#4 好きになるという誤差
「……あの子を、また同じ目に遭わせないで」
白峰凛の言葉が、湊の頭から離れなかった。
校舎裏のベンチ。
昼休みの喧騒が遠くに聞こえるなか、凛は二人の前に立っていた。
「待ってください」
最初に口を開いたのは悠真だった。
「あなた、本当に白峰凛さんなんですか?」
「そうだけど」
「でも、あなたの記録は……」
「残ってないんでしょう?」
凛は驚く様子もなく答えた。
「昔の記録を調べていたみたいね」
悠真の表情が変わった。
「どうして、それを?」
「あなたたちが何を探しているのか、だいたいわかるから」
凛は視線を湊へ移した。
「朝倉くん。あなた、天野さんと仲がいいの?」
「……普通に、クラスメイトです」
「そう」
彼女は少しだけ目を伏せた。
「なら、今のうちに覚えておいて。あの子が笑っているからといって、何も問題がないとは限らない」
「それは、どういう意味ですか?」
湊が尋ねても、凛はすぐには答えなかった。
代わりに、制服のポケットから小さな記録媒体を取り出した。
「これに、昔のORACLEに関する資料が入っている。全部ではないけれど、あなたたちが調べていることの手がかりにはなると思う」
悠真が記録媒体を見つめた。
「どうして、俺たちに?」
「あなたたちなら、まだ間に合うかもしれないから」
「何に間に合うんですか?」
湊の問いに、凛は静かに答えた。
「天野さんが、自分の未来を諦めてしまうことに」
湊は息を呑んだ。
美月は、もう一度絵を描き始めた。
文化祭の展示にも、本気で取り組んでいる。
今の彼女は、少しずつ前に進んでいるように見えた。
なのに、凛はなぜ、そんなことを言うのだろう。
「……天野は、もう諦めてなんかいません」
湊は言った。
「また絵を描き始めたんです。自分で決めて、前に進もうとしてる」
「そう」
凛は、わずかに表情を和らげた。
「それなら、よかった」
けれど、その目にはまだ不安が残っていた。
「でも、忘れないで。人は、自分の可能性を否定され続けると、いつか自分自身を信じられなくなる」
彼女は記録媒体を悠真に渡した。
「ORACLEが示す未来は、あくまで予測。でも、それを受け取る人間にとっては、未来そのものに見えてしまうことがある」
凛は踵を返した。
「また会うことになると思う」
「待ってください!」
湊が呼び止める。
「あなたは、天野とどういう関係なんですか?」
凛は足を止めた。
長い沈黙のあと、彼女は振り返らずに答えた。
「……あの子と同じように、未来を信じられなくなった人を知っているの」
それだけ言い残して、凛は校舎の向こうへ消えていった。
湊は、その背中を見つめていた。
彼女の言葉の意味は、まだわからない。
ただ一つ、確かなことがあった。
美月の過去には、自分が知らない何かがある。
そして、その何かは、彼女の未来にまで影響を与えているのかもしれなかった。
*
「……すごいことになってきたな」
凛がいなくなったあと、悠真が呟いた。
「昨日まで、古い資料を調べてただけだったのに。まさか本人が現れるとは思わなかった」
「俺もだよ」
「とりあえず、これを調べてみる」
悠真は記録媒体をしまった。
「ただし、学校のネットワークには接続しない。まずは中身を確認するだけだ」
「頼む」
「おう」
悠真は少し考えてから、湊を見た。
「……なあ、湊」
「何?」
「お前、本当に天野さんのことが気になるんだな」
「またそれかよ」
「いや、今回は真面目な話」
悠真は笑わなかった。
「凛さんの話を聞いたとき、お前、すごく心配そうな顔をしてた」
湊は言葉に詰まった。
美月が絵を描く姿。
嬉しそうに笑う顔。
夢を諦めたと話したときの、少し寂しそうな表情。
それらが、頭の中に浮かんでは消えていく。
「……放っておけないんだよ」
湊は、ようやく答えた。
「せっかく、また絵を描こうとしてるんだから」
「それだけ?」
「……それだけだよ」
悠真はしばらく湊を見つめていたが、やがて小さく笑った。
