#6 書き換えられる未来
文化祭まで、あと一週間。
星ヶ丘学園の校内は、いつも以上に賑やかだった。
廊下には展示の案内が貼られ、教室のあちこちからは準備を進める生徒たちの声が聞こえてくる。
二年三組でも、文化祭の展示に向けた作業が大詰めを迎えていた。
教室の後方には、天野美月が描いた未来都市のスケッチが並んでいる。
大きな建物。
空中に架けられた橋。
街の中心に広がる公園。
そして、そのすべてを見渡せる場所に描かれた、小さな展望台。
まだ完成していない部分もあったが、最初に見たときよりも、ずっと豊かな世界になっていた。
「よし……ここに光を足して……」
美月はスケッチブックに向かい、鉛筆を動かしていた。
その表情は真剣だった。
けれど、以前のような不安げな様子はない。
描きたいものを、描きたいように描く。
その楽しさを、彼女は少しずつ取り戻し始めていた。
「美月、そこまで進んだのか」
声を掛けたのは、朝倉湊だった。
「あっ、湊くん! 見て!」
美月は嬉しそうにスケッチブックを差し出した。
「昨日話してた展望台、こんな感じにしてみたの!」
「おお……」
湊は思わず声を漏らした。
以前のスケッチでは、展望台は街の中心にあるだけの建物だった。
しかし、今の絵では、展望台の大きな窓から街全体を見渡せるようになっている。さらに、屋上からは橋が伸び、その先にはまだ名前のない場所が描かれていた。
「いいな、これ」
「本当?」
「ああ。ここから街を見たら、どんな景色なんだろうって思う」
湊がそう言うと、美月は満足そうに笑った。
「でしょ? 私も描きながら、ここから何が見えるのかなって考えてたんだ」
「まだ決めてないのか?」
「うん。最後まで決めないでおこうかなって」
「なんで?」
美月は少しだけ考え、それから答えた。
「だって、最初から全部決めちゃったら、描いてる途中で新しいものを思いついても、変えにくくなっちゃうでしょ?」
その言葉に、湊は小さく笑った。
「確かに」
「だから、最後までわからないままでもいいかなって思ったの。描いてるうちに、きっと何か見つかるから」
美月は再びスケッチブックに視線を落とした。
「私、こういう描き方が好きだったんだと思う」
その横顔を見て、湊は思った。
彼女は今、自分の未来を自分の手で描いている。
誰かに正解を教えてもらうのではなく、自分で考えて、迷って、ときには線を引き直しながら。
その姿が、湊にはとても眩しく見えた。
「……完成、楽しみにしてる」
「うん! 頑張るね!」
美月は元気よく返事をした。
そのときだった。
彼女の手元に置かれていた端末が、小さく震えた。
ピコン。
ORACLEからの通知だった。
「ん? 何だろう」
美月は鉛筆を置き、端末を手に取った。
画面には、いつものように個人データの更新通知が表示されていた。
『個人将来予測データを更新しました』
「……あれ?」
美月の表情が、わずかに変わった。
「どうした?」
湊が尋ねる。
「ううん……なんか、変なの」
美月は画面を何度か操作した。
いつもなら、将来の進路や適性、生活傾向などが一覧で表示される。
けれど、今日の画面は違っていた。
進路予測の欄に、見慣れない文字が浮かんでいる。
『将来適性評価:再計算中』
その下には、普段は表示されない項目があった。
『過去評価データ:照合中』
「……過去評価データ?」
美月は首を傾げた。
湊は、その文字を見た瞬間、胸の奥に嫌な予感を覚えた。
七年前の記録。
旧評価モデル、OR-07。
そして、現在のORACLEに引き継がれていた過去のデータ。
まさか。
「美月、それ……ちょっと見せてもらっていいか?」
「うん。いいけど……」
美月が端末を差し出した。
湊は画面を確認した。
『現行モデルとの整合性:確認中』
『旧評価モデルの記録を検出』
『参照制限:適用中』
その三行を見た瞬間、湊の顔から笑みが消えた。
「……これ、前にも見たことがある」
「えっ?」
「美月。ちょっと悠真を呼んでくる」
