#5 未来を作った人々
翌日の放課後。
朝倉湊は、教室に残っていた。
窓の外では、文化祭に向けた準備が少しずつ進んでいる。廊下からは、展示に使うパネルを運ぶ生徒たちの声が聞こえてきた。
いつもなら、湊も悠真と一緒に帰っている時間だった。
けれど今日は、机の上に置かれた一台の端末から目を離せずにいた。
画面に表示されているのは、ORACLEから届いた通知。
『将来予測の安定性が低下しています』
その下には、以前と同じ文章が並んでいる。
『特定人物との接触頻度を調整することで、予測精度の改善が期待できます』
湊は小さく息を吐いた。
昨日、美月と話したときには、もう気にしないと決めたはずだった。
彼女と話すことが楽しい。
彼女と一緒に帰りたい。
それだけの気持ちを、誰かに決めてもらう必要なんてない。
そう思っていた。
それなのに。
「……やっぱり、気になるよな」
「何が?」
突然、背後から声がした。
振り返ると、久瀬悠真が立っていた。いつものように鞄を肩に掛けているが、今日はどこか落ち着かない表情をしている。
「まだ帰ってなかったのか」
「お前こそ」
「俺はちょっと調べたいことがあって」
悠真はそう言うと、湊の机に近づいた。
そして、画面に表示された通知を見て眉をひそめた。
「まだこんなの来てるのか」
「昨日よりは気にしてないつもりだけどな」
「気にしてない奴は、そんな顔で画面を睨まない」
「……うるさい」
悠真は小さく笑った。
しかし、すぐにその表情を引き締めた。
「湊。昨日、凛から預かったデータ。少しだけ中身が見られた」
その言葉に、湊の意識が切り替わる。
「何が入ってた?」
「古いORACLEの検証記録。全部じゃない。暗号化されてる部分も多いけど……ひとつ、気になる記録があった」
悠真は自分の端末を取り出した。
そこには、年代の古いデータが表示されていた。
現在のORACLEが一般向けに運用されるようになるよりも前。
七年前の記録だった。
「これ、ある生徒の予測履歴なんだけど」
画面には、ひとりの生徒の記録が表示されていた。
『将来適性評価:創作・芸術分野 低』
『推奨進路:情報処理・技術系』
『本人希望:イラストレーター』
『進路選択結果:情報系専門課程』
湊は画面を見つめた。
「……希望してた進路と、実際に選んだ進路が違うな」
「ああ。ここまでは珍しくない。問題は、その次だ」
悠真が画面をスクロールする。
『進路選択後の適性再評価』
『創作・芸術分野に対する活動実績:減少』
『予測との一致度:上昇』
湊は眉を寄せた。
「待てよ。最初に芸術の適性が低いって判断したから、その生徒は別の進路を選んだんだろ?」
「そういうことだと思う」
「それで、芸術に関わる機会が減った。だから、実績も減った……」
「そしてORACLEは、それを見て『最初の予測は正しかった』と判断した」
教室が、急に静かになった気がした。
窓の外では、運動部の生徒たちがグラウンドを走っている。
誰もが、自分の未来を自分で選んでいるように見えた。
けれど、その選択の始まりに、もし誰かの予測があったとしたら。
「……それじゃあ」
湊は、ゆっくりと言葉を続けた。
「最初の予測が、その人の未来を変えてしまうこともあるんじゃないか?」
「そう。しかも、変わった未来を見て、システムは自分の予測が正しかったって判断する」
悠真は画面を見つめたまま言った。
「本当は、別の未来を選べたかもしれないのに」
湊の脳裏に、美月の姿が浮かんだ。
放課後の美術室。
久しぶりにスケッチブックを開いた彼女。
鉛筆を握る指先が、最初は少しだけ震えていたこと。
それでも、一枚の絵を描き終えたとき、彼女が本当に嬉しそうに笑っていたこと。
もし、あのまま彼女が描くことをやめていたら。
もし、もう一度描いてみようと思わなかったら。
ORACLEは、彼女の未来をどう評価していたのだろう。
「美月の記録も、同じなのか?」
「まだ断定はできない。でも、可能性はある」
悠真は別の画面を開いた。
そこには、凛から渡されたデータの一部が表示されていた。
『旧評価モデル:OR-07』
『評価方針:予測された適性を進路選択に反映』
『追跡項目:予測後の行動変化、進路決定、活動実績』
その下には、短い文章が記されていた。