「そっか」
「何だよ」
「いや。お前の未来予測、最近ますます当てにならなくなりそうだなって」
「どういう意味だ!」
悠真は笑いながら歩き出した。
湊も、その後を追う。
けれど、心のどこかでは、悠真の言葉が引っかかっていた。
自分は美月のことを、どう思っているのだろう。
友達だから心配なのか。
夢を諦めてほしくないから、応援したいのか。
それとも――。
そこまで考えて、湊は首を振った。
今は、まだわからない。
わからないことを、無理に答えにする必要はない。
そう思ったのは、初めてだった。
*
翌日の放課後。
文化祭の準備が進む教室で、美月は一人、展示用のスケッチに向き合っていた。
星空の街並みは、少しずつ完成に近づいている。
けれど、彼女の手は、さっきから同じ場所で止まっていた。
「……うーん」
小さく唸る。
「どうした?」
声をかけると、美月は顔を上げた。
「湊くん。ちょっと見てくれる?」
「いいけど」
湊は隣に立ち、スケッチを覗き込んだ。
「この部分なんだけどね」
美月は街の中心に描かれた大きな建物を指さした。
「ここから先の景色が、うまく決まらなくて」
「どういうこと?」
「この建物の向こうに何があるのか、まだ決められないの。街をもっと広げるのか、それとも空を大きく描くのか……」
美月は鉛筆を指先で回した。
「最初は、全部決めてから描こうと思ってたんだけど。描き進めてみたら、思っていたのと違うものが見えてきちゃって」
湊はスケッチをじっと見つめた。
細かく描かれた建物。
光を反射する窓。
遠くへ続いていく道路。
どこを見ても、丁寧に考えられている。
それでも、画面の奥には、まだ何も描かれていない空白が残っていた。
「……別に、今決めなくてもいいんじゃないか?」
「え?」
「描きながら考えたっていいだろ。最初に考えた通りに描かなきゃいけないわけじゃないんだし」
美月は目を瞬かせた。
「描きながら、考える……」
「そう。今は空白でも、あとから何か描きたくなるかもしれないし」
湊は少し照れくさそうに付け加えた。
「俺、絵のことはよくわからないけどさ」
美月は、しばらく何も言わなかった。
やがて、スケッチブックを見つめながら、小さく笑った。
「……湊くんって、ときどき不思議なことを言うよね」
「えっ、そうか?」
「うん。でも、好きだな。そういう考え方」
その一言に、湊の思考が止まった。
好き。
たった二文字。
それが何を意味するのか、考えるより先に、心臓が大きく跳ねた。
「……そ、そうか」
声が少し裏返った。
美月は気づいていないのか、再び鉛筆を持った。
「よし。じゃあ、描きながら考えてみる!」
そして、白い空白に一本の線を引いた。
それは、遠くの空へと続く橋だった。
「ここから、街の外まで続く橋にするの」
美月は楽しそうに説明した。
「この街を出た先にも、まだ知らない世界があるんだって思えるように」
湊は、その線を見つめた。
美月の描く未来は、まだ完成していない。
けれど、だからこそ、どこへでも続いていけるのかもしれない。
「……いいと思う」
湊が言うと、美月は嬉しそうに頷いた。
「でしょ?」
その笑顔を見た瞬間、湊は自分の中にある気持ちを、少しだけ理解した気がした。
彼女が笑っていると、嬉しい。
彼女が何かに夢中になっていると、もっと見ていたくなる。
彼女が自分の夢を諦めそうになったら、何とかして支えたいと思う。
それは、ただのクラスメイトに向ける気持ちなのだろうか。
湊には、まだわからなかった。
ただ、彼女の隣にいる時間が、以前よりも大切になっていることだけは、確かだった。
*
数日後。
湊のスマートフォンに、ORACLEから通知が届いた。
『行動傾向の変化を検出しました』
最近、何度も目にするようになった通知だった。
湊は画面を開く。
『進路適性の再評価を推奨します』
『現在の交友関係が、将来の選択に影響を与える可能性があります』