「ちょ、ちょっと待って。何かあったの?」
美月の声には、不安が滲んでいた。
湊は一瞬、言葉に迷った。
まだ、何もわかっていない。
不安にさせたくない。
けれど、何も知らないままにするわけにもいかなかった。
「まだわからない。でも、少し調べたいことがあるんだ」
そう伝えると、湊は端末を美月に返した。
「すぐ戻るから」
美月は小さく頷いた。
「……うん」
湊が教室を出ていく。
美月はその背中を見送ったあと、もう一度、自分の端末に目を落とした。
画面には、まだ同じ文字が表示されていた。
『旧評価モデルの記録を検出』
その意味を、彼女はまだ知らなかった。
けれど。
胸の奥に、忘れたはずの不安がゆっくりと蘇り始めていた。
*
昼休みの終わり。
湊は、廊下の端で悠真を見つけた。
「悠真!」
「ん? どうした、そんなに慌てて」
「美月のORACLEに異変が起きた」
その言葉を聞いた瞬間、悠真の表情が変わった。
「異変って?」
湊は、美月の端末に表示されていた内容を説明した。
『過去評価データ:照合中』
『現行モデルとの整合性:確認中』
『旧評価モデルの記録を検出』
悠真は黙って聞いていたが、話が終わるとすぐに自分の端末を取り出した。
「……やっぱりか」
「何か心当たりがあるのか?」
「昨日、凛から預かったデータを調べてたとき、今のORACLEが旧評価データを参照している記録を見つけたんだ」
悠真は画面を操作しながら説明した。
「ただ、あのときは過去の記録が残ってるってことしかわからなかった。でも、もし美月の個人データが、その旧モデルの記録と直接つながってるなら……」
「どうなるんだ?」
「わからない。けど、旧モデルの評価が今のデータに影響している可能性はある」
悠真は端末を見つめた。
「まずは、美月のデータが何に反応しているのか調べよう」
「俺も手伝う」
「ああ。ただし、本人に確認しながらだ。勝手に設定を変えたり、無理にアクセスしたりするのは危険だからな」
ふたりは教室へ戻った。
美月は、まだスケッチブックの前に座っていた。
しかし、鉛筆は止まったままだった。
「美月」
湊が声を掛けると、彼女は顔を上げた。
「悠真くんも……」
「端末、見せてもらってもいいか?」
悠真が尋ねる。
美月は少し不安そうにしながらも、頷いた。
「うん。私も、何が起きてるのか知りたい」
悠真は端末の画面を確認し、自分の端末と接続せずに、表示内容をひとつずつ記録していった。
「今のところ、データが消えたわけじゃないみたいだ。ただ、過去の評価記録を照合しようとしてる」
「過去の評価って……中学のときの?」
美月が尋ねた。
悠真は少し迷ってから答えた。
「その可能性はある」
美月は、端末を握る手に力を込めた。
「……そっか」
湊は、彼女の横顔を見た。
中学時代。
美月が絵を描くことをやめた、あの頃。
ORACLEに向いていないと言われ、周りからも別の進路を勧められた。
その記憶が、彼女の中でどれほど重いものなのか。
湊には、想像することしかできなかった。
「美月。怖かったら、今は無理に見なくてもいいからな」
湊がそう言うと、美月は少しだけ目を見開いた。
「……ありがとう。でも、知りたい」
彼女は端末を見つめた。
「ずっと、あのときのことが引っかかってたから。どうして私は、あんなに描くのが好きだったのに、描けなくなっちゃったんだろうって」
美月は、ゆっくりと顔を上げた。
「もし、何か理由があるなら……ちゃんと知りたい」
その言葉を聞いて、湊は頷いた。
「わかった。一緒に調べよう」
「うん」
悠真も、静かに頷いた。
「ただ、何が出てきても、今の美月が描いてる絵まで否定されるわけじゃない。それだけは忘れないでくれ」
美月は一瞬だけ驚いたような顔をした。
それから、小さく笑った。
「……うん。ありがとう、悠真くん」
そのとき。
美月の端末が、再び震えた。
今度は、一度ではなかった。
ピコン。
ピコン。
ピコン。
短い通知音が、立て続けに鳴り響く。
