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【三】 アルフレド (第一幕第十五話の後)

 シェルストレーム王国の王城内にあるバラの庭園を後にしたアルフレドは、自分の隣を歩く従兄であり専属護衛であるヴィクトルをそっと窺って微笑みを深くした。

 常に冷静沈着で、どちらかというと冷たい表情しか見せないヴィクトルの口角が、いつもよりも僅かに上がっているからだ。同じように、目尻もいつもより僅かに下がっている。それは、本当に極めて僅かな違いだが、常に共にいるアルフレドにとっては簡単に見分けられる変化だった。

 そして何より、ヴィクトルの纏っている雰囲気が常とは異なっている。波を持たない無関心さは鳴りを潜め、どこか愉しげで機嫌がいいことが見て取れた。


「驚いたよ、君が声を上げて笑っているのは久しぶりに見たから」

 アルフレドがヴィクトルに声を掛けると、ヴィクトルは意外そうな表情をした。

「そうでしたか? あまり驚いているようには見えませんでしたが」

「うーん、そっちじゃないんだけどね」

 アルフレドとしては『声を上げて笑っていた』ことの方に反応して欲しかったのだが、違うところに返答されて苦笑せざるをえない。

 もしかしたら、はぐらかすためにわざとそう返してきたのかなぁ。

 と苦笑の裏で思考を巡らせた。



 アルフレドが、ヴィクトルを含む数名の従者と共にシェルストレーム王国を十二年ぶりに訪れて早数日。会えぬままに耐え抜いた年月を埋めるように、アルフレドは時間を見つけては恋い焦がれるクリスティーネを訪ねていた。

 焦がれてはいるが、焦ってはいない。どれだけ時間をかけてでも、クリスティーネに自分のことを見てもらい、そして好きになってもらいたかったからだ。結婚の申し込みに対しては、一応承諾を貰っているので、時間はたっぷりと──それこそ死が二人を分かつまで──あるのだ。

 今日も時間ができたため、探索魔法でクリスティーネの居場所を突き止めて、転移魔法で跳んだ。着いたのは、満開にバラが咲き誇る城内の庭園。そしてクリスティーネと過ごす短い時間を満喫し、そろそろ戻らねばと思っていた矢先に、ヴィクトルがやってきたのだった。

 ヴィクトルがやってきたことは、魔法で周囲を感知していたからすぐに気が付いた。任務に対して忠実なヴィクトルのことだから、すぐに引き戻されるのだろうと思いつつ、少しでも長くとクリスティーネと語らっていたのだが……。ヴィクトルはクリスティーネの専属侍女(兼護衛)のアン=マリーと話し始め、そして声を上げて笑ったのだ。

 ヴィクトルが特定の他人、それも赤の他人である女性に対し、あのような反応を見せたことは、アルフレドの知る限り一度たりともない。親族や親しい者と話しているときですら、あまり表情や感情が動かないのだ。

 だからこそ、アルフレドは大いに驚いたのだった。



 アルフレドは再びヴィクトルの様子を窺った。しかしヴィクトルはアルフレドが先程言ったことなど気に止めた様子もなく、護衛という任務を全うすべく傍らを歩いている。

 もう一つ気になっていることがあったアルフレドは、ついでとばかりに尋ねてみることにした。

「ところで、ヴィクトル、なぜアン=マリー嬢のことを愛称で読んでいるの?」

 ヴィクトルが僅かに眉を寄せた、ヴィクトルなりの怪訝な顔で首を傾げる。

「アン……? マリーのことですか?」

 逆にヴィクトルに確認されて、アルフレドは苦笑しつつも頷くことで答えた。

 ヴィクトルは傾けた首を元に戻すと

「そうですか。なるほど、『マリー』がファースト・ネームではなかったのですね」

 とだけ言った。

「もしかして知らなかったの?」

「はい」

「紹介してもらったじゃない」

「一度に二十人近く紹介されても、全員は覚えられませんよ」

「確かにね」

 アルフレドはその場面を思い出してくすりと笑んだ。

 件の場面とは、謁見の間での挨拶の後のことだ。別室に移動した後、滞在中に世話になるであろう人々を紹介していただいたのだった。

 謁見の間にて紹介していただいた、ロイヤルファミリーとでも言うべき王様と王妃様、そして三人の王子とクリスティーネ姫。それだけなら覚えるのは容易いのだが、その後いくばくも経たない内に、侍女長やら料理長やら騎士団長といった肩書きを持つ者たちがぞろぞろと、計十数名、一列に並んで一気に自己紹介していったのだ。

