衛生観念とお湯、石鹸の値段
ローマ帝国崩壊後、キリスト教的価値観の広まりと共に入浴文化が衰退した事は良く知られている。
無敵艦隊を撃破したエリザベス一世は月に一度の入浴で『綺麗好き』(!)と呼ばれた(日常的には固く絞った布で身体を拭く+香水を使う程度)
英国と同盟を結んでいたポルトガルから戦国時代の日本に石鹸が齎されたが、舶来物の常で高級品扱いであり、江戸時代には医薬品として用いられた。
漁に出て嵐に遭遇し、ロシアの船に拾われた大黒屋光太夫らは出産時の補助として潤滑剤に用いたり、下痢になった時加熱した石鹸水で浣腸を行う等用途を記している。
産業革命後に石炭の煤に塗れ、紡績業の発展に伴い生地の洗浄等石鹸の需要が機械油と共に拡大して捕鯨が推進されるようになるとペリー来航の一因にもなった。
欧州ではフランス革命時に仏だけで2千万人を超える人口に対し、アルカリ、ソーダ源を国内、海外産問わず海藻灰、木灰に依存する従来のやり方※1では到底賄えない為灰に代わるソーダ源として1791年にルブラン法、1861年にソルベイ法が開発され石鹸が安価になり、人の寿命が延びた。
日本では明治10年代に銭湯に石鹸が置かれ始め、煙を吐くSLが廃止されるまで駅の構内にも洗面台と共に石鹸が置かれていた。
品質が安定するのは塩水選が発表される前年の1890(明治23)年に花王石鹸が販売されてからである。
5kgの米が23銭、白米一升8銭90厘、大工の日当50銭の時代に1個12銭もした。
3個入りで蝋紙に包まれ、品質証明書や成分表と共に桐箱に収められたそれは35銭の価格で贈答用として好評を博している。
石鹸チートを行い高級品として販売する場合、価格のおおよその目安になるだろう。
花王が一貫生産システムを導入し日露戦争が終わった1910年時点で石鹸の価格は8~9銭に低下した。
当時米一升の価格は13銭、5kg55銭、大工の日当は1円10銭である。
日本の場合石鹸が普及したのはこの頃だった。
時計の針を戦国時代に戻すと、日本は産業革命期の欧州より人口は少ないが、馬車が発達せず河川の規模も小さい為陸運、水運共に貧弱で輸送費用がかかるので民衆に普及させるには内製を図り生産費用を下げるしかない。
薪も水も馬鹿にならない為名主や寺位しか湯船や蒸し風呂は無く、家の主人がお湯を沸かして客人を持て成すのが通例だった。
植物性油脂は椿や米油(江戸時代発見)から確保出来、獣脂は鯨か秋、冬の猪位であろう。
琉球からココヤシを輸入するか小笠原探索、開拓は資金的にキツイ。
舞台が地中海沿岸の欧州ベースなら熟したオリーブが必要かつ熱に弱いので5月以前に良質なオリーブが手に入らず、夏季に操業停止する欠点はあるがオリーブと海藻灰からマルセイユ石鹸に相当する代物を造れるが史実ではルイ14世が規格を定めるだけあって富裕層向けだった。
北海やバルト海地域は植物油が乏しく、自生する亜麻仁油は酸化、変質しやすく熱にも弱い為石鹸には不向きで、匂いのキツイ獣脂がメインだったので洗濯石鹸向けで、洗顔、手洗い石鹸はマルセイユ石鹸頼みだった。
中東地域ならナツメヤシが生えているので油脂に問題は無く、マルセイユ石鹸の源流となったアレッポの石鹸も存在する。
人の寿命を延ばすにはソルベイ法と併せて石炭の他、油脂作物栽培とアンモニア、動物性油脂源として鯨、鮫、鱈、ラード、ヘット等が必要。
ソルベイ法を導入する場合石灰石とコークスを燃焼させるが石灰石は牡蠣殻、真珠母貝のアコヤ貝の殻でも代替出来る為瀝青炭が採れ貝の養殖も可能な九州や中国地方が適している。
上手く行けばオリーブやレモンも輸入、栽培出来る。
史実以前に工業化する場合、竹が生育する地域なら軸受の開発必須だがベルトコンベアを設けるのは容易である。
竹が生えていない北海道では調達費用で生産ライン構築や垂下式養殖も金がかかりホタテ養殖の効率が低い事もあってやらない方が良い。
金利も現代より高いので確実に破産、自殺する。
※1……海藻灰、木灰、砂漠地帯で採れる炭酸ナトリウムは肥料やガラス原料としても用いられた。
参考文献
マンガで読むロングセラー商品誕生物語
参考サイト
石鹸百科
https://www.live-science.com/honkan/soap/soapchemistry05.html
化学界のイノベーションが衛生問題を解決|「石鹸の始まり」の歴史
https://www.shisaku.com/blog/anatomy/post-62.html
値段史
https://coin-walk.site/J077.htm
wiki
石鹸