三人の視線が、同時に画面へ向けられた。
『個人将来予測データの再構成を開始します』
『旧評価モデルとの照合を開始します』
『対象者:天野美月』
『旧評価モデル:OR-07』
美月の顔から、血の気が引いた。
「……OR-07?」
湊は息を呑んだ。
悠真がすぐに画面を確認する。
「おかしい。なんで、今になって旧モデルが……」
言い終わる前に、画面の表示が切り替わった。
『現行モデルの予測データを一時保留します』
『旧評価モデルの記録を優先して再構成します』
「待てよ……!」
悠真が操作を試みる。
しかし、設定画面は開かなかった。
『この処理は管理権限によって実行されています』
「管理権限……?」
悠真は何度も画面を操作した。
だが、どこにも停止ボタンは見当たらない。
『再構成中』
『再構成中』
『再構成中』
画面に同じ文字が繰り返し表示される。
美月は、何も言えずにそれを見つめていた。
「……私のデータ、どうなっちゃうの?」
その声は、小さく震えていた。
湊は答えられなかった。
悠真も、必死に調べている。
けれど、何が起きているのか、まだ誰にもわからない。
そして数秒後。
画面が、一瞬だけ真っ暗になった。
次の瞬間。
聞き慣れたORACLEのロゴが消え、見たことのない古い形式の表示が浮かび上がった。
文字は現在のシステムよりも無機質で、装飾も少ない。
その中央に、ひとつの評価結果が表示された。
『旧評価モデル OR-07』
『対象者:天野美月』
『創作・芸術分野への適性:低』
美月の指が止まった。
呼吸の仕方さえ忘れてしまったように、画面を見つめている。
「……うそ」
かすれた声が漏れた。
その下に、さらに文字が表示される。
『推奨進路:情報処理・技術系』
『本人希望との不一致を検出』
『対応方針:本人希望より、予測された適性を優先すること』
「やめて……」
美月が呟いた。
「もう……やめてよ……」
湊は彼女の名前を呼ぼうとした。
けれど、その前に画面が再び切り替わった。
『旧評価データの復元が完了しました』
『現行モデルとの不一致を検出』
『個人将来予測データを旧評価モデルの記録に基づいて更新しました』
そして、最後に。
『将来適性評価:創作・芸術分野 低』
『推奨進路:情報処理・技術系』
その二行が、現在のORACLEの画面に上書きされていた。
*
教室の中から、音が消えたようだった。
周囲では、文化祭の準備が続いている。
誰かが笑い、誰かが友達を呼んでいる。
けれど、湊たち三人のいる場所だけ、別の時間が流れているように感じられた。
美月は、端末を見つめたまま動かなかった。
その画面には、かつて彼女を苦しめた評価が、何事もなかったかのように表示されている。
まるで、あの頃に戻されたようだった。
「……なんで」
美月の唇が、わずかに動いた。
「なんで、今さら……」
その目に、少しずつ涙が浮かんでいく。
「私、もう一度描こうって決めたのに」
湊は、胸が締めつけられるような思いがした。
「美月……」
「やっと、楽しいって思えるようになったのに……」
彼女はスケッチブックへ視線を向けた。
そこには、彼女が時間をかけて描き上げてきた未来都市がある。
何度も描き直した線。
少しずつ広がっていった世界。
自分の手で、もう一度取り戻そうとした夢。
それなのに。
端末には、かつてと同じ評価が表示されている。
『創作・芸術分野への適性:低』
その文字が、彼女の努力をすべて否定しているように見えた。
「……私の絵って」
美月は、震える声で尋ねた。
「やっぱり、意味がなかったのかな……?」
「違う!」
湊は、思わず声を上げた。
美月が驚いて顔を上げる。
湊自身も、自分の声の大きさに驚いていた。
けれど、言わずにはいられなかった。
「違うよ。そんなわけないだろ」
湊は、彼女のスケッチブックを見た。
「俺、あの絵が好きだよ。橋の向こうに何があるのか、見てみたいって思った。展望台からの景色も、実際に見てみたいって思った」