『本人の希望より、予測された適性を優先すること』
湊は、その一文から目を離せなかった。
「……誰が、こんなことを決めたんだ」
「わからない。少なくとも、今のORACLEを作った人たちだけの問題じゃないと思う」
悠真は端末を閉じた。
「たぶん、最初は善意だったんだろうな」
「善意?」
「将来、失敗しないように。自分に向いている道を見つけられるように。迷わずに済むように。そういう目的で作られたんじゃないか」
悠真は少しだけ視線を落とした。
「実際、ORACLEに助けられた人もいるはずだ。自分じゃ気づかなかった得意分野を見つけたり、進路に迷っていた人が選択肢を絞れたり」
「……そうだな」
「だから、全部が間違ってるわけじゃない。予測そのものが悪いんじゃないんだ」
悠真は、もう一度画面を開いた。
「ただ、予測を受け取った人間がどう変わったのか。それを検証する仕組みが、いつの間にか予測の正しさを証明するために使われていたとしたら……」
そこで言葉を切った。
湊も、その先を口にできなかった。
正しい未来を教えるためのシステムが。
いつしか、人々をその未来へ導くためのシステムになっていた。
そして、人々がその未来を選んだことを理由に、予測は正しかったと証明される。
まるで、終わりのない輪のようだった。
*
翌日の昼休み。
湊は、文化祭の展示準備をしている美月のもとを訪れた。
教室の後方には、彼女が描いた未来都市のスケッチが何枚も並んでいる。
以前よりも、線が増えていた。
建物の間には橋が架かり、街の中心には大きな広場が描かれている。
そして、街の端には、まだ何も描かれていない空白が残されていた。
「湊くん!」
美月が顔を上げた。
「見て見て。昨日の絵に、橋を追加してみたの」
「橋?」
「うん。こっちの街と、まだ知らない場所をつなぐ橋」
美月はスケッチブックを持ち上げた。
「最初は、街の中だけで完成させようと思ってたんだけどね。描いてるうちに、外にも続いていたら面白いなって思って」
湊は絵を見つめた。
橋の向こう側には、まだ輪郭しか描かれていない景色が広がっている。
「いいと思う」
「ほんと?」
「ああ。向こう側がまだ完成してないのも、いい」
美月は、少し不思議そうに首を傾げた。
「完成してないのが?」
「だって、これから何があるのか想像できるだろ。どんな街があるのかとか、誰が住んでるのかとか」
湊は、橋の先を指さした。
「ここには、まだ何でも描ける」
その言葉を聞いた美月は、しばらく黙っていた。
やがて、彼女は嬉しそうに笑った。
「……湊くんって、そういうこと言うんだね」
「どういうことだよ」
「ううん。なんでもない」
美月はスケッチブックを胸に抱えた。
「私、前はね。絵を描くときも、失敗しないようにって考えてたの」
「失敗しないように?」
「うん。評価されやすい絵とか、将来につながりそうな絵とか。自分が何を描きたいのかより、何を描けば認めてもらえるのかを考えてた」
彼女の声は穏やかだった。
けれど、その穏やかさの奥には、長い時間をかけて飲み込んできた思いがあるように感じられた。
「それで、だんだん描けなくなっちゃった。何を描いても、どうせ向いてないって思っちゃって」
「……」
「でも、最近は少し違うんだ」
美月は、自分の絵に目を落とした。
「うまく描けるかどうかより、描いてみたいって思えるようになったの。まだ怖いけどね」
湊は、何かを言おうとした。
けれど、軽々しく励ますことはできなかった。
彼女が再び絵を描くまでに、どれほどの時間が必要だったのか。
自分には、まだわからないからだ。
「……美月」
「ん?」
「今、描いてて楽しい?」
彼女は一瞬だけ目を丸くした。
それから、まっすぐに答えた。
「うん。楽しいよ」
迷いのない声だった。
「だったら、今はそれでいいんじゃないか」
湊は言った。
「将来どうなるかは、まだわからないんだし」
美月は、ゆっくりと頷いた。
「うん。私も、そう思う」
その笑顔を見て、湊は思った。
未来は、最初からひとつに決まっているものではない。
少なくとも、彼女が描いているこの街は違う。
何度でも線を引き直せる。
何度でも、知らない場所へ橋を架けられる。
それなら、人間の未来だって。
きっと――。
「あれ?」
