持ち物 8 此方を覗く深淵
9月25日 木曜日 06時55分
うっすらと空のくもった始業前。
児童用げた箱のある玄関口横に、にわとりの小屋がある。
5年生は、ローテーションでにわとりのエサやり当番と小屋のそうじ当番をやっていた。
だいこんの葉っぱとたんぽぽを檻に引っかけて、そのあと床をはいた音菜は、そのまま教室に向かう。
音菜は保健委員で、きょうは手洗い場のせっけんを取りかえる当番もあったのだ。
別に、そっちは休み時間や放課後にしてもよかったが、にわとりのほうは朝でないといけないので、どうせならいっしょに済ませてしまおうという予定だった。
ランドセルを自分の机に置いてから床に散らばる段ボールをまたいで、階段の踊り場へ。
せっけんを終わらせたら、家の庭から持って来た花をトイレに飾り、あまりを教室にある、先生の机の花瓶に差しかえようと思った。
「この時間の学校って、けっこう好きだなー」
早起きはちょっと眠いけど、まだ人のいない学校はとても静謐で、なんだかひとりじめしているようなぜいたくな気分になれる。
廊下の窓を少しあけて、空気のいれかえもしよう。
外は快晴、ってわけじゃないけど、このくらいの天気が一番落ち着く。
ふわふわの風が、接着剤のにおいと眠気を洗い流してくれるんだ。
さて、もう一回教室にはいって、残った花を生けてしまおう。
教卓に行く前に教壇があって、そこに立てかけた大きな段ボールが目かくしになっている。
顔を横にかたむけたら花瓶を見つけた。
やっぱり、花はしおれてきている。
新しいのを持って来て正解だった。
段ボールの切れ端もそうだけど、粘着テープやカッターナイフも床にそのまま置いてあってあぶない。
そーっと乗りこえる。
「ふうっ。これで、朝のお仕事終ーわりっと」
本棚の上のほこりもはらってからいったん手を洗い直し、ランドセルの中身も机に移したので、あとはもうすることがない。
校内がもうちょっとにぎやかになるまで、お散歩でもしてこようかな。
そうしたら、完全に目が覚めて、スイッチがはいるはずだから。
窓から校庭をながめる。
音菜の席からふたつ分、机がまるごと消えていたのでそこまで広々と歩けた。
途中、足元に乱雑に転がるふたつのランドセルを踏まないようにだけは気をつけた。
今回は校庭と、近くの田んぼをぐるっと一周しよう。
そこまで考えて、軽くくせのある髪をなびかせた音菜は、はたと足をとめた。
「…………」
接着剤のにおい?
立てかけた段ボール?
テープとカッターナイフ?
床に転がるランドセル?
教壇の脇を見ると、隣から消えた机がふたつ、そっちに置いてあった。
「……って、なにやってるの? ふたりとも」
乙乎と友親が、朝も早くからふたりでなんかやっていた。
「なにって、専用の窓口」
「音菜こそなにやってんだ? こんな朝早くからよー」
「いや、普通ににわとり当番だけどー」
「ああ、そういやあったな」
「働きモンだなー音菜は。ウチに嫁に来いよ」
「友親くんの余命がなにってー?」
「はい。乙女心をからかってすみませんでした。オレいまカッター持っててあぶないから、アイアンクローはやめていただけると助かります」
音菜はお散歩をあきらめた。
9月25日 木曜日 07時15分
きのう、クラスメイトを雇い入れるという、ミカドのとんでもない策略を知った乙乎たちは、その対策を練ることに追われていた。
段ボールを組み立てて門のようなものを作り、その中に1枚、丸く大きな穴をあけたものをはめこむ。
で、その穴にいそいそと顔を突っこむ乙乎と友親。
乙乎のほうにはあごの下にあたる部分に白くて長いひげのような絵が描かれている。
友親のほうは特になにもないが、穴自体が大きくくりぬかれていて、友親が朝から頭にかぶる紅白帽が見えていた。
ちなみにその紅白帽、つばの部分が真上にきて右が赤、左が白になるようにかぶられていた。
「おとこ博士と!」
「トモチカマンの!」
「なぜなに? 質問コーナー!」
窓口といったのは、つまりこれのことだった。
地元の放送局、T K G テレビでやってる大人気長寿番組、『ハミガキマン』にあるおまけコーナー『がむしろ博士とキシリト隊員のなぜなに☆質問ボックス』を真似たものだった。
つまりトモチカマンはすでに変身後だった。
「男子のノリって……」
音菜は朝から割とついていけなかったが、いけようがいけまいが話は進んだ。
トモチカマンが質問をし、おとこ博士がそれに答える。
一問一答式みたいだ。
「オレたちも、残ってるクラスメイトをなんとかバナナで雇えませんか?」
「ふむ、そうとう難しいのう」
おとこ博士は段ボールにチョークで描かれたあごひげをさすった。
指が白くなった。
以下に、そのあとのやりとりを記す。
記者・十日町 音菜。
――バナナはバナナでもただのバナナじゃあないバナナはバーナナ?
「バナナチップスです。つまり、ふつうのバナナよりも調理することで価値があがっています。
こちらがふつうのバナナを出したところで見向きもされません。調理しましょう」
――オレたちも、バナナチップスを作って対抗出来ないップスか?