そして、その下に、見慣れない項目が表示されていた。
『特定人物との接触頻度が増加しています』
湊は眉をひそめた。
「……特定人物?」
詳細を開く。
そこには、名前こそ表示されていなかったものの、最近の行動記録が一覧になっていた。
文化祭の準備。
放課後の教室。
帰り道での会話。
どれも、美月と一緒にいた時間と重なっていた。
『当該人物との接触を減らすことで、従来の進路予測との整合性が高まる可能性があります』
湊は、画面を見つめたまま動けなくなった。
美月と話す時間が増えたから、自分の未来予測が変わった。
それだけなら、まだ理解できる。
けれど、システムは、彼女との接触を減らすように勧めている。
まるで、彼女が自分の未来にとって、避けるべき存在であるかのように。
「……ふざけんなよ」
気づけば、そんな言葉が漏れていた。
ORACLEが間違っていると、決めつけるつもりはない。
けれど、誰と話すか。
誰と時間を過ごすか。
そんなことまで、推奨されるままに決めなければならないのだろうか。
湊は、スマートフォンの画面を閉じた。
そして、顔を上げた。
教室の向こうで、美月がクラスメイトと笑っている。
彼女は、展示用の絵について説明していた。
「ここから先は、まだ決めてないんだ。でも、見た人が自由に想像できるようにしたくて」
その声が聞こえる。
湊は、しばらく彼女を見つめていた。
やがて、スマートフォンをポケットにしまった。
今は、彼女と話したい。
それだけは、誰かに決めてもらうことではないと思った。
*
けれど、翌日から。
湊は、美月を避けるようになった。
朝、挨拶を交わすだけ。
休み時間に話しかけられても、短く答える。
文化祭の準備も、必要なことだけを伝えて、早めに切り上げる。
自分でも、何をしているのかわからなかった。
美月を遠ざけたいわけではない。
むしろ、その逆だった。
一緒にいると楽しい。
もっと話したい。
もっと、彼女の描く世界を知りたい。
けれど、彼女と過ごすたびに、自分の未来が変わっていく。
それが怖かった。
自分が何をしたいのかもわからないまま、これまで信じてきた道から外れてしまうことが。
何より、美月との出会いが、いつか彼女自身を傷つけることになるのではないか。
そんな考えが、頭から離れなかった。
「……湊くん」
放課後。
美月が、廊下で湊を呼び止めた。
「最近、何かあった?」
湊は足を止めた。
「……別に」
「そっか」
美月は少しだけ笑った。
「でも、最近あんまり話せてないなって思って」
「文化祭の準備で忙しいだけだよ」
「……私、何かした?」
その言葉に、湊の胸が痛んだ。
美月は、何も悪くない。
それなのに、彼女にこんな顔をさせている。
「してないよ」
湊は答えた。
「天野は何も悪くない」
「じゃあ、どうして……?」
美月の声が、少しだけ小さくなった。
湊は、答えられなかった。
ORACLEの通知を見たからだなんて、言えなかった。
君と一緒にいると、自分の未来が変わってしまいそうで怖い。
そんなことを言えば、彼女はきっと、自分のせいだと思ってしまう。
それだけは、嫌だった。
「……ごめん。ちょっと、一人で考えたいことがあるんだ」
ようやく、それだけ言った。
美月は、しばらく黙っていた。
やがて、小さく頷いた。
「……わかった」
彼女は笑おうとした。
けれど、その笑顔は、いつもより少しだけ寂しそうだった。
「無理しないでね、湊くん」
そう言って、彼女は歩き出した。
湊は、その背中を見送ることしかできなかった。
自分が何を守ろうとしているのか、わからなくなっていた。
未来なのか。
彼女なのか。
それとも、失敗することを恐れている自分自身なのか。
*
その夜。
湊は自室のベッドに座り、スマートフォンを見つめていた。
ORACLEの通知は、いつもと同じように表示されている。
『推奨進路との整合性が改善しています』
『将来予測の安定度が上昇しています』
美月と話す時間を減らしたことで、システムの数値は以前の状態に戻りつつあった。