 聡いことで有名なアルフレドでさえ、表情や態度には出さなかったものの、途中から覚えるのを放棄したくらいである。女性に対して興味や執着を見せたことのない従兄ヴィクトルは、初めから『覚えよう』という考えすら持たなかったのだろう。

 逆に言うと、ヴィクトルがアン=マリーの顔を覚え、名を呼び話しかけているということは、非常に珍しいということになる。

「でも、マリーのことは覚えたんだね」

 一体いつの間に覚えたのだろう。疑問に思いアルフレドが尋ねると、ヴィクトルは特に狼狽もせず、さも当たり前だとでも言うように答えた。

「マリーとはよく顔を合わせていますし、クリスティーネ様がそう呼ばれていましたので」

 なるほど、とアルフレドが頷く。確かにその回答に間違いはないだろう。しかし、それだけではないような気がするのだ。顔と名を覚えた理由にはなるが、それがヴィクトルが自分からアン=マリー嬢に話しかける理由にはなっていないから。

 アルフレドがヴィクトルの様子を窺うと、いつの間にかその顔が曇っていた。

「ですが、『マリー』が愛称なのであれば、そう呼ぶのは控えた方がいいのでしょうね。アン=マリー、アン=マリー、アン……」

 ヴィクトルが、口の中でアン=マリー嬢の名を呟き始める。そんなヴィクトルの姿を見るのも初めてで、アルフレドはつい微笑んでしまった。ヴィクトルはアルフレドの表情に気が付く様子もなく顎に手を当ててぶつぶつと何度も繰り返していたが、やがて小さく溜め息をついた。

「言い難いですね。『マリー』の方がしっくりきます」

 アルフレドは、もう本日何度目がわからなくなった苦笑を漏らした。

「もう『マリー』で呼び慣れてしまっているんだね。それなら、今更直さなくてもいいんじゃないかな。シェルストレーム王国はヴィカンデル王国とは文化が違うし、異性から愛称で呼ばれることに抵抗がないようだよ」

「そうですね。確かに文化や習慣が大きく異なるようですね。……()()で侯爵令嬢というのにも驚きましたし」

 顎に当てていた手を口に当て、ヴィクトルがくつくつと愉快そうに笑う。

 ヴィクトルがまた、声を出して笑ってる。

 普段のヴィクトルからは、想像もできないことだ。しかし当の本人はその事実に気が付いていないらしい。アルフレドはそんな貴重なヴィクトルの姿を眺めて目を細める。

 ヴィクトルは、自分で気付いているのかなぁ。アン=マリー嬢が絡むときだけ、表情が生まれてるということに。


 シェルストレーム王国に滞在して数日しか経っていないが、常にクリスティーネ姫の傍にいるため、アン=マリー侯爵令嬢と顔を合わせる機会も多い。顔を合わせる機会が多ければ、自然と人となりも知れてくる。

 アン=マリー嬢は、アルフレドが見たところ、非常に好感の持てる女性だった。控えめな態度でありながら凛とした佇まいも、ほとんど施されていないが清潔感のある化粧も、仕事の速さも、蓄えられた知識も、クリスティーネ姫に向けられるさり気ない気遣いも、賢さが垣間見える受け答えも。そして何より、彼女の淹れる紅茶の美味しさも。

 アン=マリー嬢の家が許すのならば、クリスティーネ姫とともにヴィカンデル王国へ連れて行きたいとすら思ってしまうほどに。


「僕は、アン=マリー嬢は素敵な女性だと思うよ。ただヴィクトルは、なんで『マリー』と呼ぶのか、もう少し考えた方がいいとも思う」

「……わかりました」

 アルフレドの言葉に短く同意したヴィクトルは、つい先程までの機嫌良さげな表情がどこかへ消え、普段の無表情へと戻っていた。

 アルフレドはそんなヴィクトルを盗み見て小さく嘆息する。

 確かに会えば言い争いが絶えない間柄とはいえ、アルフレドには、二人がどこか惹かれ合っているように見えていたから。

 ヴィクトルもアン=マリー嬢も、変な意地を張ってないで素直になればいいのに。


 何はともあれ、二人共もういい大人だ。今は様子を見るだけに留めよう、そうアルフレドは苦笑の裏で心に決めたのだった──

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