「ムリです。遠足前に調理実習の機会はもうありません。
バナナチップスを作る練習すら出来ないし、仮にうまく作れたとしても、ミカドのあのバナナチップスのクォリティーを超えることはまずありえません。
あれはただのバナナではなくバナナチップスですが、さらにただのバナナチップスではなく、表面をキャラメリゼ(記者注・砂糖などを焦がしてカラメル状にしたもの)したシロップでコーティングしたもの、チョコレートでコーティングしてさらにアラザンなどの飾り砂糖をトッピングしたもの、ノーマルのバナナチップス、のすくなくとも3種類は確認されています。
これらの工夫されたバナナチップスはその価値がさらに高まっています。
ただのバナナの価値を1本あたり1Bとします。
するとただのバナナチップスはおよそ1本分あたり1.5Bから2B。
コーティングやトッピングなどで工夫されたものになると、その価値たるや5Bから6B、場合によっては10Bに届くかもしれません。
それはもはや、スーパーバナナチップス……」
――じゃあ、10Bを超える量のバナナチップスを用意出来ればあるいは……!?
「もっとムリです。金持ちのミカドとはちがって、わしらにはそこまでたくさん、さらにかける人数分のバナナを用意するだけのお小づかいはありません。
それに、山盛りのノーマルバナナチップスで、すでに1人前のスーパーバナナチップスを受け取った傭兵を寝返らせることは出来ません。
雇われる側の立場で考えます。スーパーバナナチップスはその完成度がハンパではなく、ひとつひとつがとてもおいしいばかりか種類も豊富で、たくさん食べても飽きの来ないものになっています。
夏休みのときにお祭りがありましたが、おそらくそのときのチョコバナナやわたあめなどからコーティングやトッピングのヒントを得たものでしょう。そのくらい前から計画されていたと思います。
なので、こっちが大量にノーマルバナナチップスを出したところで、途中で飽きるし食べきれないからいらないと断られるのがオチ。だいたい、かさばって持っていけないこと請け合いです」
――なら、しょうがない。おやつのトレードで味方につけようぜ?
「それはもっともっとムリです。おやつには300円までの金額制限があります。たいていの場合、みんなは300円ギリギリのところまでおやつを買うでしょうから、これ以上価値の高いおやつをねじこむすきまは、トレードであっても出来ないかと。
たとえあったとしても、雇われる側は『おやつあげるから手伝って』と言われても尻ごみするでしょう。というのも、おやつに金額設定があることで、直接的に金銭というものをイメージさせます。なけなしのお小づかいをやりくりしてお金の大切さを学んでいる5年生にとっては抵抗の大きいものです。
一方、手作りのスーパーバナナチップスにはそれがなく、むしろお手軽感のアピールに成功しています。つくづくいい手ですね。
また、『遠足のしおり』おやつの項にあった規定ですが、あれは実のところ『食玩』をもちいたトレードを禁止しているのです。食玩……お菓子のおまけにおもちゃがついているというかおもちゃのおまけにお菓子をくっつけたあれです。
規定では『外装以外の中身が金額にはいる』というふうにあります。つまり、食玩のおもちゃは『食べられないけどおやつの扱い』になります。たとえば、500円の食玩を買ったとして、中に245グラムのおもちゃと5グラムのお菓子がはいっているとします。おもちゃが外装扱いならトレードにおいては無料なのでまだ利用可能でしたが残念、今回はそのおもちゃだけで490円分になってしまう計算です。これでは予算オーバー、トレードに使えません。
ならばもっと安い食玩、たとえば『ビックラコイタマンスナック』とか『諸行無常ガム』とかのちいさいシールつきで50円くらいのお菓子はどうでしょうか。
質問が来る前に答えを言いますが、これはもっともっともっとムリッムリです。
こういったものをトレードに使うなら、なかなか出ないレアなキャラクターなんかのシールやカードが相場でしょうが、それを引き当てるためにわしらのお小づかいがいくらかかるかわかったものではなく、よしんばレアをゲットしたとしても傭兵にその需要があるとは限りません。
なにしろおもちゃと遠足とは直接関係がなく、しかも当然食べられないのでヘタをすると紙切れと同価値にしかなりません。そして、遠足におもちゃでの取引があった、なんてことを作文に書くわけにもいかないものですから」
――つ、つまり、オレたちは……みずからのバナナホルスターに縛られて、やつのバナナの牙につらぬかれるってこと、なのか……?
音菜の記述はここまでだった。
最後のしぼり出すような質問に、乙乎は答えなかった。
だが、全員の脳裏には共通の答えとイメージ映像が浮かんでいた。
バナナの爪と牙、それにおおきな角を持つ、ネクタイのよく似合う悪の大魔王が両手を振り上げ、彼ら3人の勇者を打ち砕く場面が――
(余談だが、友親の脳内でだけ音菜の衣装がほどよく破れてはだけていたので内心ガッツポーズを取ったがそれは即座に見破られて、彼の顔面にはこぶしがめりこんだ)
~ 次回予告 ~
苦境に立たされても、乙乎はあきらめない。
なぜなら今度、遠足があるから!
たとえ心を砕かれようと……
意志と闘志を挫かれようと……
魂はまだ、傷ひとつついちゃいない!
次回、遠足大事典 -Ensoyclopedia-
持ち物 9 抗う心
――努力と根性も、リュックサックにいれておこう。