと湿気るからと金属薬莢式への改造が主流だった。
有効射程が滑腔式の50mから900mに延びたライフリングも施されたのは言うまでもない。
後装式化の為銃尾上部が蝶番式に開き装填、排莢が容易に行う事が出来るスナイドル銃に改造された物や、スナイドル式より命中精度が高い村田式ボルトアクション機構を組み込んだ火縄銃等が存在する。
スナイドルの蝶番式は使う内に蝶番を留めるピンがガタつく欠点があったが、前装式を後装式にする手間と暴発が少なかった。
スナイドルの発射速度は毎分10発と火縄銃の同2発(早合使用時3~4発)より早く、世界初のボルトアクションライフルであるドライゼ銃の10~12発と同程度で、戊辰戦争の局地戦である会津戦争に於いて僅か10丁のスナイドル銃を装備した新政府軍が前装滑腔式のゲベール銃を装備した白虎隊を撃退している。
蝶番は室町時代中期には存在しているのでスナイドルモドキは造れるが金属製薬莢が必要。
ドライゼ銃は撃針が折れやすく、ガス漏れも酷かった。
ドライゼより後に開発され、ボルトアクション機構の一部をゴムで覆ってガス漏れを防いだシャスポー銃は射程も命中精度もドライゼ銃より上だったが運用した日本軍はゴムの焼損、品質管理、補給に問題を抱えていた。
史実通りだが上記の欠点を無くし、ボルトアクション機構内部のコイルばねが明治前半(文中区分では前後の二区分では無く初期、前期、中期 後期、末期の5段階区分)まで作れなかったので江戸時代から技術的蓄積がある板ばね⋯⋯火縄銃のばねから発展したピンセットのような松葉ばねを用いた初期の村田銃モドキが改造の限界だろう。
コイルばねの採用は明治二十二年式村田連発銃からである。
雷管を叩く雷汞は白粉と弾薬の項で述べた通り硝石を硝酸として白粉から回収した水銀と混合すれば造れるので良いとして、問題は鉛の銃身内への固着と金属薬莢である。
ネジを切る技術はあったがライフリングや清掃の手間を考えると銃身内部の凹凸が緩やかなポリゴナルライフリング一択で、四斤山砲や有坂銃等に採用されている。
初期の金属製薬莢は底部が真鍮で側面が紙だったが、水圧プレス機の進歩により1847年の仏でリムファイア式の金属薬莢が開発されたものの暴発しやすく紙の方が安いのですぐに普及しなかった。
ヒマラヤ以東のモンスーン気候では紙性薬莢は使い物にならないので金属化は急務だが、出来なくても後装式化すればプロイセンに300年先んじて被弾率減少と発射速度3倍は果たせるし湿気に弱いのは敵も同じ。
織田信長は馬防柵と三段撃ちにより武田軍の突撃を粉砕したが、火縄銃を紙製薬莢を用いる村田銃モドキに改造すれば信長や戦国最強の鉄砲傭兵集団の雑賀衆、火縄銃への着目が早い根来衆にも射程と発射速度と命中精度で勝てる。
シモヘイヘが裸眼でモシンナガンを用いてソ連兵を倒したのが300m以内なので工作精度を考えると有効射程はそれ以下だが、野戦に使う火縄銃の3~6倍である。
チート導入段階で火縄銃をちびちび調達している時でも鉄砲鍛冶が居て転生者のアイデアとボーリングの労力軽減の為の水車があれば試作は可能だろう。
設備投資と弾薬費で改造銃の配備が遅れるが、10丁あれば局地戦で勝てるし被弾率低下で銃兵の練度が維持しやすいのは利点である。
参考サイト
刀剣ワールド
https://www.touken-world.jp/(ドライゼ銃発射速度出典元)
wiki
エンフィールド銃、スナイドル銃、蝶番、村田銃、ドライゼ銃、シャスポー銃、普墺戦争、早合、ポリゴナルライフル




