機械化と共通化
日本は1934年度に以下の車両群を制定した。
九四式軽装甲車
全備重量3.45t、最大35HPガソリンエンジン(以下G)、最高時速40km/h、積載量0.75tのトレーラー牽引時30km/h。
九四式六輪自動貨車
運転重量3.5t、最大68PS(G)、積載時かつ舗装路上の最高時速60km/h、不整地40km/h。
九四式四屯牽引車
運転重量3.55t、最大91PS(G)、舗装路上で機動九〇式野砲牽引時48km/h、ウィンチの牽引上限2t。
これらの共通点は制式年度と運用者が陸軍である事を除き重量とガソリンエンジンである事位で、部品は共通化されていない。
熱河作戦の戦訓を受けて34年に編成された独立混成第一旅団が装備した。
同部隊は他に機動九〇式野砲や八九式中戦車も受領したが、同年8月に行われた演習の後に旅団麾下の第四大隊長の渋谷安秋大佐は日本戦車の父である原中佐に対し、
「旅団の九四式六輪自動貨車は毎時60km出る。
砲兵牽引車は最大48km/h出る。
それなのに旅団の中核の八九式中戦車は最大25km/hだ。
総合戦力として動けない、どうしたら良かろうか」
と嘆いている。
八九式中戦車は熱河作戦で低速さ故に取り残されたが、演習ではそれを再確認するだけではなく、
「主力の足が速いから捜索連隊が動いてる時、敵情が分からぬまま敵陣に詰めかけてしまう」
と機械化部隊特有の課題も明らかになった。
『自滅した陸海軍の愚策』で九四式六輪自動貨車と九四式軽装甲車のエンジン共通化が成っていればと嘆いたが、工作精度不良の問題はあったものの九四式四屯牽引車に既に最大91PSのエンジンが搭載されていた事を考えれば、エンジンを四屯牽引車の物に統一していれば旅団の補給整備の手間と教育期間は減った筈である。
エンジンが九二式六輪自動貨車(75PS、2t積み)より強力な為九四式(1.5t積み)のように積載量を落とす必要は無い。
37年に採用される日産80型トラック(86PS)や39年に制定されたDA40ディーゼルエンジン(85PS)等後継エンジンの出力は落ちるが、四屯牽引車より一段上の九二式五屯牽引車も九五式軽戦車の採用に伴いディーゼル化する時に98PSから90PSに低下しても牽引速度は18km/hから19km/hと殆ど変わらなかったので大した問題はない。
四屯牽引車の工作精度不良は後継の九八式四屯牽引車で改善されたが、日米の技術格差を考えればGMと提携すれば前倒し出来ただろう。
第一旅団と同時期に現地改造で誕生した貨車山砲(自動貨車に四一式山砲や九四式山砲を積載した物)は車体が九四式六輪自動貨車の場合、後ろのアオリ板を倒して荷台長を延長しなければ砲と人員を搭載出来ず据わりが悪かったが、その問題もエンジン出力と共に荷台長や積載量も増えた日産80型の登場を待たず解決する。
37年時より予算は乏しくても※1各種兵器の生産性の改善と共通化である程度カバー出来たのだが……。
※1……34年度の軍事費は約9億4千万円、日中戦争が勃発した37年度は32億9千万円。
34年度は弾頭以外互換性が無い対戦車砲と戦車砲の他九四式拳銃を制式化し、海軍でも長門型戦艦の改装、九四式水偵、艦爆、爆雷投射器の制定、大和型の設計が開始されている。
参考サイト
戦前日本の軍事費
https://www.teikokushoin.co.jp/statistics/history/detail/5/
参考PDF
『日本陸軍の機械化を巡る摩擦と競合:戦車開発の方針を中心に』




