⑤そして人魚姫のごとく
放課後、美雨は言われた通り誠司朗のアパートを訪れた。
部屋に人のいる気配を感じた美雨は誠司朗だと疑うことなくノックした。
ドアが開き、中から人が現れるとそれは誠司朗ではなかった。
美雨の知らない女性。
美雨は胸の奥がざわついた。
「あなたが美雨ちゃん?」
彼女は眩しい程の笑顔で美雨を出迎え、部屋の中に招き入れた。
「私は恵理。誠司朗くんの、んー、友達なの。よろしくね」
彼女の「友達」という言い方に違和感を覚えたが、美雨は黙ったまま頷いた。
「誠司朗くんが帰ってくるまで、一緒に待っててって言われたんだけど。ただ待ってるだけじゃつまらないし、お腹もすいてきたから、一緒にご飯作ってようか?」
他にすることもないため、美雨は彼女に言われるまま夕飯作りを手伝った。
恵理は優しかった。
料理などしたことのない美雨に、切り方やお鍋の中身の回し方まで丁寧に分かりやすく教える。
出来ないことではなく、出来たことを次々と褒め美雨に自信を持たせた。
料理をしながら取り留めのない話しをするうち、美雨は恵理の大らかで明るい性格に、次第に打ち解け始めた。
夕食が出来あがった頃、誠司朗が帰ってきた。
「いい匂いが外までしてたよ」
そう告げる誠司朗に恵理はどこか嬉しそうに笑う。
微笑み合う二人の笑顔がいっそう胸をざわつかせ、美雨は思わず視線を外した。
食卓に並べられた料理はどれも美味しかった。
恵理が美雨も手伝ったのだというと、誠司朗は美雨をほめた。
だがどうしてか美雨の心は嬉しいと思えなかった。
胸のざわつきが、美雨に何かを訴えようとしている。不快な叫びに追い立てられ、今すぐにでも二人の前から逃げ出してしまいそうになるのをじっとこらえていた。
「美雨、大事な話があるんだ」
並べられた料理が半分ほど減った頃、誠司朗は真剣な顔を美雨に向けた。
「ケ、コン、するの?」
美雨はずっと感じていた予感を言葉にした。
誠司朗は美雨の震える声に気づかないふりをして頷いた。
「俺たち、もうすぐ結婚する」
その言葉に殴られ、美雨の思考がとろりと溶けだした。
「い、つ?」
「まだ決まってないが、そう遠くはない」
「そう、なんだ」
美雨は自分が今ちゃんと笑えているのか分からなかった。
王子に姫と結婚すると言われた人魚姫はいったいどうしたのだったか。
小さな心臓が縛りあげられるように痛み、その苦しさにスカートの裾をぎゅっと握りしめていた。
それからのことを美雨はあまり覚えていない。
気づけば恵理はいなくなっており、誠司朗と二人、美雨は向かいあって座っていた。
「なあ、美雨」
美雨はぴくりと肩を震わせた。誠司朗の視線は感じるものの、だが俯いたまま顔をあげはしない。
誠司朗は美雨が顔をあげるのを待っているようだった。
それでもじっと美雨は動かない。
どれだけそうしていたのか、沈黙を破ったのは誠司朗だった。
静かに、唐突に、穏やかな低い声が美雨の耳に届く。
「俺たち、家族にならないか?」
想像もしていなかった言葉に、思わず美雨は顔をあげた。
やっと自分を見た美雨に、誠司朗は安堵した笑みをこぼした。
「親子になろう?」
「オヤ、コ?」
誠司朗は頷く。
「俺が美雨の一番の親友になる。美雨が苦しい時、悲しい時、傍にいる。いつだって美雨の味方になりたい」
そして誠司朗は深く息を吐くとゆっくりと言葉を紡いだ。
「ずっと一緒に居られる。その代わり、俺は美雨の王子にはなれない」
美雨は誠司朗がなぜ人魚姫のことを自分に問うたのか、その理由が分かった気がした。
誠司朗の子供になる。
それは生涯、誠司朗への想いを告げられないということ。
それは人魚姫が味わった剣の刃にさし通されるような痛み。親子として歩むなら、それは日毎に美雨を苛むだろう。
それでも幸せかと誠司朗は問うていたのだろうか。
「美雨はどうしたい?」
美雨の心は変わりはしない。
美雨は人魚姫の心のままに告げた。
「セージロ、あなたはニッカポッカの王子様。私はあなたの傍にいられるのなら、話せなくても血を流すように痛んでも、幸せなのです」