美月が、ふと湊の顔を覗き込んだ。
「どうしたの?」
「いや、なんでもない」
「なんか、難しいこと考えてる顔してる」
「そんな顔、あるのかよ」
「あるよ。悠真くんと話してるときも、たまにそういう顔してるもん」
湊は思わず苦笑した。
「お前、よく見てるな」
「だって、湊くんのことだもん」
美月は何気なく言った。
けれど、その言葉を聞いた湊の心臓は、ほんの少しだけ速くなった。
美月は気づいていないのか、何事もなかったようにスケッチブックへ視線を戻している。
湊は、そんな彼女をしばらく見つめていた。
この時間が、もう少し続けばいい。
そう思ってしまった自分に、少しだけ驚いた。
*
その日の放課後。
悠真は、ひとりで旧校舎へ向かっていた。
凛から受け取った記録装置には、まだ開けていないデータが残っている。
学校のネットワークに接続すれば、管理システムに検知される可能性があった。
だから、悠真は自分の端末だけで解析を進めていた。
画面には、古い記録の断片が表示されている。
『OR-07 予測検証プロジェクト』
『評価対象者の行動変容を含めた予測精度の検証』
『進路指導への試験的導入』
悠真は指を止めた。
「……行動変容を含めた、か」
それは、単に未来を予測するだけの仕組みではない。
予測を伝えられた人が、その予測によってどう変化したのか。
その変化まで含めて、未来の予測に利用する。
理論上は、合理的なのかもしれない。
だが、そこには大きな問題があった。
もし、誰かが「あなたには無理だ」と告げられて挑戦をやめたら。
その人が挑戦しなかったという結果は、本当に予測の正しさを示しているのだろうか。
それとも、挑戦する機会を奪った結果にすぎないのだろうか。
悠真は、ゆっくりと画面をスクロールした。
そして、ある記録を見つけた。
『検証対象者の一部において、本人希望と予測適性の不一致を確認』
『対応方針:本人希望より、予測された適性を優先すること』
悠真の指先が止まった。
「……なんだよ、これ」
先ほどよりも、はっきりとした違和感があった。
不一致が見つかったのなら、本来は予測の限界を調べるべきではないのか。
本人が何を望んでいるのかを、もう一度確かめるべきではないのか。
なのに、この記録では。
予測と本人の希望が食い違ったとき、優先されたのは予測のほうだった。
悠真は、別のファイルを開いた。
その瞬間、画面に警告が表示された。
『旧評価モデル関連データへのアクセスを確認』
『アクセス権限を確認しています』
「……は?」
悠真は慌てて接続を切ろうとした。
だが、その前に新しい文章が表示された。
『現在のORACLEに引き継がれた旧評価データを検出』
続けて、もう一行。
『一部の過去評価記録は、現行モデルの判断根拠として参照されています』
悠真は息を呑んだ。
七年前に使われていたモデル。
そのモデルの検証記録。
そして、現在のORACLEに引き継がれたデータ。
過去の問題は、過去のまま終わっていなかった。
形を変えながら、今も残っている。
悠真はすぐに画面を保存した。
しかし、その直後。
表示されていたデータの一部が、次々と非表示になった。
『アクセス制限が適用されました』
「おい、待てよ……!」
悠真は操作を続けたが、画面にはもう何も表示されない。
残されたのは、ひとつのファイル名だけだった。
『OR-07_FINAL』
そして、その下に小さな文字があった。
『最終検証記録:閲覧不可』
*
夕方。
悠真は校舎裏で、白峰凛と向き合っていた。
「やっぱり、何か知ってるんだな」
悠真は、保存した記録を彼女に見せた。
「七年前のOR-07。本人の希望より予測を優先する方針。しかも、その記録が今のORACLEにも残ってる」
凛は画面を見つめた。
その表情は、ほとんど変わらなかった。
「……そこまで見つけたんだ」
「答えてくれ。OR-07は、何をしたんだ?」
凛はすぐには答えなかった。
校舎の窓から、文化祭の準備をする生徒たちの姿が見える。
笑い声。
机を動かす音。
誰かが失敗したのか、楽しそうに笑い合う声。
ありふれた学校の風景だった。
凛は、それを見つめながら言った。
「OR-07は、未来を予測するためのモデルだった」
「それはわかってる」
