1-5.Squawk 1101.
「おはよう、巧馬」
一日空けて、月曜日。僕が校門をくぐろうとしたところへ、後ろから追いついてきた恵が声をかけてきた。
「おはよう、恵。早いな」
「ああ。珍しく早く目が覚めて……」
「……どうしたんだ?」
急に言葉を切った恵を見上げると、恵は怪訝そうな表情をしていた。
「いや……なんかあったか、昨晩?」
「別に、何も……」
「嘘だな。朝イチで顔が険しいのは、だいたい前の晩になんかあったときだ」
僕は力なく笑った。五年の付き合いにもなれば流石にごまかしが利かないってわけだ。僕は周りを見渡した。オトヒメがいるわけでもないのに、いないという事実を確かめないといけない気がしたのだ。そうして、僕はBCIの電源を切った。ここからの話は、電脳空間上のログには残されたくない。自然、声を潜めた。
「……一昨日、陸軍に尋問された。大濠公園を散歩してた時だ」
「……マジ?」
「ああ。んで、『貴様は「敵」か』って。膝蹴り喰らって、腕捻られた後に聞いてくるワケ。んなわけねえのにな」
「噂には聞いてたけど本当にあるんだな、陸軍の現場尋問……ひどい話だ」
「カリカリしてんだろ、軍も政府も」
僕は一度言葉を切った。恵は硬い表情のまま、僕の話の続きを待っている。道の端を歩く僕らの横を、自転車が次々に駆け上がっていく。
「一日に春日基地に飛んで行くヘリの数、道路を走る機動隊の輸送車の数、学校から提供されるBCIの防御壁のアップデートの頻度……全部、増えてる。戦争に備えてんだろうさ。どこにどんな姿で潜んでいるか分からないからこそ、「敵」に対する警戒を強めているんじゃないのか」
「……巧馬は、それで納得するのか?」
「まあ、情勢が情勢だし、タイミングも悪かったから……」
昨日からニュースでは、一昨晩の外交パーティで華南国の外交官が暗殺されたと報道している。トイレに立ったところを狙われたらしい。僕が公園でオトヒメに伸されかけていた頃には、既に死んでいたわけだ。そりゃ、オトヒメも僕のことを暗殺犯かその仲間だと考えるだろう。
恵は納得していないらしく、眉間に皺を寄せていた。
「だっておかしいじゃないか、姿かたちがわからない奴らと戦おうだなんてさ。そんなんだから民間人にあらぬ嫌疑がかけられて、巧馬みたいにたまたま居合わせた人間が痛い目を見ることになるんだよ。今の国防軍のやり方は間違ってる」
「でも、敵の実態が分からない以上、そうやって片ッ端から調べる他は……」
「それは、そうかもしれないけどさ……」
恵は悔しそうに歯噛みした。恵は国防軍という組織自体を――いや、今の国防体制自体を嫌っている。
彼も僕と同様、五年前の「悪魔の一突き」テロで身内を――恵の場合は兄を喪った身だ。だが僕と恵との間には、テロに対する考え方と言う意味で、決定的な違いが横たわっている。
丁度父親の転勤で関西にいた恵は、尊敬する兄を喪ったにもかかわらず、葬式に参列できなかった、と言っていた。無理もない話だ。何しろあれほど大規模の事件が生じたため、犠牲者の葬儀には、国防軍による厳格な監視の下で、ごく一部の親族しか参列できなかった。最後に見た兄貴の顔は、熊本土産よろしく、と言ったときの、困ったような笑い顔だったらしい。
以来恵は、この混沌とした世界に対する深い悲しみと、そのテロ以降僕らに対する監視の目を強化している国防軍と内閣府情報調査局の「防犯」体制にへの強い不満を、同時に抱いている。
下足室に差し掛かり、担任の田川先生が挨拶の声を張り上げているので、僕らの会話は自然そこで切り上げられることになった。僕は内心でどこかホッとしていた。
◆
恵は理系の二年三組、僕は文系の二年七組。フロアが違うので、二階の階段を上り切ると、じゃ、また部活で、と言って僕らは別れた。
教室の中は半分くらいの生徒が登校している。一番窓際の前から三番目にある自分の席に鞄を置くと、前の席の小倉がオッスオッスと言いながら振り向いた。
「よお。えらくごキゲンだな」
「そりゃあねえ、週末は情報通にゃたまらねえニュースが溢れとったけ」
「ああ……」
大使館の外交パーティで起きた暗殺事件のことだな、と僕は察した。
