持ち物 9 抗う心
「それにしても……」
音菜は段ボールの片づけを手伝いながら問いかけた。
「どうして、委員長は乙乎くんを目のかたきにするんだろ?」
「うーん……?」
乙乎は粘着テープの輪を腕にはめて、そのままその腕を組んだ。
「なにか思い当たるところでもあるー? うらまれるよーなこととかー」
乙乎ははさみを鼻と口のあいだにはさんで、しばらく首をひねった。
授業中、乙乎にはわからないところがあると、ついついそんな仕草をするくせがある。
そしてそのときの表情がヘンテコなので、あとでクラスメイトにからかわれるのだ。
「いや。まったくわからん」
「そっかー」
「ああ。いくら1学期の大掃除のときに水拭き用のバケツをうっかり机の陰のよく見えないところに置いてしまったばっかりにつまづかせて頭からダイブさせたからって…」
「だよな」
「ああ。ちゃんとあやまったもんな。『わりー☆やっちまったZE!』ってな」
「だよな。わかんね」
音菜はもう一回「そっかー」と言った。
ただしちょっとどもった。
9月25日 木曜日 3時限目 体育
きょうは、運動会の予行演習。その1日目になる。
あしたも同じ感じだが、この時間と、つぎの4時限目が体育に割り当てられて、全校児童で合同練習をするのだ。
予行演習はおもに入場行進や準備運動、競技ごとの集合や解散といったおおまかな流れの練習になる。
つまり、どちらかというとただ歩いて、並んで、待つ、といった行動が主体だ。
それだけなら退屈なものだろうと思われるだろうが、乙乎にとってはそんなことはなかった。
というのも、乙乎は体操服を着て運動場に出ているだけで幸せになるタイプの人間なので、なんら問題はないどころか我々の業界ではご褒美だった。
「な、友親?」
「そこはいっしょにすんなよ」
近ごろは天気もそれなりにいいしほどよく涼しいし。
(もう、この時間が永遠に続けばいいのに…)
とか恋する乙女みたいなフレーズを考え出す始末だった。
とまあ、そんな具合に、乙乎はついつい練習を夢中になって楽しんでいた。
が、ふと我に返った。
ミカドが視界のすみにちょっとはいったのだ。
ちょっと、というのは、ミカドはいま体育委員会にはいっていて、運動会自体の進行をになう役回りがあるのでなかなかこっちに来られないため。
ついでにいえば、全体の整列のときも五十音順で並ぶので、「いちのみや」よりも「こくおう」のほうがあとになるから、乙乎の後ろになってやっぱり見えないのだ。
「くっ……!」
乙乎は歯噛みした。
――これも罠だったんだ!
きのう、水曜日にミカドの策を察したのはいいが、そのスケールがとてつもないものだと同時にわかってしまった。
やっぱりその衝撃は大きい。
≪傭兵を雇う!≫
ちょっとどころじゃあなく規格外だ。
今朝の会議も、対策を練るどころか、ことの重大さを再認識しただけにとどまっている。
そこにきて息もつかせず、きょうから2日間の予行演習。
どうしても、そっちに集中してしまう。
しかもその翌日は運動会本番。
乙乎は、遠足の次くらいには運動会も大好きだ。
だから、セミオートで身体と心が反応してしまうのだ。
つまりこれは、乙乎が作戦を練るためのいわゆるリソース、日数や気力なんかを削ぐために、時間配分から計算されていたんだ! やばい!
現に、乙乎は遠足態勢にはいっていながら、その飛びぬけた集中力はなりをひそめていた。
実際によさげなアイディアが浮かんでいない以上、言い訳は出来ない。
「いったいどうすればいいん体育楽しいなぁー運動会サイコー!」
――じゃ、なくて!
気をぬくと心に絡みつく呪縛をふりはらって、ともあれ、ミカドを観察する。
練習自体はかなりスムーズに進んでいる。
とくにうちのクラスは一糸乱れぬ団体行動といってもいい。
確証はないが、これもまずミカドのリーダーシップによるものと見てまちがいないだろう。
「んむむ……」
……乙乎は予想する。
ミカドが遠足の当日、どういう行動に出るのか。
ミカドは傭兵を指揮して、自分たちの補佐をさせるのと同時に、こっちの妨害もさせるだろう。
どうやって?