それなのに、湊の気持ちは少しも晴れなかった。
画面を閉じる。
すると、机の上に置いてあった文化祭の企画資料が目に入った。
美月の描いたスケッチのコピー。
星空の街。
その向こうへ続く橋。
湊は、しばらくそれを見つめた。
彼女は、まだ決まっていない未来を描いていた。
誰かに正解を教えてもらうのではなく、自分で考えながら。
間違えるかもしれない。
思いどおりにならないかもしれない。
それでも、描き続けていた。
「……俺、何やってんだろ」
湊は呟いた。
未来が変わるのが怖いから。
失敗するかもしれないから。
そんな理由で、美月から距離を置いている。
それは、本当に自分が望んでいることなのだろうか。
答えは出なかった。
けれど、一つだけわかった。
このまま彼女を避け続けたら、きっと後悔する。
湊はスマートフォンを手に取った。
美月の連絡先を開く。
メッセージを打とうとして、指が止まった。
『明日、話せる?』
たったそれだけの言葉を送るのに、何度も迷った。
そして、ようやく送信した。
すぐに返事が来るとは思っていなかった。
けれど、数秒後。
画面に通知が表示された。
『うん! もちろん!』
続けて、もう一通。
『待ってるね』
湊は、その文字を見つめた。
胸の奥に、温かいものが広がっていく。
それが何なのか、もう気づき始めていた。
*
翌日の放課後。
湊は、美月を屋上へ呼び出した。
夕暮れの空が、街を淡い橙色に染めている。
美月は少し不思議そうな顔でやってきた。
「湊くん、どうしたの?」
「……この前は、ごめん」
湊は、まっすぐ彼女を見た。
「急に避けるようなことして」
美月は目を瞬かせた。
「何かあったの?」
「……ORACLEから通知が来たんだ」
湊は、正直に話すことにした。
「天野と一緒にいる時間が増えたせいで、俺の未来予測が変わってるって。接触を減らせば、元の予測に近づくって書いてあった」
美月の表情が、少しずつ変わっていった。
「……それで、私を避けてたの?」
「ああ」
湊は頷いた。
「自分でも、情けないと思う。天野は何も悪くないのに、勝手に怖くなって……」
「怖い?」
「未来が変わることが」
湊は、手すりの向こうに広がる街を見た。
「今まで、ORACLEの予測どおりに進めばいいと思ってた。そうすれば失敗しないし、間違えなくて済むって。でも、天野と話してると……本当にそれでいいのか、わからなくなるんだ」
美月は黙って聞いていた。
「俺には、夢がない。やりたいことも、はっきりしてない。だから、正しいって言われた道を選んでおけばいいと思ってた」
湊は、少しだけ笑った。
「でも、天野は違うだろ。予測が外れても、自分で選ぼうとしてる。そんな天野を見てると、俺も自分で何かを決めなきゃいけないんじゃないかって思うんだ」
「……湊くん」
「だから、怖かったんだと思う。今までの自分が変わってしまうのが」
しばらく、風の音だけが二人の間を通り過ぎた。
やがて、美月が口を開いた。
「……私ね、湊くんが急に話してくれなくなったとき、何か悪いことしちゃったのかなって思った」
湊は、胸が締めつけられるような気がした。
「ごめん」
「ううん。理由がわかったから、もう大丈夫」
美月は首を振った。
けれど、すぐに笑うことはしなかった。
「でも、一つだけ聞いてもいい?」
「ああ」
「湊くんは、私といるときまで、正しい選択を探してるの?」
その言葉に、湊は息を呑んだ。
美月は、まっすぐこちらを見ていた。
「私と話したら、未来が変わるかもしれない。失敗するかもしれない。そう考えるのは、わかるよ」
彼女は少しだけ視線を落とした。
「私も、ずっとそうだったから。失敗するのが怖くて、誰かに認めてもらえないのが怖くて……自分の好きなものまで、諦めようとしてた」
美月は、再び顔を上げた。
「でもね、湊くん」
その瞳には、確かな意志があった。
「私は、湊くんと話している時間が楽しいよ」