言葉が、次々と口から出てくる。
「それに、美月が楽しそうに描いてるのを見て、俺も嬉しかったんだ」
美月の目が揺れた。
「だから……この数字だけで、そんなことを決めないでほしい」
湊は、まっすぐに彼女を見つめた。
「美月が描いてきたものまで、なかったことにしないでくれ」
美月は唇を噛んだ。
涙が一滴、頬を伝った。
「……でも、ORACLEが」
「ORACLEが何を言ったって、今のお前が描いた絵は消えない」
湊は言った。
「美月が、もう一度描こうって決めたことも。描いてて楽しいって思えたことも。全部、本当のことだろ」
美月は、何も言わなかった。
ただ、涙を拭いながら、小さく頷いた。
その隣で、悠真は端末の画面を見つめていた。
表情は険しい。
「……おかしい」
「悠真?」
「これは、ただの再計算じゃない」
悠真は、画面に表示された処理履歴を確認していた。
「現行モデルが過去のデータを参照することはあっても、旧モデルの評価をそのまま優先して、個人データを書き換えるなんて……通常の更新処理じゃあり得ない」
「じゃあ、誰かがやったってことか?」
湊が尋ねる。
「まだわからない。でも、少なくとも美月が自分で設定したわけじゃない。しかも、処理は管理権限で実行されてる」
悠真は、画面をスクロールした。
すると、ひとつの記録が見つかった。
『更新処理の実行元:特定不可』
『処理要求:旧評価モデルへの復元』
『実行時刻:現在』
『承認記録:なし』
悠真の表情が凍りついた。
「……承認記録が、ない?」
「どういうことだ?」
「普通、こういう処理には管理側の承認履歴が残る。なのに、記録がないんだ」
悠真は端末を握り直した。
「まるで、誰かがシステムの中から直接命令を出したみたいだ」
湊は、画面を見つめた。
誰が。
何のために。
なぜ、今になって美月のデータを書き換えたのか。
考えれば考えるほど、わからないことが増えていく。
そのとき、美月が小さく口を開いた。
「……私、何かしたのかな」
湊と悠真が、同時に彼女を見た。
「何もしてないだろ」
湊はすぐに答えた。
「でも……」
美月は端末を見下ろした。
「最近、また絵を描き始めたから。前と違うことをしたから……それで、こんなことになったのかな」
「違う。美月のせいじゃない」
湊は、はっきりと言った。
「何が起きてるのかはわからない。でも、お前が絵を描き始めたことが悪いなんて、絶対に違う」
美月は、ゆっくりと顔を上げた。
湊は、少しだけ声を落とした。
「……俺たちで、原因を調べよう」
その言葉に、悠真も頷いた。
「ああ。まずは、この処理がどこから来たのか調べる。旧モデルの記録と、美月のデータがどうつながってるのかもな」
美月はふたりを見つめた。
不安は消えていない。
自分が再び描き始めたことを、何かに否定されたような気持ちも残っている。
それでも。
ひとりではない。
そのことだけは、少しだけ心を支えてくれた。
「……ありがとう、ふたりとも」
美月は、涙を拭った。
「私も、ちゃんと知りたい。何が起きてるのか」
「ああ」
湊は頷いた。
「一緒に調べよう」
*
放課後。
文化祭の準備が終わり、生徒たちが次々と帰っていく。
湊と悠真は、美月の端末に残された記録を確認していた。
旧モデルの評価が上書きされたあとも、画面にはいくつかの処理履歴が残っていた。
『旧評価モデル:OR-07』
『個人記録との照合:完了』
『現行モデルへの反映:保留』
「……待てよ」
悠真が、画面を指さした。
「現行モデルへの反映は、保留になってる」
「でも、評価は書き換わってるだろ?」
「そう。だから、余計におかしいんだ」
悠真は考え込んだ。
「旧モデルの記録が読み込まれたことと、それが現行モデルの評価として反映されたことは、本来別の処理なんだ。なのに、今回は途中の承認を飛ばして、旧モデルの評価が個人画面に表示されている」
「つまり、システムの不具合なのか?」
「その可能性もある。でも……」
悠真は、画面の隅に表示された文字を見つめた。