小倉はニヒニヒ笑いながら中空で手を躍らせている。BCI連携による仮想画面をいじっているのだろう。いったいいくつのウィンドウを開いているのか分かったものじゃない。
「お前、そういう事件好きだもんな」
「おうよ。面白かろもん、世界情勢の最前線なんてよ」
小倉は僕が苦笑するのも目に入っていないようだ。まるでコーラでも飲むかのように、メガネの位置をくいっと直し、小倉は次々に欲しい情報を電脳空間から攫っていく。
「テレビが騒ぎよんぜ。まーた「悪魔の一突き」みてえなテロでも起きるっちゃなかとか、それも今度は国際規模で、ってさ」
「へえ」
「世界規模でそんな事件が起きたら、今度はテロじゃなくって完全に世界に対する宣戦布告なんよな。そうなったらまた歴史が変わっちまったりしてな」
「……」
「考えてみりゃあさ、「敵」が活動を始めてからBCIなんていう機械ができたわけやん? また何か新しいテクノロジーとか出てきそうやない?」
「……」
僕の無言の反論にまるで気を止めない。
この世には、三種類の人間がいる。
ひとつめは、情報を食う者。正しくは、情報を選び、食う者。ビュッフェにずらりと並ぶ多種多様な料理とそのキャプションを読むように、情報を吟味し、それに付帯する情報を読み込み、味と毒の有無を確かめ、自分自身の栄養――つまり利益になるもののみを、少しずつ慎重に選ぶ。
ふたつめは、情報を食わされる者。目の前に差し出された情報と言う名の食物への反応を「食う」以外知らない者たち。強制給餌で肥大した肝臓と、肉と、羽毛を根こそぎ持って行かれるガチョウのように、彼らは情報をすべてそのまま飲み込み、太らされ、やがて、次なる情報のために利用される。
最後にみっつめは、情報を飲む者。僕はできるだけ関わりたくない。ドリンクバーで好きなドリンクを好きなだけ飲むように、彼らは情報を手当たり次第に漁っては飲み下す。噛むという行為はない。飲んで飲んで飲みまくり、一通り味を楽しんだ後は、忘却という名の排泄によってきれいさっぱり脳内から手放してしまう。
情報を食わされ、情報に利用される者たちよりはマシだが、こういう人間は得てして、その情報が思わぬところに紐づいていることを意識していない。そしてそのぶん醜悪だ。小倉はまさにそうだった。
「……僕はその「敵」のせいで一人になったんだけど」
「……あ。そうやった。すまん、別に悪気があったわけじゃ」
「悪気が無いのは分かってるよ。デリカシーが無いのが気になってるだけだ」
小倉が口を噤んだのを見て、僕は少しいい気味だと思う。別に、被害者ヅラがしたいわけではない。小倉を責めたいわけでもない。ただなんとなく、そうやって自分がどうあがいても接触しようのない事柄に対して、外野がああだこうだと解説したり考察したりする、その無神経さに無性に腹が立つだけだ。要するに勝手な不満のはけ口に、僕は小倉を使っている。だからその後申し訳なさが鎌首をもたげてくるのに、僕はいつも耐えなければならない。
僕がふと見渡すと、八割くらいの生徒が集まりつつあった。その中で、僕らのいる空間だけが不自然な沈黙のポケットになっている。ちょっとやりすぎたかと、内心肩を竦めた。
「そういえばさ」
小倉は僕の顔を見ず、おずおずと口を開く。彼の無神経さは時にありがたい。
「ニュース繋がりなんやけど。もう一個面白いのがあって」
「なんだ」
「ウチのクラスに来るらしいんよ。転校生」
「転校生? 一学期が終わろうとしてんのに、なんでこの時期に?」
「さあてな」
小倉はわざとらしく両手を掲げて、まるで分からないと言った。
「なんか事情があるっちゃろ。親御さんとか――あるいは、」
と、小倉は言葉を切った。さっきの今で、口に出すのが憚られたのだろう――「敵」による被害者の可能性、ということを。
東日本の方では、今でも「敵」による被害者が、時折生まれていると聞く。被害を受けた人の中には、それまでの住処を離れ、安全な場所を求めて西の方へとやって来るものがいる。西の方に安住をを求めるなんて、まるで西方浄土信仰だ。
「だとしたら、触れないことだな」
そして、僕たちは「敵」の被害者に出会ったときには、特にそれに触れることはしない。時には触れてやらないことが、傷を癒す薬にもなる。
チャイムが鳴った。