湊は、何も言えなかった。
「文化祭の絵を一緒に考えてくれたことも、私の話を聞いてくれたことも、嬉しかった。だから……」
美月は、少し照れくさそうに笑った。
「湊くんが、ORACLEの予測を気にして私と話さなくなるのは、寂しい」
その言葉は、湊の胸にまっすぐ届いた。
「……うん」
「もちろん、無理に何かを決めてほしいわけじゃないよ。私と仲良くすることが正解だなんて、言うつもりもない」
美月は、ゆっくりと続けた。
「ただ、自分がどうしたいかを考える前に、誰かが決めた答えに従わなくてもいいんじゃないかなって」
湊は、目を閉じた。
未来が変わるのは、怖い。
それは、今も変わらない。
けれど――。
怖いからといって、自分の気持ちまでなかったことにしていいのだろうか。
「……俺さ」
湊は、ゆっくりと目を開いた。
「天野と話すの、楽しいんだ」
美月が目を丸くする。
「一緒にいると、いろんなことを考える。今まで気にしてなかったことが、気になったりする。自分が本当は何をしたいのか、考えてみたくなったりする」
湊は、少し照れくさそうに笑った。
「だから……これからも、話したい」
美月は、しばらく湊を見つめていた。
そして、ふわりと笑った。
「……うん!」
その笑顔を見た瞬間、湊の胸にあった重たいものが、少しだけ軽くなった気がした。
未来がどうなるのかは、わからない。
ORACLEの予測が、また変わるかもしれない。
それでも、今この瞬間に、自分が何を望んでいるのか。
それくらいは、自分で決めてもいいはずだ。
「……ありがとう、天野」
「えへへ。どういたしまして」
美月は、夕焼けの空を見上げた。
「ねえ、湊くん」
「ん?」
「明日も、一緒に帰ろうよ」
湊は、少しだけ驚いたあと、笑った。
「ああ。いいよ」
それは、何でもない約束だった。
けれど湊にとっては、誰かに勧められた選択ではなかった。
自分で選んだ、小さな一歩だった。
*
その日の夜。
湊は、再びORACLEの画面を開いた。
最新の進路予測が表示されている。
推奨進路。
適性評価。
将来の安定度。
その数字は、昨日よりもわずかに変化していた。
画面の下部には、いつもの注意書きが表示されている。
『現在の行動傾向は、推奨進路との整合性が低下する可能性があります』
湊は、しばらくその文字を見つめた。
そして、初めて思った。
――だから、何だというんだろう。
画面を閉じる。
机の上には、美月が描いたスケッチのコピーが置かれていた。
街の向こうへ続く橋。
その先には、まだ何も描かれていない。
湊は、鉛筆を手に取った。
絵を描くのは得意ではない。
それでも、橋の先に、小さな光を一つ描き加えてみた。
それが何なのか、自分でもわからなかった。
街灯かもしれない。
遠くにある建物の明かりかもしれない。
あるいは、まだ見たことのない何かかもしれない。
けれど、描き終えたあと、湊は少しだけ笑った。
決まっていないからこそ、自分で考えられる。
わからないからこそ、選ぶことができる。
そんな当たり前のことを、ようやく理解し始めていた。
一方、そのころ。
ORACLEの管理センターでは、湊の行動記録が更新されていた。
『対象者:朝倉湊』
『将来予測の安定度:低下』
『特定人物との接触:再増加』
そして、画面の片隅に、新しい分析結果が表示された。
『対象者の選択傾向が、従来モデルの予測範囲から逸脱しています』
システムは、原因を解析しようとした。
だが、まだ結論は出なかった。
人間が誰かと出会い、心を動かされ、今まで選ばなかった道を選び始める。
その変化を、すべて数字に置き換えることはできなかった。
そして、湊自身もまだ知らなかった。
美月と過ごす時間が増えるほど、彼女の存在が自分の中で大きくなっていることを。
ただのクラスメイトだったはずの少女が、いつの間にか、毎日会いたいと思う相手になり始めていることを。
それは、未来予測には現れない、小さな恋の始まりだった。