『旧評価モデルの記録を優先して再構成します』
「この命令が、どこから来たのかがわからない」
そのとき、湊の端末が震えた。
ORACLEからの通知だった。
湊は画面を開いた。
『関連対象者との接触履歴を確認しました』
『対象者:天野美月』
『旧評価モデルとの関連性:調査中』
湊の顔が強張った。
「……なんだよ、これ」
悠真が画面を覗き込む。
「関連対象者って……美月のことか?」
「たぶんな」
「お前の端末にも、こんな通知が来るのか……」
悠真は眉を寄せた。
「美月のデータが変わっただけじゃない。湊、お前の行動記録まで参照されてる可能性がある」
湊は端末を握りしめた。
自分が美月と話したこと。
彼女の絵を見たこと。
彼女と一緒に帰ったこと。
そのひとつひとつが、ORACLEに記録されている。
そして今、彼女のデータが旧モデルによって書き換えられた。
偶然なのだろうか。
それとも、自分たちが何かに気づき始めたことと関係しているのだろうか。
答えは、まだ出ない。
悠真は端末を閉じた。
「湊。明日、凛に会おう」
「ああ」
「今回のこと、あいつなら何か知ってるかもしれない」
湊は、頷いた。
そのとき、教室の後方から声がした。
「……ふたりとも、まだいたんだ」
振り返ると、美月が立っていた。
手には、スケッチブックを抱えている。
「美月。もう帰ったと思ってた」
「忘れ物しちゃって」
美月は自分の机に戻り、鉛筆を一本取り上げた。
そして、教室の後方に置かれたスケッチを見つめた。
「……ねえ、湊くん」
「ん?」
「私、明日も絵を描いていいかな」
湊は、一瞬だけ言葉を失った。
美月は、無理に笑おうとしているようだった。
「また同じことを言われるかもしれないけど……それでも、描きたいんだ」
彼女はスケッチブックを胸に抱きしめた。
「だって、やっぱり好きだから」
湊は、迷わず答えた。
「もちろん」
美月が顔を上げる。
「誰かに許可をもらう必要なんてないだろ。美月が描きたいなら、描けばいい」
「……うん」
美月は、今度こそ少しだけ自然に笑った。
「ありがとう」
その笑顔を見て、湊は思った。
彼女の未来を決めるのは、ORACLEではない。
少なくとも、自分はそう信じたい。
けれど、その思いだけで、すべてを守れるわけではないこともわかっていた。
旧モデルは、なぜ今になって目を覚ましたのか。
なぜ美月のデータが選ばれたのか。
そして、なぜ承認記録もないまま、彼女の評価を書き換えたのか。
その答えを見つけなければ、また同じことが起きるかもしれない。
湊は、美月のスケッチを見つめた。
橋の向こう側には、まだ何も描かれていない。
そこに何があるのかは、誰にもわからない。
だからこそ、彼女は描き続けようとしている。
その未来を、誰にも奪わせたくなかった。
*
同じ夜。
街の中心にあるORACLE管理センター。
一般公開されていない監視画面に、ひとつの記録が表示されていた。
『対象者:天野美月』
『旧評価モデル:OR-07』
『個人将来予測データの再構成:完了』
『現行モデルとの不一致:継続』
画面の隅では、処理履歴が静かに更新されていた。
『対象者の行動傾向に変化を確認』
『旧評価との不一致が拡大』
『追加照合を推奨』
しばらくして、新たな文章が表示された。
『旧評価モデルの参照を継続しますか?』
選択肢は、ふたつ。
『はい』
『いいえ』
しかし、誰も操作していないはずの画面で、選択が行われた。
『はい』
直後、画面が暗転した。
そして、古いモデルの識別番号が、静かに浮かび上がった。
『OR-07』
七年前に役目を終えたはずの評価モデル。
その記録は、今もどこかで生き続けている。
なぜ、天野美月だったのか。
誰が、旧モデルを呼び戻したのか。
そして、OR-07は何を取り戻そうとしているのか。
その答えは、まだ闇の中にあった。
ただひとつ確かなのは。
美月が再び描き始めた未来に、何かが干渉し始めているということだった。