「でも、あの頃の人たちは、予測が外れることを恐れていたの」
凛は、ゆっくりと悠真へ視線を戻した。
「予測が外れたら、システムの価値が疑われる。だから、予測と違う未来を選ぶ人がいたとき、どうすればいいかを考えた」
「……どうすればいいか?」
「本人が選ぶ未来を、予測に近づければいい。そう考えた人たちがいたの」
悠真は言葉を失った。
「それって……」
「そう。予測が正しいことを証明するために、人間の選択を変えようとした」
凛の声は静かだった。
怒りをぶつけるわけでも、誰かを責めるわけでもない。
ただ、長い間、胸の中にしまい続けてきた事実を語っているようだった。
「最初は、ほんの小さなことだったのかもしれない。進路相談で、少しだけ別の道を勧める。本人が迷っていたら、予測された適性を強く伝える。家族にも、安定した道を選ぶように説明する」
「……それだけで、人の未来が変わるのか?」
「変わるよ」
凛は、迷いなく答えた。
「だって、誰だって不安だから。自分が何に向いているのか、何をすれば成功できるのか。わからないことだらけだから」
彼女は、少しだけ目を伏せた。
「そんなときに、絶対に正しいように見える答えを渡されたら……自分の気持ちより、そっちを信じたくなることもある」
悠真は、言葉を返せなかった。
自分だって同じだった。
プログラミングが得意だと判定された。
情報工学の分野で高い適性があると示された。
だから、その道へ進むのが正しいと思った。
ほかに何ができるのか。
本当は何がしたいのか。
そんなことを、深く考えたことはなかった。
「でも……今のORACLEは、改善されてるはずだろ」
悠真は言った。
「昔の失敗を分析して、精度も安全性も向上してる。古い記録が残ってるだけで、同じことをしてるとは限らない」
「ええ。今のORACLEが、昔とまったく同じ仕組みだとは思っていない」
凛は静かに頷いた。
「ただ、過去のデータを使う限り、過去の考え方まで引き継いでしまうことがある」
「……」
「どんなに新しい仕組みでも、何を正解として学んできたかは、簡単には消えないの」
凛は、悠真の端末を見つめた。
「美月の記録に、OR-07が残っていたんでしょう?」
悠真は驚いて顔を上げた。
「なんで、それを……」
「やっぱり、そうなんだね」
凛は、それ以上説明しなかった。
代わりに、ひとつだけ問いかけた。
「悠真くん。もしORACLEが、美月さんには絵の才能がないって判断していたら……今の彼女は、どうなっていたと思う?」
悠真は答えられなかった。
凛は続けた。
「彼女が絵を描くのをやめていたら。誰にも作品を見せず、挑戦することもなくなっていたら。ORACLEは、彼女に芸術の適性がなかったと判断するかもしれない」
「でも、それは……」
「本当に、適性がなかったから?」
凛の問いが、夕暮れの空気に静かに落ちた。
「それとも、適性を確かめる機会そのものが失われていたから?」
悠真は、何も言えなかった。
彼女は、少しだけ寂しそうに笑った。
「私たちは、未来を予測することと、未来を決めることの違いを忘れてしまったのかもしれない」
*
同じ頃。
湊は、美月と並んで帰り道を歩いていた。
夕焼けが街を赤く染めている。
美月の鞄からは、スケッチブックの角が少しだけ顔を出していた。
「ねえ、湊くん」
「ん?」
「湊くんって、将来の夢ある?」
不意に聞かれ、湊は足を緩めた。
「……ない」
「えっ、そうなの?」
「正確には、ORACLEが勧めてきた進路はある。国立大に進んで、情報工学を学ぶ。それが俺に向いてるらしい」
「うん」
「でも、それが本当に俺のやりたいことなのかは……よくわからない」
口に出してみると、自分が思っていた以上に、正直な言葉だった。
今までは、それで十分だった。
向いていることを選べばいい。
失敗する可能性が低い道を選べばいい。
それが、賢い生き方だと思っていた。
「美月は?」
「私?」
「将来、どうなりたい?」
美月は、少し考えてから空を見上げた。
「まだ、わからない」
「……そっか」
「でもね」
美月は湊のほうを向いた。
「いつか、自分の絵を見た人が、知らない世界を想像できるようになったらいいなって思う」
彼女の瞳には、夕焼けの光が映っていた。