まず、補佐。きょうの整列や足踏みなどの様子を見るに、団体行動がとてもうまくいっている。
その応用として、たとえば隊列みたいなものを組んでくるかもしれない。
ミカドたちを囲むように配置すれば、向かい風を防ぐ壁として。
傭兵といってもほかのチームなので、荷物を持たせることは出来ないけど、リュックサックのスライドファスナーをあけてもらうくらいなら可能だ。
ミカドのチームがどんな装備をしてくるかがわからない以上、たったそれだけでも重要な一手になることもある。
そして横に並べればもっと単純に、乙乎の進路をはばむことが出来るだろう。
乙乎のチームがつねに先行する展開になるならその心配はないが、不安材料はいっぱいある。
それに関しては、次にもうちょっとくわしく考えてみよう。
で、妨害について。
これも、おおきくわけて2通りのやりかたがあると思われる。
ひとつはさっきの、横一列の人の壁作戦。
あれは補佐と妨害の両方を兼ねる。
もうひとつは、それよりさらに単純。
傭兵は、こちらのチームを直接に捕獲してくる。
と、誤解してはいけないのだが、遠足ではケンカや暴力はもちろん、うっかりの事故とかで、人にケガをさせるのはダメ。当然だけど。
だから、ケガになりそうな行為、たとえば無理矢理つかみかかったり押さえつけたりもダメ、ということになる。
じゃあ、どうするのか?
遠足でケガをさせずに相手の自由を奪う。
方法はひとつ。
傭兵たちは、当たり前だが、ロボットではなく意思を持つ人間。
ましてやクラスメイトだ。
そのクラスメイトはみな、すでに各人の遠足のチームを組んでいる。
ならば。
≪傭兵はチームのテーマにそって『勧誘』してくる!≫
これはもう、相当やっかいだ。
さっきの横壁作戦のときもそうだったが、乙乎たちとしては、相手を振り切って先にゴールに着けさえすればなにも問題はない。
だが、それが100%実現可能かとなると、約束は出来ない。
正直、乙乎は足に自信がある。
あるが、すべての徒競走で優勝出来るというわけではない。
いちおう、短距離走はクラスで1・2を争う。勝ったり負けたりで、やや勝ち越してはいる。
長距離の持久走、マラソン大会はクラスでも学年でも3番目くらい。最後のスパートで友親にぬかれたこともある。
まあ、自慢じゃないが去年までの運動会では、障害物競走とパン食い競争はぶっちぎりでトップだったけど。
と、いくら自信はあっても、誰よりも速いほどではないし、友親と音菜はもっとそれについて来れるとは限らない。
よしんば先行していても、ちょっと捕まったらそこでアウトだ。
どうしよう?
それにしても全体練習面白いなぁー整理体操大好き!
「ってところまでしか考えつかなかった……! くっ!」
「かなり上出来だとは思うけど、そうか……! くっ!」
「こまったねー……くっ!」
小石をたっぷり拾ったあと手足を外で洗いながら、乙乎はチームの二人に報告した。
9月25日 木曜日 給食
メニューは、みんな大好きカレーライス。と、バナナと牛乳。
「んむむむ……」
うなり声に反応して、音菜が乙乎の席をのぞきこんできた。
ふだんの乙乎なら「きょうはカレーだイエェェアァァしかもデザートにバナナまであるぜフゥーッ!」とさんざん踊り回って音菜あたりに首根っこつかまれるまでがワンセットとしてクラスの風物詩となっているが、今回はちょっとわけがちがう。
なにしろバナナがついてるのだ。
それで、乙乎はこれもまたミカドの差し金かと身構えていた。
給食の献立を決めるのは市の教育委員会ではあるが、介入することも不可能ではないかもしれない。
予行演習で疲れた身体にバナナが染み渡るなあー、とクラスメイトに思わせて、それを遠足への布石とする、とか。
つまり印象工作というやつか。
――いや……
考えすぎだ、と乙乎はひとりでかぶりを振った。
これ以上悩んでも、まともに打開策が作れそうにない。
なら、いまはとにかく栄養をとって、あしたに備えるべき、か……
そう、あきらめ半分に乙乎が沈みかけたとき。
「まあ実際疲れたぜー」
「そーだね。バナナもいーけど、ノドもかわくよねー」
そのなにげない雑談に。
乙乎は飛び上がった。
「それだ!」
乙乎はばっと音菜の両手をつかんだ。
「え!? え!? なに、乙乎くん? わたしまだ心の準備が」
そういうのではなかったので、乙乎はひょいと音菜の手を離した。
ドギマギする様子の音菜はさておき、乙乎の目には力強い輝きが戻った。
――これなら、傭兵に対抗出来る!
「友親!」
ばっと向き直って呼びかける。
まだいただきますをしていないためおあずけ状態の友親は、それまでお腹をおさえてうずくまっていたが、急に呼ばれたのでちょっくら正気にもどった。
「きょう、『大激闘スラッシュファイティングドーム』と『光秀の謀反』持ってお前ん家行っていいか?」
~ 次回予告 ~
うれしはずかし初恋の思い出はレモンせっけんの香り。
それはともかく、乙乎の対策はとてもあやういものだった。
運命の歯車は、ここで大きく回り始める。
捨てろ、乙乎。自らの甘さを!
超えろ、乙乎。己の弱さを!
次回、遠足大事典 -Ensoyclopedia-
持ち物10 血判状
――ちなみに、音菜の出番はない。