「私の絵を見て、ここに行ってみたいとか、こんな場所があったらいいなとか。そういうことを考えてくれたら、嬉しい」
「……いい夢だな」
「そうかな?」
「ああ」
湊は頷いた。
「少なくとも、聞いてる俺は、そう思った」
美月は照れくさそうに笑った。
「ありがとう」
少し歩いてから、彼女は再び口を開いた。
「湊くんは、何か好きなことないの?」
「好きなこと……」
湊は考えた。
勉強は嫌いじゃない。
情報技術にも興味はある。
けれど、それが人生を懸けたいほど好きなのかと聞かれたら、わからなかった。
「……今は、わからない」
「そっか」
美月は、無理に答えを求めなかった。
「じゃあ、これから見つければいいんじゃない?」
あまりにも簡単な言葉だった。
けれど、湊には、それが少し眩しく感じられた。
「俺にも、見つかるかな」
「見つかるよ。たぶん」
「たぶんって……」
「だって、未来はまだわからないんでしょ?」
美月は、いたずらっぽく笑った。
「だったら、見つかる可能性だってあるじゃん」
湊は思わず笑った。
「……そうだな」
わからないからこそ、探せるものがある。
決まっていないからこそ、選べるものがある。
そんな当たり前のことを、彼女は何度でも思い出させてくれる。
ふたりは、交差点で立ち止まった。
美月の帰る方向は、ここから右だった。
「じゃあ、また明日ね。湊くん」
「ああ。また明日」
美月は手を振って歩き出した。
湊は、その背中を見送った。
そして、彼女の姿が角を曲がって見えなくなってから、ようやく自分も歩き始めた。
ポケットの中で、端末が震えた。
ORACLEからの通知だった。
『現在の行動傾向は、推奨進路からの逸脱を示しています』
『今後の進路選択において、慎重な判断を推奨します』
湊は、立ち止まった。
画面を見つめる。
いつもなら、少し不安になっていたはずだ。
このままでいいのだろうか。
自分は間違った道を選んでいるのではないか。
そんな考えが、頭をよぎっていたはずだった。
けれど、今日は違った。
湊は端末の画面を閉じた。
「……慎重に、か」
小さく呟く。
「じゃあ、ちゃんと考えるよ」
誰かに言われたからではなく。
正しいと判定されたからでもなく。
自分が何を望んでいるのかを。
これから、何を選びたいのかを。
その答えは、まだ見つかっていない。
それでも。
湊は、明日も美月と話したいと思った。
それが今の自分にとって、確かな気持ちだったから。
*
その夜。
白峰凛は、ひとりで古い写真を見つめていた。
写真に写っているのは、七年前の文化祭。
展示された作品の前で、何人もの生徒が笑っている。
その中に、まだ幼さの残る凛自身の姿があった。
そして、彼女の隣には――もうひとりの少女がいた。
写真の裏側には、手書きの文字が残されている。
『未来は、まだ決まっていない』
凛は、その文字を指でなぞった。
「……ごめんね」
誰に向けた言葉なのか。
その答えを知る者は、今のところ彼女しかいなかった。
凛は写真を伏せ、机の引き出しから別の記録を取り出した。
表紙には、古い管理番号が記されていた。
『OR-07_FINAL』
そして、その記録の最後のページには、短い文章が残されていた。
『本検証により、予測結果が対象者の進路選択に影響を与える可能性が確認された』
『ただし、当該影響を除外した場合の予測精度については、十分な検証が行われていない』
その下には、誰かの手によって書き加えられた一文があった。
『私たちは、本当に未来を予測していたのだろうか』
凛は、目を閉じた。
七年前。
あのとき、誰かがこの問いに立ち止まっていたら。
何かが変わっていたのかもしれない。
けれど、もう過去には戻れない。
だからこそ。
「今度こそ……」
凛は、静かに呟いた。
「同じことを、繰り返させない」
窓の外では、街の灯りがひとつずつ輝き始めていた。
そのどこかで、誰かが自分の未来を信じている。
また別の誰かは、与えられた答えを疑わずに生きている。
そして、その選択の積み重ねが、明日の世界を作っていく。
ORACLEは、未来を予測する。
けれど。
その未来を作っているのは、本当に誰なのだろう。
七年前に残された問いは、まだ答えを見つけられずにいた。
そして今、その問いは再び、朝倉湊と天野美月の前へと近づき始めていた。




